不安神経症の部屋

Sさんは最近少し気になる人ができました。それまではその人と普通に話せていたのですが、その人を意識するようになってから「嫌われたらどうしよう」と考えたり、目が合うと目をそらしてしまうなどの態度をとるようになったりするようになりました。また、「どうせこの先嫌われるくらいならその人から逃げたい」と考えて、本当は仲良くなりたいのに逆の態度をとってしまうということで困っていらっしゃいます。また、Sさん自身、自分は回避性パーソナリティ障害であると考えていらっしゃるようです。

一般に、回避性パーソナリティ障害の人は、拒絶・批判・恥をかくことを恐れるために、そのような反応を経験する可能性のある状況を回避し、また、社会的に無能である、魅力がない、または他者に劣っているという感情のために対人接触を伴う状況を回避する傾向があります。

Sさんが回避性パーソナリティ障害であるかどうかはこの投稿だけでは分かりませんが、Sさんが相手に好意を持ってから、嫌われることへの恐怖を感じたのであれば、これはとても自然な感情であると思います。誰でも「好かれたい」と思えば、「嫌われたくない」という思いが出てくるものです。

「嫌われるくらいなら、その人に関わらない方が良い」と接触することを回避すれば、たしかにその人に嫌われる可能性は低いかもしれません。ただ、その人がSさんと関わりたいと思っているのに、Sさんから避けられていると感じたのであれば、「Sさんに避けられている」と感じて、逆に嫌われてしまうかもしれません。

「嫌われたらどうしよう」という不安が強いということは、それだけ、その人と「仲良くしたい」という気持ちが強いということです。嫌われる不安がなくなってから、その人と仲良くなることは難しいですよね。そもそも、対人関係というのは、常に一定で安定しているものではなく、揺れ動いていくものでもあります。

Sさん、本当はその人と仲良くなりたいと思っていらっしゃるのですよね。そうであるならば、「嫌われたらどうしよう」と不安になりつつ、その人を思い(想い)、関わりを続けてみてはいかがでしょうか。不安で良いのです。おっかなびっくりで構いません。是非ともその人との関わりを大切にしていってくださいね。応援しています。 
(谷井一夫)


「臨機応変」 '23.10 

H様、一度は不安を抱えながらエネルギッシュに動かれたのに、不安が再度出てきてさぞかしお辛かったですね。

他の方のアドバイスもあったかと思いますが、まず不安を無い状態を望んではいないでしょうか。森田療法の創設者森田正馬は、不安があるその裏には何らかの「~したい」欲求が過大だから存在するという両面観を提唱しました。ですから不安と欲求があって自然な訳です。一端不安があまりなくなってそのままいってほしいといH様のお気持ちはわかります。しかし不安はあってはならぬと「こうあるべき」思考に縛られるとますますマイナス思考に陥ってしまいます。

ですので不安が出てきたときは自分が何かやりたい気持ちが強まったサインと受け取ってみてはいかがでしょうか。

あとは、神経症になる前はエネルギッシュであったとの記載がありました。まずは不安を無くそうとせずご自身の「したい」方向へ動くことが第一歩ではあります。しかし、あまりエネルギッシュすぎるとまたそれはそれで壁にぶち当たってしまいます。

森田先生は治療のゴールを「無所住心」と言っています。森田先生の言葉を引用します:「神経質の症状は、注意がその方にのみ執着することよって起こるものであるから、その療法は、患者の精神の自然発動をうながし、その活動を広く外界に向かわせ、限局性の注意失調を去って、結局これを無所住心の境地に導くことにあるのである。これが私の神経質に対する特殊療法の発足点である」。つまりエネルギッシュにしすぎるのもまた疲弊してしまいます。言葉を換えれば臨機応変が大事かと思います。力のいれどころ、抜きどころのバランスを取っていく方向ですね。

H様、ご参考にして頂けると幸いです。どうかお大事になさってください。 
(舘野歩) 

