不安神経症の部屋
「不安脱出のウルトラCはない」 '13.12
Aさん、引きこもりになりがちな生活を変えようと工夫されているのはいい点ですね。「以前のように自由に」外出できるようになりたい。これは神経症に悩まれるすべての人が一度は口にする一言だと思います。そうなのですよね…. もどかしく、いらだたしい。または悲しい。いろいろな気持ちを伴った一言だと思います。面接の中でもよく話題に上るテーマです。
そのお気持ちはよくわかるのですが、引き込まざるを得ないほどの不安と恐怖があるのですから….今自由に何も気にせずに外出するのはやはり無理ですよね。この「自由に」「以前のように」を求めれば求めるほど、また自分の思い通りいかない状態に不満が募っていきます。そして、自分をたたく結果になってしまいます。残念ですが、この状況から飛び出すウルトラCはないのです。
Aさんがやっていらっしゃるように、息苦しさをまた不意に感じるのではないかといった不安はあるけれど、何とか家の周りを散歩してみている、そういった行動の積み重ねが大切です。そして用事のある時には、その用事のために外出してみられるといいですね。不安だから家の周りだけ、にしてしまってはいませんか? 簡単ではないかもしれないけど一歩出てみる。そういう中でしたいと思っていたことを「せめて」1つでも済ませる。その積み重ねが自分の求めている生活を取り戻すことに繋がっていくと思います。不安が出た時にはフォーラムでも話題になっていたようにリラクゼーションや呼吸法、本や音楽を聴いてその場をやり過ごす方法がありますね。何とかその場をやり過ごしながら、目的を達成していっているうちに、だんだんそこまで身構えずに出かけることができるようになっていく。しかし、中にはそれだけではリラクゼーション大家になってしまって、「何とか不安を避けねば」という不安へのとらわれが変わらないという方もいます。その場合は… 森田先生の基本の教えにあるように、その不安がどう発展していくかをその場でよくよく観察してみることが不安を拡大させない方法として有効なようです。
(今村祐子)
「不安常住」 '13.11
AさんやBさんは不安で悩んでいます。Aさんは(厭な事があるとそれが頭にこびりつき、またその事が起きるのではないかと頭が占領されてしまう)とのこと、Bさんは(失敗したらどうしよう、間に合わなかったらどうしようと不安になる)とのことです。
高良先生は以下のように仰っています。「人間は不安の器、不安を入れる入れ物」と、つまり我々が生きていく間は不安というものはつきものだということです。そのため不安を特別扱いしないことです。「自然も社会もつねに自分のために良く出来ているものではないのだから、思うようになることよりもならないことの方が多く、自分が努力してそれに順応しなければ処理していけないということです。」と、つまり不安を排除しようとせず、うまく付き合うことが大事になります。
「将来のことを考えても自分がどうなるかという不安は必ずあります。不安がなかったらうつろになります。不安があるからこそ努力するわけです。」とも仰っています。どうしても不安に目が行きがちになるものですが、不安ながらに行動するよう努めていきましょう。頑張って下さい。
(矢野勝治)
「全般性不安障害に対する森田療法」 '13.10
Oさん、四年間も通院されてSSRIなどを服薬されても回復されず大変お辛い状況ですね。まず全般性不安障害について簡単に説明致します。
全般性不安障害とは、多様な状況についての過剰な不安や心配が6ヶ月以上続きそれらを制御することが困難な病態です。全般性不安障害の症状はよくうつ病の症状として出てくることがあります。Oさんも「やる気がおきない」とおっしゃっていて心配ですが、抗うつ薬を4年間お飲みになっていらっしゃるので、うつ病の急性期(極期)は脱しているとの前提でお話しを進めますね。
一般的に全般性不安障害が不安障害の一部であるのでSSRIをはじめとする薬物療法が推奨されています。しかし実際にはSSRIは全く不安を取り去ることはできず不安を軽減するためであると位置づけることが大事です。全般性不安障害にどのように対処すればよいのかを以下に述べます。
