不安神経症の部屋
「パニック発作について」 '19.12
Mさんは過呼吸で救急車に運ばれたことをきっかけとして、強い不安感、吐き気、動悸に苦しんでいます。また、死の恐怖や自殺してしまうのではないかという不安もあり、病院ではパニック発作と言われ、治療されています。しかし、最近は「またパニックが起きたらどうしよう」「ここで倒れたらどうしよう」などの不安感や漠然とした不安感、死にたいと思ってしまうかもしれない不安感などが常にあって困っていらっしゃいます。
パニック発作の不安感というのは、誰でも逃げ出したくなるくらいものすごく強いものです。ですから、Mさんが逃げたいとおっしゃるのも無理はないと思います。
まず、パニック発作について、知っておいていただきたいことが2点あります。1つ目は、発作は不快であり、極めて不安にもなり、心臓などの大切な臓器に関わる症状を引き起こしますが、いずれも危険ではないということです。そして2つ目は、通常は10分以内に最高潮に達し、数分で消失するものであるということです。
発作は怖いのでついつい「大丈夫、大丈夫」などと自分に言い聞かせてしまうのですが、これをやると時に症状に注意が向いてしまい、悪循環になって、発作を呼び起こしてしまったり、発作が長引いてしまったりすることがあります。また、「発作がまた起こるのではないか」という不安を「予期不安」と呼びますが、これが強いと過去のパニック発作を連想させる状況から逃げたくなるものですが、これも同様に悪循環となって、より不安が強くなってしまいやすくなります。
森田療法では「不安をなくすのではなく、不安と付き合いながら行動・生活を整えていく」ことを目標にしていきますが、あまりに不安感が強い場合は薬も味方につけていくことも一案です。まずは、薬で強い不安感を和らげて、その中で、生活・行動を整えていくことを目標としてみてはいかがでしょうか。生活・行動が整えられていくと、症状がよくなっていき、逃げ出さずにすむようになり、そのことでさらに良くなっていき、最終的には薬も手放せるようになっていく、と好循環になっていきます。まずは薬の種類や使い方についても主治医の先生と相談されてみてはいかがでしょうか。Mさんの治療がうまくいくことを願っています。
(谷井一夫)
「不安の中で大切にする取り組みとは」 '19.11
こんにちは、Kさん。Kさんは文面からパニック障害を患い、日々の不安に苦しんでいるとお見受けします。その背景には、過去のお子さんの死産などが大きく影響されていると感じました。当時、そのことにかなり傷ついただけでなく、自信を喪失し無力感を募らせたのではないでしょうか?さらに身体的な不調が重なったことで、より自分の体調への信頼を失っていったのだと思います。このように、神経症の症状は、しばしば何らかの行き詰まりの結果として、表れてくるものです。
ところで、Kさんはパニック発作に伴う予期不安の中であっても、電車の移動やお子さんの学校行事への参加などを疎かにせず奮闘されています。この努力は中々出来るものではありません。その上で、不安との付き合い方について一緒に考えてみたいと思います。
不安が起こると我々は不快な感情のあまり、不安を何とか解消することばかりにとらわれてしまいます。けれども、不安の裏には「私なりに何とか行事などの活動を上手くやり終えたい」などの欲求もあると感じます。そうであるとすれば、この欲求を生かすために、日々どのような手立てを意識するかが大切でしょう。
まず、不安の特徴として体調不良の時に必ず強まるという事実を知っておく必要があります。そのため、催し物の前日などは早めの就寝などを心がけ、日々の疲れを極力少なくする心がけが大切です。我々は自分の心の中に直接触れることはできませんが、体に触れ労わることは可能です。日頃から樋之口が重要と感じている冷え性に対する対処も、Kさんの緊張を緩和し、不安の中で欲求を少しでも叶える姿勢を作り出してくれると思います。
次にKさんは、「迷惑をかけてはならない」という思いを強く有していると感じます。その心がけは責任感の表れでもあるから悪いものではありません。しかし、その思いが強すぎるが故に、一人で悩みこみ却って、「果たして大丈夫か」とパニック発作や予期不安へのとらわれを助長しているように見受けます。
これはあくまで一見解ですが、Kさんはもっと周囲にSOSを出し、色々な助けを貰って良いと思います。パニック発作で倒れた時には、周囲の人に助けを請うこともあって良いのです。最初はこのような逆説的な取り組みに戸惑うかもしれませんが、助けを求めることで、周囲から色々助言をもらい自分の振る舞い方を見直す切掛けになったりするものです。それに周囲に助けてもらった体験は、Kさんに安心を与えてくれるでしょう。それこそ欲求を発揮する後押しになるのです。