「弱さも魅力」 '23.09 

Sさん、こんにちは。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科の半田と申します。

大学生の頃からパニック障害を経験されて、現在は不安と付き合いながら仕事や日常生活を送られているのですね。いままで、よくがんばってやってこられたと思います。ご投稿内容からも森田療法の基本がよく身についておられるという印象を受けました。とくに「私の経験が誰かの役に立つかもしれないという思いもあり、この度参加を決めました」と書いてくださっているあたりは、大変ありがたいことだなと感謝しております。宇佐晋一先生が「皆さんにいいサービスをしようとお互いにし合って、毎日の生活を送ること自体が、全治そのものなのである」(宇佐晋一,木下勇作.あるがままの世界ー完全版ー.秀和システム,2020)と言われているのを思い出しました。

ですが、それだけ立派なお気持ちのある方であるからこそ、ご自身の弱いところや恥ずかしいところを見られることを恐れるのかもしれませんね(べつに恥ずかしいことでもないのですが)。不安にならないよう頭の中でシミュレーションしているうちに余計に焦ってしまったり、予め備えようとしたことでかえって藪蛇になってしまったりと、不安は排除しようとしてもなくならないどころか、かえって悪化することもあります。ですので、ご存じのように不安はそのまま放っておくとよいのです。弱さや甘さも、あっていい。かえって、あんまり立派すぎる方は一緒にいて息が詰まったりしますから、少しくらい弱いところがあった方が安心してより魅力的に感じられるのではないかと思います。Sさんの益々のご活躍を祈っております。 
(半田航平)

「薬や不安とどのように付き合うか」 '23.08 

Fさんはパニック障害に悩んでおり、数回断薬に成功したものの再発し、何とか頓服だけで過ごしていたところ、運転中にひどい発作が起こり、運転が怖くなってしまったと書かれています。確かに、一人で運転中に発作が起きたら…と考えると不安になりますね。

まず注目したいのは、Fさんが断薬に成功したと書かれていることですが、どのように薬を減らしていったのでしょうか。パニック発作は苦しいですし、特に息が出来ずに死んでしまうのではないかといった恐怖にかられるので、耐え難いものだと思います。薬は、そうした不安を和らげることに有効な部分があります。ただそうなると、お薬をずっと飲み続けなければならないのではないか?と心配になり、治る=薬をやめること、と考えてしまう方も多いように思います。早く治って薬に頼らずに済むようにならなければならない、と断薬を焦ってしまうと、逆に体調の変化をチェックしてしまいがちです。調子が良い時は良いのですが、少しでも不安や息苦しさを感じると「再発した!」と落胆し、これまで出来ていたことも全て否定してしまう、といったように、体調に一喜一憂し、かえって長引かせてしまうことも少なくないのです。

パニック発作は、必ず時間と共に治まっていくものです。とはいえ、その苦しさから、不安を消そうともがいて逆に不安を強めてしまったり、不安な状況を避けてしまうため、薬を補助輪として使うことで不安とつき合うことが可能になっていきます。つまり、薬で不安を消すというよりは、不安が流れていくことを少しでも経験しやすくし、何とかなる実感を得るために薬の力を借りる、と考えて頂いた方が良いかもしれません。

森田先生は、不安とのつきあい方について、泳ぎに例えて「波が荒いので早く上がろうともがくと、波に巻き込まれたり砂に打ち付けられたり、ひどい目にあうのである。素直に波に乗って、静かに泳いでいれば、浜辺の方へ寄ったり、また先の方に押し流されたりしているうちに、次第に次第に浜辺に上がることが出来る。波に抵抗しないから、少しもくたびれることはない」と述べています。パニック発作とつき合うのは確かに辛いと思います。森田先生も「決してはじめからその通りに出来るものではない」と言っているように、繰り返しの経験が必要です。経験を積み上げるためにも、「薬のおかげ(裏を返せば、薬がないとダメ)」にせず、その中でどのような経験をしたかを大事にしてください。つまり、不安な中で何が出来たか、不安も含めて気持ちがどのように変化したか、を見ていきましょう。何とかなったとしたら、それは大事な経験です。Fさんが書かれている最近の酷い発作も、予期不安によって恐怖心を強めている部分があるかもしれません。実際、コンビニに駆け込んでどうなったのでしょう?息が出来なくなることはなかったのではないでしょうか?