全般性不安障害を持つ人の多数が自分は生来ずっと不安で神経質だったと報告すると米国の精神医学ガイドラインであるDSM-IV-TRマニュアルに記載されています。つまり全般性不安障害を持つ人の背後には心配性で神経質な性格が潜んでいることが米国でも指摘されているわけです。
しかし1920年頃すでに森田は神経症の背後に共通の神経質性格を見出しています。神経質性格とは、内向的・心配性・受動的といった弱力面と、几帳面・完全主義・強迫的といった強力面の両面を持つ性格特徴を指します。神経質性格を基盤に症状へ「とらわれて」いる状態を神経症と森田は考え、性格素因を認めつつも精神療法の可能性、つまり変化していく可能性を見出したのです。
全般性不安障害に対する森田療法的なアドヴァイスを作成すると以下のようになります。
(1)様々な心配事を確認したり予期不安を打ち消そうとすると心配や予期不安がますます増大するという機制を理解する。
(2)対処として不安はそのままにしておけば時間と共にピークは下がることを経験する。
(3)不安や心配をしつつ建設的な行動を広げていく。
(4)神経質性格の長所を生かす。これは森田が神経質には長所と短所があると述べているように、元来の神経質性格をポジティブに生かす視点があります。
あとは、66歳頃から発症していることを考えると失礼ながらお仕事が定年を向かえ、今までの仕事中心の生活からどう生活していくかの転換期にいらっしゃるのかもしれません。先程、建設的な行動を広げる、神経質の長所を生かすと書きましたが、最初から大きな目標を掲げすぎずに、まずは部屋の片付けなど日常生活の中ですっと体を動かすことから始めではいかがでしょうか。
(舘野 歩)
「パニック発作の正体」 '13.9
Pさんはパニック障害を再発し、一人でいることが不安で困っていらっしゃいます。パニック発作はとても強い恐怖を感じるものですので、不安が強くなるのも無理はないと思います。これを克服する準備として、まずはパニック障害とはどういうものか、ということを正しく理解していきましょう。 パニック障害の中心的な症状は、繰り返し起こるパニック発作です。パニック発作とは急激な自律神経の緊張によるもので、強い恐怖感(「このままでは死んでしまうのではないか」「意識を失ってしまうのではないか」など)、動悸、心悸亢進、心拍数の増加、発汗、震え、息切れなどの症状が突然起こります。そして10分以内にピークに達し、数分から数10分で納まっていきます。
強い恐怖を感じますが、実際には「死んでしまう」とか「コントロールをなくしてしまう」といったことは起こりえません。そして、今起きていることがパニック発作だと分かり、パニック発作はほっておけば、時間とともに自然におさまっていくものだということを忘れないでください。このことが体験的に分かってくれば、パニック障害は半分治ったようなものです。
パニック発作を繰り返していると「また発作が起こるのではないか」という予期不安が起きるようになり、発作が起きそうな場所や状況を避ける「広場恐怖」を伴うこともあります。こうなってくると、不安になる場を避けるために生活範囲が狭まり、普通の生活が送れなくなってしまいます。いわゆる森田のいう「病気を恐れて、病人の生活に陥っている」状態になります。こうなると、ますます病気に注意が向いて悪循環していきます。
Pさんにはまずは症状に関連したことだけでなく、生活全体を充実させていくことをお勧めします。家にいても、毎日不安に駆られて無為に過ごすのではなく、家にいてもできることを探して行動してみましょう。一人で家にいて何も出来ないということはないはずです。好きな音楽を聴く、DVDを観る、でも良いでしょうし、部屋の掃除や片付けなんかでも良いと思います。それなりに日々の生活が充実していくことで、不安に振り回されずに生活できるようになっていくはずです。焦らずコツコツと出来ることから行動してみてくださいね。
(谷井一夫)
「ただただ、ひたすらに、目前のことに没頭すること」 '13.8