今はまだ苦しみの渦中でしょうが、発展されることを願っています。
(樋之口潤一郎)
「婦人科手術の後の不調・不安」 '19.10
Aさんは、先月に卵巣摘出の手術後にめまいや不眠などの自律神経失調症を発症したこと、その2週間後に生理前症候群で眠れなくなったこと、それから眠ることにとらわれての不眠や不安に襲われていることを書き込まれています。
手術とその後の不調、とても大変なことですね。
手術の後というのは体調も整わないですし、健康についても不安も起こるものですね。 とくに卵巣の手術をされたということですので、ホルモンバランスが乱れ、体調にも影響が出ていることと思います。心療内科にも相談されたのですね。
手術の後、体調を整えなければ、回復を早くしなければ、と思えばこそ、不安も生じるもの。「動悸がしてれば心配になり、やる気がなければうつ病を疑ったりと、一人になると意識が自分に向きすぎていて辛いです。」とも書かれています。身体の不調があれば、どうしても自分に意識は向くもの。それはとても自然なことです。ましてや手術を受けてまだひと月なのですから、無理もないこと。それ自体を無理やり変えようとすると、ますます自分に注意が向いてしまいます。
一方で焦って結論を出そうとしたり、不安を消そうとしても悪循環にはまってしまうもの。ここは一拍おいて、そしてそのときの自分の状態で手の付けられることに手を付けていきましょう。
家事で言えば、そういうときは頭を使うお料理よりも、例えば洗濯物を畳むなどの方が手をつけやすいかもしれません。お子さんと遊んでいるときは症状が出ないとのこと。つらい中でもお子さんと遊んであげているのは素晴らしいことですね。そして注意の向きによって状態が変わり得ることも表しているといえるでしょう。
ぜひ、お子さんとの時間を大切に、少しずつ回復を迎えてください。
(塩路理恵子)
「苦痛になりきる」「物そのものになりきること」 '19.9
H様、症状でお辛いとは思いますが、これはやはりどこかで症状を流したい、あるいはなくしたいという気持ちがあるからではないでしょうか。
森田は形外会で「苦痛が瞬間になり、あるいはその場限りで直ちに忘れてしまうという風であれば、詮じつめればこれが心頭滅却という事になり、苦痛という意識が消滅してしまうという風になるのある。心頭滅却とはなんの工夫も手だても全く尽きて、苦痛そのものになりきることである。(中略)治療で最も大切なのは、このなりきるということが最も大切なる条件になっている。」と述べています。
強迫観念で悩み森田の治療を受けた倉田百三は、治療が終わった後形外会で「私がまだ強迫観念の盛んであった頃に、私は自発的に感想が起こらず創作力がなくて、書くのは心にやましいから書かないといったところが、森田先生から、できてもできなくてもよいから、なんでも書きさえすればよいといわれて書いたのです。いま見るとその時に書いたのがかえってよくできている。今度『冬うぐひす』というのを出版するが、非常にそれが自分に気に行ったのであります。」と述べています。
H様、お辛いとは思いますが、強迫観念を短期的にいかに受け流すかを考えるのではなく、その瞬間瞬間大事な事に没頭することが活路を開く道かなと思います。
森田はまた、「物そのものになりきること」と説いています。例を上げていて「会社で課長になりたいと思う人は、まず現在の自分の仕事は、どういう意味があるかということをよく考えてそれに全力を尽くせば、おのずから早く出世ができるようになる。いたずらに課長になろうとする野心があると、その仕事はかえって不忠実になって、出世ができないようになる。」と言っています。
ですから強迫観念を受け流す方法を探るのでなく、その瞬間のことにいかに集中する(なりきる)ことが大事と思います。倉田百三を糧に粘ってみて下さい。
(舘野歩)
「苦しみながらも、国家試験に向けて努力している事実が素晴らしい」 '19.8
Jさん、はじめまして。
Jさんが、夜な夜な国家試験に向けて勉強している姿が頭に浮かんできます。同時に、試験が近づく中でさまざまな不安に襲われ、抑うつや離人感も出ているとなると、Jさんの苦労は相当なものでしょう。
では、Jさんを悩ませている正体はいった何なのか?国家試験がどのようなものか私にはわかりませんが、Jさんにとって、非常に大切なものなのですよね?