運転中に発作が起きたとしたら、Fさんも書かれているように、まずは車を停めて、寄せては返す不安の波に逆らわず、そこで出来そうなことをやってみましょう。スマホのゲーム、インスタ、音楽を聴く、などなど。待っている間に出来そうなことを探してみましょう。治めようとするのではなく、過ぎるのを待つつもりで。 
(久保田幹子)

「はからいは悪いもの?」 '23.07 

Nさん、こんにちは。Nさんは、幼少期から神経質な性格で、広場恐怖やパニック発作などの症状で悩んでこられたのですね。森田療法の実践や生活の発見会の参加を通して、何とか克服しつつあったとのことですが、1か月前からまたパニック発作が起きやすくなり、特に予期不安に悩んでらっしゃるとのこと。Nさんが書かれているように、回復のプロセスは良い時期と悪い時期を繰り返しながら経過していくものですよね。

さて、Nさんは心療内科で頓服として抗不安剤が処方されているとのことですが、頻繁に飲むことに罪悪感があり、なるべく飲まないように我慢してしまっているのですね。頓服を飲んで仕事を始めると、やや不安はあっても楽しく充実している時間も過ごせていて、就業後にはスッキリ達成感がある時もあるとすると、主治医が言うように今は予防的に頓服を飲むことが有効であるように感じます。Nさんが薬を飲むことに罪悪感を抱く理由の一つは、森田療法的でいう「はからい」に当たるのではないかという懸念があるからと書かれていますが、はたして、「はからい」は全部悪いものなのでしょうか。

「はからい」をどう捉えるかについてのポイントは、「はからい」が目的になってしまっているかどうかというところにあります。つまり、はからいによって不安を取り除くことそれ自体が目的となってしまっている場合は苦しくなってしまうばかりですが、はからいによって作業を進めること・用事をこなすこと等を目的としている場合、その目的達成を助ける面もあるのです。実際にNさんが体験したエピソードから考えてみましょう。用事があり高速道路に乗る機会があって、直前まで平気だったけれど、高速に入った瞬間パニック発作が生じ、不安や恐怖が頭の中を巡ってとっさに頓服を飲んだのですね。頓服を飲むと徐々に落ち着けて、帰りの高速は平気だったとのこと。Nさん、不安や恐怖の中、よく頑張りましたね。それで良いんです。これはまさに、頓服を利用して目的地に行くという目的を達成したNさんの貴重な成功体験ですから、できたこととして胸を張ってください。こうした体験の積み重ねのうちに、だんだんと予期不安に振り回されずに過ごせるようになっていきますよ。 
(金子咲)

「自分を抑え続けることに無理が来たら...」 '23.06 

Aさんは幼い頃から神経質なお子さんで、対人関係にもその気質が表れていると思われるとのことです。ストレスにより自律神経失調症になり、退職されてその症状は改善したものの、今は過敏性腸症候群の症状が続いて悩まれているとのことです。過敏性腸症候群も自律神経と関連して起こる疾患ですので、退職前も退職後も、不安・緊張・ストレス→身体に症状が出るという図式は同じであると考えます。今は職場での対人関係の問題はなくなったものの、仕事やこれからのことについての不安が強まり、ストレスが増しているのかもしれません。

元々、人とのコミュニケーションがあまり得意ではなく、自分の気持ちを抑えてしまう傾向があり、つい我慢してしまうような性格だったとのこと。これまでは抑えることを選択して、それが身体症状につながっていたんだと思います。これまでのようにただひたすら抑える対処法には限界が来ているということが言えそうです。そのため自分を少しずつ出していく方法を模索していく必要があると思います。

ここで「自分を出していく」ステップをあげてみます。

1)自分の気持ちを自分の中でよく把握する

Aさんが「自分の気持ちを抑える」とき、自分がどんな気持ちを抑えているか、どんな気持ちなのか自分でよくわかっていますか?(自分で本当はどんな気持ちなのかよくわかっているようであれば、すでにここはクリアされていることになりますが)人によっては、なんとなく嫌だというレベルの把握にとどまっていて、何を求めているのか、どんなことが言いたいのか、はっきりしていない人もいます。もしこのレベルのようなら、もう少し突き詰めて、自分が何を求めていて、何が得られなくてつらいのかをはっきりさせましょう。思っていることを紙に書いてもいいですし、個別相談などを使って自分の思いを理解していってもよいです。

2)どうしたいのか、自分が求めていることを明確にする

3)それを得るためにはどうしたらよいかを考える

4)行動に移す(まずは荒削りでよいので)