Rさん、こんにちは。Mさんから、森田先生の文章をいただいていらっしゃいますから、特に私の方から、新しいことがあるわけではございません。森田先生の文章を読みますと、なんだか元気が出てきますね。「自然に服従し境遇に従順なれ」「ただ向上一路あるのみ」などなど。森田先生の素晴らしいのは、言葉が上滑りせずに、森田先生の身体そのものから私たちに語りかけてくるその真実性にあるように感じます。森田先生ご自身が、神経質の一人の人間であるという事実から発している言葉であり、決して上から我々に語りかけているわけではありません。我々と同一線上から、真摯に言葉をつむいで語られていらっしゃいます。そこに人間としての森田先生の温かみ、真実性があると言えましょう。その人間としての真実性を示しつつ、我々に普遍的に有用である科学的なお言葉を語られているところに、100年の時空を経ても、今なお我々がその言葉に救われるのでしょう。
森田先生は「生きとし生けるものは生命の力と向上発展の欲望がある」「生物はみなそれぞれ分に応じ、心身ともに念々刻々、その最良の方法による活動と営々の努力によって、実に永遠無窮の進化発展をしているように思われる」と述べ、人間が人間として存在する以上そこには「人間が生きるための欲望」があると考えました。そして、この「人間が生きるための欲望」を「生の欲望」として概念化されたのでした。森田先生は、ご自分が創始された森田療法を世界に広めたいという希望を強く持っていらっしゃいました。数回にわたって、九州大学の下田光造先生の力を借りながら、ドイツ語の論文としてドイツへの学会誌に投稿をされました。しかし、残念ながら、森田先生の論文は採用されませんでした。このことをひどく森田先生は残念がられ、非常に落胆されたそうです。
しかし、森田先生は、投げ出すことはなく、失意、落胆のそのままに、目の前の神経質の患者さんに力強く森田療法を実践し続けていったのでした。そして、ドイツへの森田療法の論文が採用されなかった時から100年の時を経て、今や北米、オーストラリア、中国へと森田療法は普及し、本年度の国際森田療法学会はロシアで開催されたのでした。こうした森田療法の世界的発展を森田先生がお知りなったらどれだけお喜びになられたことでしょう。こうした結果が早くに得られれば、それにこしたことはないでしょう。しかし、森田先生の姿勢は、こうした結果を求めての努力の姿勢ではなく、ただただ、「今ここで」の現在に没頭すること(現在になりきること)を実践されていらっしゃったのです。この態度こそが、不安、迷い、煩悩への「とらわれ」から脱却する唯一の方法なのです。
我々、人間に生じる、不安、迷い、煩悩にとらわれることなく、不安、迷い、煩悩のままに、ただただ、ひたすらに目の前のことに没頭すること、これこそが森田療法の真髄なのです。その模範としての生き様を見せていらっしゃったのが森田正馬先生と言えます。ここに「生の欲望」の実践の人としての森田正馬先生の御姿がございます。我々も、森田先生の気魄に満ちた、ただただ、ひたすらに目前のことに没頭する姿に少しでも近づきたいものですね。
(川上政憲)
「身体の症状と付き合いながらの姿勢で」 '13.7
Rさんは、少しでも体調が悪いと調べて病気にかかっていないか心配になり病院を受診してしまうことに困っています。
これまでも、御自身なりに不安にならないようにであったり、調べない方がよいと言われ調べないように努力されたと思います。しかし一旦気になることに不安に負けてインターネットで調べ、病院を受診するんですね。
この心配「病気だったらどうしよう」は、病気になりたくない・死にたくない思いから生じていると考えられます。3年前にお母様が乳癌に罹られた際に恐怖を覚えたとのことです。身近な大切な人が癌に罹ったことから御自身の病気になりたくない・死にたくない思いに繋がったと考えられます。
心配は尽きないものです。現在、医療機関で「問題ない」と言われているのであれば、気になっている症状を棚上げするようにしてみましょう。そして体調と付き合いながらその時々に出来ることに手をつけて行くことです。そうするうちに心身のリズムも整っていきます。身体の症状と付き合いながらの姿勢で、少しずつ自分の生活を取り戻していって下さい。
(矢野勝治)
「無呼吸について」 '13.6
こんにちは、Tさん。現在、呼吸が止まるという症状に悩まされているようですね。夜間の呼吸困難でしょうから、心細さも一塩ではないかとお察しします。ところでTさんの呼吸困難の本体は一体どのようなものでしょうか?