たとえば、これが自分にとってそう大切でない試験だったとしたら、きっとここまで悩まなかったでしょう。学校の小テストのように、0点であっても進級に影響しないようなテストであったらそんなに怖くないですよね。
森田療法では“不安や恐怖”の裏側には“生の欲求(よりよく生きたい)”があり、この2つは表裏一体の関係と捉えます。つまり、期待が大きければ不安も大きい、期待が小さければ不安は小さい、そんな風に期待度によって不安や恐怖は変化するものであります。
私もそうですが、勉強するならコンディションを整えて、できるだけよい状態で勉強したいと思うのが自然です。眠気がある状態で勉強するのはあまり気持ちのよいものではないですから。しかし、完璧なコンディションというのはそうそう体感できないものです。人間は万全を期したいと意気込むと交感神経が高まり、覚醒するようにできています。先のことばかりを考えていると、不安で身動きが取れなくなってしまうものです。ポイントは、不安や抑うつ気分はそのままに、今あるコンディションで少しでも勉強に手を出してみることです。ちょっとでも勉強が進めば、それが自信につながるでしょう。
ただ、国家試験が人生のすべてではないと思います。疲れたら素直に休む、気分転換に遊びたかったら素直に遊ぶこともよいと思います。国家試験を前に遊ぶことは悪いことではないですよ。人間は完璧じゃないですし、24時間勉強できるようなロボットのような存在ではないですから。それから悩みを一人で抱えて辛かったら、身近な人に自分の気持ちを話してみるのもよいでしょう。精神科や心療内科に受診してみるのも一手です。
国家試験という大きな山を見ながらも、足元を見て、一歩ずつ一歩ずつ進んでみてください。Jさんのご健闘を願っています。
(鈴木優一)
「本当に心配すべきことを心配する」 '19.7
Mさんは、身体の不調を重篤な病気だと思い込み、余計に体調を崩してしまうと書き込まれています。もともと神経質だったところに、お子さんが病弱であったことから、また同様のことが起きたらどうしようと、まだ起きていない不安ばかりが募るようになったそうです。気になると、病気のことをインターネットで検索してしまうため、余計に不安が強まって、結局検査などで医療費もかさんでしまったとのことでした。
確かに最近は、インターネットですぐに情報が得られるので便利である一方、誤った情報などに翻弄されてしまう危険性もありますね。
身体の不調を心配するのは、それだけ健康に過ごしたいという欲求が強いということです。ましてや、大事なお子さんが病弱であったならば、お子さんも含め病気のことを心配するのは当然のことと思います。しかし、まだ起きてもいないことを次々心配して、かえって体調を崩しているのであれば骨折り損に終わってしまいますね。Mさんも「この悪循環・・・」と気づいておられるように、心配を完全に払拭しようとすることが逆に疑念を生んで、不安を強めてしまっているわけです。
森田は、「矛盾とはアベコベになることである。恐れをなくしようとすればするほど、かえってますますアベコベに恐ろしくなる。早く眠ろう眠ろうとすれば、かえってますます眠れなくなる」として、これを「思想の矛盾」と名づけました。Mさんの堂々巡りも同様の構えから生じていると言えるでしょう。
ではどうしたらこのアリ地獄から出ることが出来るのか?要は、アベコベになるのですから、恐れをなくそうしない・・・つまりそのまま放っておくということです。でもそう言われたら、「放っておいて手遅れになったらどうするのか!」と言いたくなるでしょう。勿論、無神経・投げやりに生活をするということではなく、恐れる気持ちを無くそうとしないということなのです。
森田はこうも言っています。「心悸亢進でも、梅毒恐怖でも、当然恐るべきを恐れ、注意し用心すべきをするのが[事実唯真]である。恐るべきを恐れてはならないというのを「思想の矛盾]といい、悪智といい、それはけっして人間の心情の事実ではないのである」。つまり、病気を恐れるのは当然であるから、日常生活の中で病気にならないように用心する、健康的な生活を心がけることこそが、本当の欲求に即した姿勢、生活の仕方だと伝えているのです。規則正しい生活・食生活・健康診断などはそれにあたるでしょう。Mさんはすでに検査も受けているようですから、手遅れの心配はありませんね。
健康的な生活・・・という点でMさんに抜け落ちているのは、「今」この時間をどのように過ごすのかといった視点でしょう。大事なお子さん・ご家族のため、そして何よりm2817777kさんご自身のために、健康でいられる今だからこそやってみたいことはあるのではないでしょうか。折角あれこれ考え、心配するのであれば、「今」を無駄にしない生活の仕方、時間の使い方について考えてみたらどうでしょうか。