仕事をしていなくても、日常生活の中で、店員さんとのやり取りなどで「本当はこうしてほしいことがあるのに」ということがあったらそれを表現して伝えていく練習をしていきましょう。まずは表情やそぶりで表現することからで構いません。勇気を出してやってみたら、相手があなたの意図を理解したか観察・確認してみましょう。表情だけで不快感や喜びが伝わることもありますが、細かな意図が伝わる確率は低いでしょう。表情で出せるようになったら次は言葉を伴ってみましょう。こうしてほしい、注文したものと違う、商品についての聞きたい質問など伝えてみるのです。伝えたら、相手があなたの意図を理解したか観察・確認しましょう。

この段階ではまずは言えたことを評価しましょう。これを繰り返して大分伝えられるようになったら、次は5)に移ります。

5)より表現を洗練させていく

神経質者の方は、いきなり5)の完成形に行こうとします。ダンス初心者がいきなりバレリーナになれないのと同じで、それはなかなか難しい。でもバレリーナになるよりはずっと短い時間でできるようになっていきます。

仕事をしていなくても自分の意図を伝える練習は日常生活のいろいろな場面で出来ます。神経質で細やかな人はいろいろ気になるので、買い物をしていても色々聞きたいことや気になることがあるはずです。

そうやって対人関係の練習を進め、前よりも自分のニーズを満たしてあげることができるようになると、徐々に過敏性腸症候群や他の身体症状も落ち着いてくるはずです。

これまでやったことのない「自分の思いを表現し、やり取りしていくこと」は慣れないし、特に最初は大変かもしれません。体験フォーラムや日記もぜひ利用して、自分のペースで進めていってみてください。 
(矢野勝治) 

「注意が向かえば向かうほど…」 '23.05 

Cさんは3ヵ月程前に、ご家族で海外旅行に行く計画を立てたのですが、帰国前のPCR検査の結果が陰性でなかったらどうしようと不安になりました。結果的には問題なく旅行から帰ってこられたのですが、その後、動悸がずっと続き眠れなくなってしまい困っていらっしゃいます。動悸に関しては循環器内科では異常なく、心療内科では「パニック障害」と診断され、薬物療法も受けていますが、改善に乏しく、不眠や頭痛、また、他の大きな病気にかかるのではないかという不安や、動悸が治らないのではないかという恐怖に支配されていらっしゃいます。

Cさん、今、色々なことが不安になっていて、落ち着かなくて、大変ですね。一般に、不安になる出来事をきっかけにして、様々なことが気になるようになり、不安が色々な所に広がっていくことは良くあります。また、元来、神経質な方であればあるほど、その傾向は強くなると思います。

また、不安や動悸などは不快な感情・感覚ですので、「早く無くしたい」、「すっきりしたい」と思うのも無理はありません。しかし、今のCさんはこれらの不快な感情・感覚を無くすことに力を注ぎすぎているのかもしれません。これらの不快な感情・感覚をなくそうと、そればかりに注意を向けていると、ますます、それらの感情・感覚は強くなってしまいます。残念ながら、これらの不快な感情・感覚というのは、すぐになくなるものでも、すぐにすっきりするものでもありません。そうであるならば、これらをなくすことにエネルギーを注ぐのではなく、本来の生活を取り戻していくことにエネルギーを注ぐことをお勧めします。

Cさん、3ヵ月前に不安になる前(元々)はどんな生活を送られていたのでしょうか。おそらく、今ほど自分の身体に目が向いていなかったのではないでしょうか。また、Cさんは今の不安や悩みがなくなったら、どう生活していきたいと考えていらっしゃるでしょうか。今の症状がすっきりしてから、それらのやりたことに取り組むのでなく、すっきりしないまま、心配だな、嫌だなと思いながらも、やりたいことに手をつけてみましょう。もしかしたら、注意を向けすぎることで強くなっている不快な感情・感覚は変化しているかもしれません。「今の状況」を受け入れ、前向きに生きていたいと考えていらっしゃるCさんであれば、出来るはずです。是非とも頑張ってください。応援しています。 
(谷井一夫) 

「『悲観することが上手』にならないために」 '23.04 

Nさんは「パニック障害の残遺症状について」ということで、一旦よくなったパニック障害が再発して苦しんでいることを書きこまれています。一旦よくなった後の再発、おつらいことと思います。