Tさんが、始めに耳鼻科的疾患を疑って受診されたことは懸命だったと思います。というのも、呼吸困難を安易に心理的問題と捉え、器質的異常が見過ごされてしまっては一大事だからです。文面から、恐らく耳鼻科に関連する咽頭、喉頭、そして気道などの問題はなさそうですね。
次に睡眠時無呼吸症候群(以下SAS)の可能性についてTさんは否定的ですが、やはりこの点についてもきちんと調べておく必要があると思います。SASは無呼吸から呼吸苦に陥り、夜間に寝不足をきたす疾患です。そのため日中に過度の眠気に悩まされる特徴を有しています。Tさんの場合はどうでしょうか? もし心配であればSASを専門的に扱っている耳鼻科や呼吸器内科の受診を一度おすすめしたいと思います。
また夜間の動悸や呼吸苦に見舞われた際、意識が遠のくなどの症状を持ち合わせていたとしたら、てんかん発作の可能性もあると思います。その際は神経内科や脳神経外科などで頭部MRIや脳波検査を受けてみてください。
けれども、これらの疾患も否定されたとしたら、やはりパニック障害による発作(以下 パニック発作)を考慮する必要があるでしょう。パニック発作は、死への恐怖、呼吸苦や動悸などの自律神経症状を持ち合わせた突発的に発生する不安症状です。発作中に森田療法で言われる「今になりきる」などの姿勢に徹することはそう容易いことではありません。
しかし、パニック発作は15分程度をピークに山なりに軽快し、1時間程度で消失するのが一般的です。そのため、パニック発作の特徴を知ることは、いざ呼吸苦に襲われた際、「どの程度耐えたらよいのか」などの目安をTさんに教えてくれることになるでしょう。さらに発作時に冷水で咽頭を冷やすことも、症状を軽快させることに一役買っているようです。もしかしたらTさんも症状が起こった際、水分を摂取することで知らず知らずに軽快させる方策をとっていたのかもしれません。
最後に、パニック発作を起こす背景には、日頃、自分自身を緊張に追いやる生活状況や心身の疲労が関係しているように思われます。Tさんは、どうでしょうか? 呼吸困難は確かに苦しい症状ですが、症状以外の生活面を見直してみることも、状態改善の上では有効であると考えます。特に根を詰めて生活が偏っているとしたら、バランスを整えて、ゆとりある生活を心掛けていきましょう。そして少しでもリラックスすることを大切にしていってください。今後Tさんの状態が少しでも好転することを願っています。
(樋之口潤一郎)
「"死の恐怖"の裏には」 '13.5
Sさんは「中学に入った頃から突然、何を見ても死を連想するようなりいつも頭から離れません。高校2年生になった現在もそんな状態が続いていて憂鬱な毎日です。」と書き込まれています。
苦しい状況ですね。
森田先生も「我々の最も根本の恐怖は死の恐怖であって、それは表から見れば、生きたいという欲望である」と述べられています。森田先生自身が、子供のころ近くのお寺で地獄絵図を見て、「死の恐怖」にさいなまれた体験を持つことはよく知られています。
思春期は、「生きる」ことに向かう心が強くなる時期である分、「死の恐怖」も強くなる時期と言えます。 おそらく、その連想を「止めよう」とすることでは、ますます頭から離れなくなっているのではないでしょうか。その恐怖を消そうとするのではなく、「おっかなびっくり」、その時にできる目の前にあることに手を付けてみましょう。そうするうちに、Sさんを取り巻くものの、「そのものの姿」(死を連想させる側面だけでない)が見えてくることでしょう。
短い書き込みなので具体的な状況はよくわからないのですが、周りの信頼できる大人の人に相談はできているでしょうか。ご両親や先生、高校であればスクールカウンセラーさんもいるかもしれませんね。あまり苦しいようでしたら、病院を受診することを含めて、相談してもよいかもしれません。
Sさんは、フォーラムという場所を見つけて、きちんとした言葉で相談する力を持っている力を持っておられることを感じます。周りの人のサポートも受けながら、一歩ずつ歩んでみてください。
(塩路理恵子)
「経験から学ぶ〜どんな経験も成長の糧〜」 '13.4
Kさんは、30年近く、人との関わり方に悩んでいるとのことでした。かつていじれめられた経験から、学校に行かれなくなり、家に引きこもってしまったこともあり、「社会の中で人生の訓練をするという大切な経験が何一つ出来なかった」と書かれています。
とはいえ、自分の宝であるお子さん二人を育てられており、今はパートにも出て、頑張っておられる様子。ご本人が評価しているよりも、実際は色々努力し、その中で得た経験もあるのだと思いますが、そこから何かを得たという実感が持てないのだと思います。