(久保田幹子)
「病気を治すためにやるのではなく生活に必要な事をやる」 '19.6
Eさんは、薬の変更により症状が再び出てきてしまったようですね。元の薬に戻して数カ月もすれば症状は元の薬の効果が出てきて落ち着くことが多いので、待っていれば次第に良くなることが予想されます。
ただ現在は不眠や緊張からくる肩こりで悩まれているようですね。森田療法を受けた患者さんが、友人が肩こりに悩んでとらわれている様子を聞き、このようにアドバイスしたといいます。「病気を治すための運動をやる暇があれば洗濯物でも干したほうがよい」。そう言ったところ肩こりが治ったそうです。治すためより、生活に必要な事や今自分がやるべきことをやっているうちに症状が気にならなくなることが起こりるんですね。
不眠については「眠れなくても身体を休めているからそれだけで違いますよ」などと外来でアドバイスすると安心して眠りやすくなった方もいましたが、長く続くと苦しく日中の活動にも影響が出るので、SSRIの効果が戻るまで一時的に薬を使うなど主治医と相談してみてもよいかもしれません。
Eさんはあるがままを実践しているという事ですが、あるがままになって何をしたいですか?友達と遊びに行きたい、仕事を頑張りたいなど人間の願望は様々です。その「よりよく生きたいという気持ち・欲」を活かしていきましょう。
不安障害の症状が出ている方は人一倍欲が強い方が多いです。例えばパニック障害の方だと「皆と上手くやりたい」「場の雰囲気を良くしたい」という欲があることが多いです。また社会不安障害の方だと「人に好かれたい」「親密な友人が欲しい」という欲があります。
Eんはいかがでしょうか?その欲はこれからEさんがしていく行動のヒントになります。自分の希望を自らに問うてみて下さい。
(大久保菜奈)
「老いと変化を受け入れる」 '19.5
Hさんは30年前に不安神経症になり、森田療法に出会い、かなり症状が軽減していた時期がありましたが、4年前に体調を崩され無理ができなくなったのをきっかけに、外出の機会を減らしたところ、近くに出かける際にも症状が強く出るようになってしまったとのことです。
ご自身でも森田療法の本を再読されたり、体験フォーラムでのやり取りを通して、「やればできるという猪突猛進で行くのではなく、現状をまず受け入れつつ、できることを増やしていく」方向に転換され、毎日一回は外に出ることではじめは怖かった昼も少しずつ出られるようになりつつあるとのことです。頑張られていますね。
若い頃に、神経症に悩まされ、一旦軽快したものの、数十年経って、症状が再発・悪化することがあります。どの年齢の方でも、不安にとらわれた生活を変えていく一歩はTさん(フォーラム管理人)が指摘してくださっているやり方(不安のからくりを知り、症状を理由におろそかにしていることに手を出していくのは同じ)ですが、神経症の乗り越え方という観点で言うと、若い頃と壮年期以降では力点が少し変わってくるように思います。
若い頃は、自分の成長や可能性も感じやすく、またエネルギーを仕事や家族、友人関係、趣味に生かすことで活動の場が広がり、注意の転換も図りやすいでしょう。一方、年を重ねると、病気になったり、心身の衰えを感じるなど「成しても成らない」ことが少しずつ増え、使えるエネルギーも限られてきます。
中年期以降の場合には、若い時と同じような機能の回復を目指したり、無理な行動の拡大を目指すのではなく、自分の今の限界や年齢による変化(老い)を良く見つめ、ふがいなさや悲しみも含めてよく感じていくことがとても大事で、そこに重要な力点があるように思います。その「受け入れ」がうまくいかないと、神経症の苦しみが長引いてしまいます。
自分の今の限界や変化を見つめていくことは、自分の中に今もある「かくあるべし」に気づき、自分の無理なあり方に気づくきっかけを与えてくれます。変化を自分のこととして受け取ることで、今自分ができること・楽しめることが見えてくるのです。
最後に書かれていた抗不安薬についてですが、抗不安薬についてはいろいろな報道もなされ、複雑な思いになられるのももっともかと思います。不安への対応力がつけば、薬は自然と必要がなくなります。今のところは主治医の先生とよく相談しながら、必要な薬を補助として用い、不安に対応する力をつけることを優先していかれることをお勧めします。
(矢野勝治)
「やりたいこと、ちょっとでも手をつけて」 '19.4