フォーラムでメンバーの方のアドバイスも生かして以前の回復のプロセスを振り返ったり、いろいろ取り組まれていますね。

それでも「感情の法則」を思い浮かべてみて不安が流れていく感覚を経験したり、なかなか流れていかないときもある、と書かれています。感情は流れていくものではあるけれど、流そうとして流せるものではないものですね。書かれているように「複雑にこんがらがってしまった」のですね。そうしたとき、森田先生が、電車の中で発作が起こるのではないかと構えているときに、家でくつろいでいるとき(当時なので畳の上で大の字になっているとき)と同じ心境になろうとするのは、修行としては興味深いかもしれないけれども、無理なことだと書いているのを思い出していただければと思います。流れないものを無理に流そうと、自分に無理な注文をつけてしまっていないでしょうか。

職場に到着しても「ああ来てしまった。帰れるだろうか」と不安に襲われると書かれていますが、「来てしまった」ということは、「今日も頑張って職場に来た」ということでもあるはず。神経質の状態ではどうしても先の不安へと先回りしてしまいがちになりますが、職場に来た、という「事実」と自分の「努力」を認めてあげましょう。

森田先生も神経質の人は「悲観することが上手」だと言っています。たとえば仕事ができたり成績が良くても「そんなことはどうでもいい。こんなに頭が働かなくて気力がなくては仕方ない」という具合だ、と書いています。Nさんも、ぜひやれていること、努力していることもスルーせず目を向けてください。

一方で、再発のきっかけが、就職してから激務だったこと、また復職した今も「周りに迷惑をかけてしまうか」と気になることも書かれています。どこかで無理のあるやり方になっていないか、「0か100か」のようになってしまっていないか、も振り返っておくとよいと思います。

Nさんは、高校生の頃に乗り越えられた経験、とくに「~たい」(ご自分でも書いている通り「生の欲望」)を活かした経験をお持ちです。焦らず(気持ちは焦るけれども振る舞いを落ち着けて)一日ずつを積み重ねていきましょう。通院もされていて今は主治医の先生との信頼関係もできている様子、主治医の先生とも相談しながら少しずつ進めていってください。 
(塩路理恵子) 

「身体症状症・病気不安症に対する森田療法」 '23.03 

L様、体調不良へ注意が向けば向くほど不安になり症状が悪化する悪循環にはまっていますね。

まず身体症状症に対する森田療法の考え方・概説を示します。森田療法では身体症状症を症状へ「とらわれ」・悪循環を起こしていると理解します。そのとらわれの心理とは,「症状に気付き,不安となった自己が自己自身を観察し,意識し(精神交互作用),それを承認できないで「あってはならぬ」と考え(「こうあるべき思考」)もだえている(思想の矛盾)というような内向的,非行動的なあり方」です。森田療法による介入とは症状への「とらわれ」からの脱却を目指します。そのために,1)症状をそのまま受けとめていくこと,2)ご自身の生の欲望(健康な力)を生活場面で,発揮できるような行動を促すことからなります。症状を「健康でありたい・万全でありたい気持ちが強いから不安が強まるのですよね」と症状を読み替えます。そしてその気持ちを,症状を無くす方向でなく建設的な方向へ生かすよう森田療法は援助します。そのような行動が,「あってはならぬ」(「こうあるべき思考」)という思想の矛盾をゆるめ,建設的な行動を広げていくことが大事になってきます。

森田療法の創設者森田正馬は当初、今日の神経症性障害に対してヒポコンドリー性基調を基盤に症状発展形成として精神交互作用があるという説を提唱しました。また森田は「ヒポコンドリーとは心気性すなわち疾病を恐怖する意味であって、人間の本性である生存欲のあらわれである。」と説明しました。病気不安症とは元来心気症のことです。身体症状症で病気不安症を持ち合わせている場合の方が不安の裏側の「生の欲望」を見出しやすいので森田療法的アプローチがしやすいです。身体の違和感から不安になっていますね。これは病気の心配をする不安の裏側には「健康でありたい欲求が過大だから不安になる」わけです。ご自身、病気の心配をしていて自分には何か欠けているとお思いかもしれませんが、実は生きる欲求が過大だから不安が起きます。不安の背後にある「~したい」欲求・エネルギーをもっと建設的な方向へ使っていくことをお勧めします。まずは自宅内のたわいもないことから始めても構いません。色々なことに夢中になると症状を忘れる体験を少しずつ積み重ねていくと良いですね。