いじめられる経験は自尊心を傷つけられると同時に、人を信じる心を傷つけます。Kさんも、いじめられたことにより、また同じことが起きるのではないだろうかという不安から、相手の反応を過度に気にしてしまったり、相手の態度や言葉を信じられなくなってしまったのではないでしょうか。こうした反応は自分を守ろうとするものであり、ある意味自然なことです。しかし、傷つきたくない気持ちから、心を閉ざしてしまったり、相手の態度を深読みし過ぎてしまうと、逆に分かり合うことが出来なくなり、結果的に対人関係がギクシャクして孤独感を強めてしまうこともあるでしょう。つまり、自分を守るために身構えることが、かえって自分の傷を深めてしまうのです。でも、過去の辛さを思うとありのまま自分を出したり、相手と関わることも難しい。
では、どうしたら良いでしょうか。良い経験さえしていれば・・・と、恨めしく思うのは、本当は人との交流を欲しているからこそでしょう。不安ながらもパートに出て、職場の人やパート仲間に一生懸命話しかけたり、ゆっくりと落ち着いて話すよう心がけたりしているのもKさんの思いの表れだと思います。そうであるならば、その思いを大切にして、まずは色々な経験の貯蓄を目標にしてみたらどうでしょうか。経験がどんな結果を生むかは、貯めてみてからわかることです。
これまで人と関わる経験が少なかったのであれば、全てはこれからです。経験以上の学びはありませんし、どんな経験でも必ずいつか自分の糧になるはずです。ただし結果を焦ってしまうと、逆にこれまでの人への見方(不信感)がよみがえり、気負いがまた傷を増やしてしまうでしょう。そうした事態を避けるためにも、人との関わりで色々な気持ちが生じたときに、一拍置いてその気持ちを眺めてみたらどうでしょうか。今、自分はどんな気持ちなのか、どうしてそういう気持ちになっているのか・・・。不当な扱いをされていると怒りを感じているとしたら、その根っこには、ちゃんと理解してほしい気持ちがあるのかもしれませんし、それが上手く伝わらなくて傷ついているのかもしれません。少し間を置いてみると自分の気持ちも、相手の様子も落ち着いて見ることが出来るものです。そこで、どんな風に伝えようか・・・と自分の振る舞い方を考え、それを試してみるのです。全てはこの繰り返しと積み重ねでしょう。上手く出来なかったと思う経験は、次に生かせば良いのです。こうした経験からの学びは、Kさんが始めた日記で、より深めることが出来るのではないでしょうか。
4月22日の日記で、マネージャーに文句を言ったり、避けられているのをいかんと思って、積極的に話しかけた自分について、「おとなしい反面こういうところもある自分が不思議だ」と書かれていますが、経験してみて、改めて自分の違う一面を知ることもあるでしょう。経験することは、人との関わり方だけでなく、自分を知る契機にもなります。自分を知ることは、実は対人関係の第一歩とも言えるのです。
(久保田幹子)
「痛みと不安の交互作用」 '13.3
Kさんは、肺がんの手術後、胸部の痛みが続き、最近では頭痛、歯痛、指先の痛みなど身体各部に痛みが広がって苦しんでいらっしゃるのですね。また家族がそばに居ないと不安でいられなくなっているとのことです。
手術の後は、創部がきれいに治っていても痛みが暫く続くことは稀ではありません。特に胸郭は呼吸など動きの多い部位なので、何かの拍子に胸部の筋肉に力がかかったときには、引き連れるような痛みが起こることもあるでしょう。こうした痛みはたいてい半年くらいすると次第に改善してくるものです。けれどもKさんの場合には、通常の術後の痛みだけでなく、不安が痛みにも多大な影響を及ぼしているようです。不安が強い時には筋肉の緊張が起こり、痛みが生じやすくなる上に、不安な気分で常に注意がその部分に向けられると、より一層痛みが強く感じられ、益々不安と緊張がつのって痛みにとらわれるという悪循環が起こっているのではないでしょうか。森田のいう精神交互作用が働いているということです。そのような状態が続くうちに、Kさんご自身が記しているように、痛みの感度が上がる、つまり痛みを知覚する脳の部分が過敏になってきた可能性も考えられます。
このように持続する痛みに対しては、ある程度薬物療法の効果も認められます。Kさんはすでに抗不安薬を飲んでいらっしゃるとのことですが、最近ではある種の抗うつ薬(サインバルタなど)やリリカという神経障害性疼痛の治療薬などがよく用いられており、痛みに対する感受性を鎮める作用ありますので、かかりつけの先生と相談されてみてはいかがでしょう?