Nさんは職場で酷い吐き気を感じたことがきっかけで、次第に「人前で吐いてしまったらどうしよう」という不安と慢性的な吐き気で仕事を辞めて家に引きこもるようになって困っていらっしゃいます。
心療内科では診断がつかず、吐き気とともに「その場にいられない・逃げ出したい」という気持ちや、息苦しさ・動悸などの症状がありパニック障害ではないか、と感じていらっしゃるようです。
直接診察しているわけではないので、正確な診断は分かりませんが、Nさんの症状をみる限り、「嘔吐(おうと)恐怖症」というものだと思います。嘔吐恐怖とは、人前などで「吐いてしまうのではないか」という強迫的な不安に襲われるもので、そのために電車やバスなどの公共交通機関に乗れない、生ものなど特定の食品を食べないなど生活に支障をきたすものです。Nさんの言うようにパニック障害の一種とも考えられています。
慢性的に吐き気が続くのは辛いですし、吐き気が続くと、人前で吐いてしまったら…と不安になるものですよね。ただ、Nさんは実際に人前で吐いてしまったことはあるでしょうか。おそらくは吐き気と「吐いてしまったらどうしよう」という不安はあるものの、何度も吐いてしまったということはないのではないでしょうか。「もしも〜だったらどうしよう」「もしも〜してしまったらどうしよう」という不安のことを予期不安と呼びます。この予期不安のために、本来Nさんがやりたい生活が狭まってしまっているのではないでしょうか。
もちろん、吐き気があるのは嫌だし、吐くことへの不安も辛いとは思います。しかし、そのために、本来Nさんがやりたいことを諦めてしまっているのであれば、それはとてももったいないとも思います。吐き気がなくなったら、あるいは、予期不安がなくなってから、やりたことをやろう、とすると、症状にとらわれてしまって、身動きできなくなってしまいます。ですから、吐き気がありながら、予期不安がありながら、おっかなびっくりで構いません。Nさんがやりたいこと、ちょっとでもいいから手をつけてみましょう。
美味しいものが食べたいな、と思って、スーパーに買い物に行くのでもいいですし、外の空気が吸いたいなと思って、近くの公園まで散歩に行くのでも構いません。症状がなかったら、Nさんがやりたいこと、ちょっとでもやってみてくださいね。応援しています。
(谷井一夫)
「離脱症状について」 '19.3
こんにちは、Mさん。現在、Mさんは新たな転院先を考え、治療に奮闘されているように思います。その際、転院先で取り扱われていないジプレキサの断薬を巡って、戸惑われていると感じています。
離脱症状とは、一般に向精神薬によって均衡が保たれていた脳内の神経伝達物質や自律神経などが断薬により崩れ、様々な自律神経症状、緊張、そして不安などを呈した場合を指します。断薬後、数日から離脱症状は出現し、数週間で収まると言われますが、長い場合は数年に及ぶこともあります。向精神薬の離脱症状で一番問題になる薬物は、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬や睡眠薬などですが、抗うつ剤や抗精神病薬についても離脱症状の報告がしばしば認められます。個人的な臨床経験にはなりますが、ジプレキサの場合も抗不安薬ほどではありませんが、断薬後、睡眠の質や食欲の減退、そして多少の苛立ちなどが認められます。
離脱症状に対する治療的な対応については、まだ一定の見解が得られていません。しかし、私自身は二つの方向から善処するように心がけています。一つは、急な断薬ではなく、数週から数カ月(時に数年)をかけて段階的に減薬することで、離脱症状を最小限に収めるようにします。我々は、環境の変化然り体内環境然り、急な変化によって心身の不調をきたすものです。そういう観点から、段階的な減薬は心身の変調を最小限に収める治療的配慮と言えるでしょう。
もう一つは、日頃から体調に気を払い、体力を落とさないように心がけることです。何故なら、自律神経は脳内の神経伝達物質だけでなく、体力によっても大きく影響をうけるからです。そのため、日頃から体を動かし筋肉量を落とさないこと、そして循環を良くするように体を安易に冷やさないこと、そして第二の脳である胃腸(特に小腸)を冷やさないことが重要です。