どうかお大事になさってください。 
(舘野歩) 

「待つこと・両面観」 '23.02 

Sさん。こんにちは。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科の半田と申します。

今までも、死の恐怖が高まっている時期に、何度か相談をされているのですね。死や死後のことを想像すると、とても怖くなる。それは、わざわざ改めてお示しする必要がないほどに、世界中の宗教や文化を見ても分かるように、広く人の心に共通するとても大きなテーマですね。死は、どうあがいたって、恐れざるをえない。

ですが、まず一つ言えるのは、死の恐怖をゼロにすることはできないけれど、その恐怖の強さには波がある、ということだと思います。投稿している時は恐怖が最高潮なのだと思いますが、投稿していない期間にはそこまでの強さではない時もあったのではないでしょうか。その波が、感情の自然な性質の一つです。なので、もし今恐怖に圧倒されているとしても、時間が経てばまた多少なりともクールダウンしてくると思います。そこでよくないのは、「今すぐ恐怖を無くしたい!」と思ってしまい、待てないこと。感情は、すぐに打ち消そうとすると、かえって長引くもの。風邪を引いたときに、忙しいからといって無理して働き回っていたら、結果こじらせてしまうようなものですね。今はすごく苦しいけれど、待ってみること(我慢するのとは違います)。それができるようになると、少しラクになるのではないかと思います。

それから、もう一つは、死の恐怖と生の欲望は二つの別のものというわけではなく、コインの裏表のように切り離せないものである、ということです。ご投稿に「日常生活での楽しみを感じて過ごしたいだけなのですが、楽しい時でさえも死の恐怖で打ち消すようになってしまいかなり辛いです」と書かれていますが、これは次のように見ることもできるのではないでしょうか。死の恐怖があるからこそ人生は楽しいのだ、と。たとえば、ゲームをしている時。プレイヤーの体力が無尽蔵で何をしてもゲームオーバーにならなかったら、それは楽しいでしょうか?あるいは、小説を読んでいる時。主人公が何の危険も障害もないまま結末に辿り着いてしまったら、それは面白いでしょうか?死の恐怖から逃れようとすることは、生きる喜びからも遠ざかろうとすることで、それはとてももったいないことなのではないかと思います。 
(半田航平) 

「緊張のままできることに安心がある」 '23.01 

Pさんは社交不安障害で長年悩んでいらして、今は人前で症状が出るのみにまで回復されているとのことで、森田療法についてもこれから理解を深めて生きやすい日々を送れたらとご自身の体験を含めて共有してくださいました。今は幼稚園での懇親会、自己紹介にも不安ながらも参加しようと考えていらっしゃるとのことですね。

子育てサロンでの経験は正に恐怖突入だと思います。いろいろな要素はあったと思いますが、その場に留まり自己紹介できたという事実を認めて、達成感を次への活力にしていらっしゃる姿勢が素晴らしいと思います。「自分はみんなより緊張しやすく、その症状を気にしやすいだけなのかもとおもいました」「緊張したからと言って死んだりしませんでした」ということも、経験したからこそ得られた感覚だと思います。

懇親会で逃げ出してもいいか、薬を使っていいか悩まれているとのことですね。いざとなれば逃げ出したりしても、薬を使っても大丈夫だと思います。ご自身がいなければ、順番が飛ばされるだけで、おそらく懇親会は問題なく終わりますし、またお話する機会もあると思います。ただ一度経験されたように、動悸がしたからと言って死んだりはしません。せっかくの機会ですから、参加されたらより素敵な経験になると思います。薬についてもお守り代わりにお使いになったらよいかと思います。ただ、参加できたとしたら、緊張したか、薬を使ったかどうかを物差しにせず、自分が踏みとどまったという事実を認めて、達成感を味わってみてください。

“不安即安心“という言葉があります。不安な気持ちを落ち着かせることに安心があるのではなく、落ち着かない心そのものでもできることに安心がある、という意味です。お子さんやご自身のために参加したいという気持ちを糧に、ぜひ不安、緊張を持ちながら、懇親会も参加されて、そのような経験を積み重ねてみられてはいかがでしょうか。Pさんの挑戦を応援しております。 
(市川光)