森田先生は当時患者さんに、作業を通じて体を応用に動かすことを指示しました。当時は神経症のとらわれを打破するための治療方略でしたが、これは何も神経症の治療だけでなく、離脱症状からの回復での上でも重要です。内服を離れるという作業は、身体には緊張を、心理的には心細さという不安を喚起させることに他なりません。そのため、離脱症状によって生じた心身の反応を自然なものと捉え直し、その症状を排除するのではなく、症状を抱えるだけの身体機能を高める取り組みへと転換する働きかけが重要となるのです。今はまだ不安で一杯でしょうが、Mさんにとって少しでもよい生活が待っていることを願っています。
(樋之口潤一郎)
「家族についての悩みと不安」 '19.2
Pさんは、息子さんが就職に失敗し無職の状態が続いており「死にたい」などの言葉もあって、更年期うつが一旦はよくなっていたものが、不安感・不眠・食欲減退が強くなっていると書き込まれています。
息子さんのこと、ご心配ですね。特に「死にたい」という言葉は、お母さんとしてとてもつらい言葉だと思います。 今は、不安でつらい、というのが無理もないことだと思います。不安に思う事で自分を責めることは止めましょう。 「息子を精神科に受診させることしかできない」と書かれていますが、息子さんの受診のサポートはとても大切なサポートだと思います。
大切な家族のことだからこそ、自分のこと以上に「不安をそのままにおく」ことが難しく、またそうすることに罪悪感をもってしまうこともあるでしょう。 けれども、息子さんのことだけに注意を向けすぎてしまうと、息子さんもそれを感じてますます敏感になる、という悪循環も起こります。恐らく息子さんも家にいて、二人だけで家にいる時間も長いのではないでしょうか。長い時間でなくても良いので、外に出る時間も作れるといいですね。人と会うことがきついときは、公園などで少しの間座っているだけでもよいでしょう。少しずつ、緑や花などが目に入ってくるといいですね。
不安に思うことを一人で抱え込む状況を作らないことも大切です。誰にでも話せることではないと思いますが、信頼できる身近な人(家族、友人など)に話す、ご自身の主治医や息子さんの病院、カウンセリングなどで話していきましょう。 不眠や食欲不振も強いとのこと、主治医の先生ともよく相談されてください。
(塩路理恵子)
「抗不安薬の依存について」 '19.1
M様、抗不安薬の依存について不安ですよね。私たち精神科専門医が専門的な診立てをして処方をしていても受け取る患者様には常に不安が付きまといますよね。
そこでまず抗不安薬(ベンゾジアゼピン系、以下BZ)の退薬症候の特徴を記載しますね。BZ長期使用後の退薬時の症状は、再燃、反跳現象、退薬症候の3つに大別されます。再燃とは、ゆっくりと治療前の状態に戻る事を指し、原疾患が治癒していないことを意味します。反跳現象とはBZにより抑えられていた症状がより強く現れるもの、不安、焦躁、不眠などが有意に出現することを言います。退薬症候は離脱と同じことで、BZ中止により今までの症状に加えてそれまでなかった症状も出現することです。このように患者さんからすると元々の不安障害の症状か薬をやめた離脱かわからずよけい不安になると思います。
一般的なBZを減らす方法を示します。BZ治療終了の際は、まず緩徐な漸減が推奨されている。一般的には1か2週ごとに1日量の1/4から1/2ずつ減量し、4から8週かけて漸減、中止していきます。さらに長く16週かけてという意見もあります。専門用語で恐縮ですが、半減期の短い短時間作用型のBZ(簡単に言うとさっと効果が出てさっと抜けていく感じです)を投与していた場合は、退薬症状が出やすいため、一旦半減期の長い長時間作用型のBZ(簡単にいうとじわじわと効いてきて抜けるのもやや時間がかかる)に置換してから漸減することも推奨されています。あとはBZ以外の薬剤、選択的セロトニン取り込み阻害薬(SSRI)への置き換えです。
今書いたことは精神科の専門書にあったものです。また、減量についてはやはり主治医と相談して行うことが重要です。オープンに主治医に話してみて相談に乗ってくれる先生なら良いでしょうし、もし怒るような先生なら他の医師を訪れた方が良いかもしれません。ところが上記の対応だけでは、「また症状が起こるのではないか」と思ったりするでしょう。
仮に主治医と相談して減薬を試みても元来の不安障害の症状か退薬症状が出たりしますのでそこを乗り越えていくことが重要になります。M様は長年のんでいらっしゃるので、減薬したときはおそらく元々のご病気の症状よりも薬をやめた(退薬)症状が出てくる可能性がありますね。程度によりますが以上のような退薬症状が当初出るものと思っていると良いかもしれませんね。減薬の際、退薬症状が出るか出ないかに目が向きすぎると余計症状が出る可能性がありますので、減薬時も日々の生活実践を大切にしていって下さいね。
(舘野歩)