けれども薬の効果は補助的なもので、薬だけで痛みを除去することを過度に期待するとかえってとらわれを強めてしまいます。一番大切なのは不安に対する姿勢を改めていくということです。Kさんは不安を避けようとして一人で行動しなくなっていたのでしたね。そのような対処(はからい)は、一時の安心と引き換えに自分自身への信頼を失い、不安に包囲されて身動きの取れない生活を招くことに帰結します。こうした自縄自縛から脱するには、薬も味方につけながら、一人で買い物に行くなど、これまで避けてきた行動におっかなびっくり踏み込んでいくことがなくてはなりません。このフォーラムで紹介されている他の方々の体験や助言を参考にして、建設的な行動を広げ生活を立て直していくことが、ひいては痛みにとらわれた現状を打開する手立てにもなるのです。
(中村敬)
「”もしも”を優先して損していませんか?」 '13.2
血のひく感覚とそれに伴う不安から外出が怖くなり大変お辛い状況ですね。Sさんの性別、年齢がわからないので的外れのことかもしれませんが、血圧測定はされていますでしょうか?血圧のコントロールが悪く、立つ時に症状が出るのであれば、起立性低血圧か否かを内科医にチェックしてもらうことも大事です。また、まれに脳波に異常がありますとこのような症状が出ることがあります。救急にかかって頭部CTやMRIをとり血液検査をすることは多いですが脳波は救急では行わぬことがほとんどなのでもしチェックしていないのであれば念のためチェックをした方が無難でしょう。あるいは心臓の検査(心電図)などでも異常はないですよね?
血圧や脳波含め身体や脳の異常でないと仮定しましょう。
緊張する際に血の引くような感覚になるのであれば、社交不安障害とパニック障害の両方の要素を併せ持っていることが考えられます。そして外出恐怖が重なり、広場恐怖へ発展してしまいそうな様相ですね。こう書きますと色々な病気を併せ持ってしまったと悲観的に思われるかもしれません。上記の診断名は現代の診断基準によりますが、森田は様々な不安障害の背後にある共通の神経質性格、症状への「とらわれ」の機制を見出しました。ですからこのお部屋ではだめと思わなくて大丈夫です。
「また倒れるのでは」という予期不安からますます不安が大きくなってしまっています。「もしも」のために外出の機会が減りご自身が色々なさりたいことが出来なくて歯がゆいのではありませんか?先ずは近場で構いませんからご自身にとって必要なこと(例えば買い物など)のための外出をおそるおそるしてみてはいかがでしょう?最初自分だけで外出して倒れたらどうしようという不安が強いのであれば、最初はご家族とご一緒でも良いと思います。そして行動範囲が広がってきてから徐々にご自身だけで不安を抱えつつ動くようにしてみてはどうでしょうか?この文章を見て最初、足がすくむかもしれません。しかし「もしも」の予期不安でご自身がやりたいことができないのはとてももったいないですよね。一歩を踏み出す勇気で行動を変えれば不安のレベルも下がっていきます。
(舘野歩)
「無理に気を紛らわそうとしない」 '13.1
Dさんは小学校の時に心臓が肥大して肺を圧迫するという病気で「息苦しい」という辛い体験をされました。その後、その病気は治ったものの、「息苦しい」ということに不安になり、パニックや過呼吸になりかけて悩んでおられます。また、扁桃腺が腫れて熱が出ると喉に異物感が出て、「苦しいかな?」と思うと不安が強くなって、過呼吸になることもあるようです。
Dさんの小学校の時の病気は大変苦しかったのだと思います。それが治った今でも、その苦しさはよく覚えているのでしょう。その為、喉の異物感などのきっかけで、「息苦しい?」と感じると、そこに注意が向いてしまい、ますます「息苦しさ感」が強く感じられ、ちゃんと呼吸しようとして、過呼吸になってしまうのではないでしょうか。 このように、「神経質な人が身体のどこかに違和感を覚えた時に、過敏に病気を恐れて、その部位に注意を向け、その結果、一層違和感が強く感じられ、ますます病気の恐れがつのっていくといったような悪循環の事を森田療法では「精神交互作用(注意と感覚の悪循環)」と呼んでいます。
Dさんの場合、実際に小学校の時に病気で「息苦しい」という体験をされているので、その感覚が気になるのも無理はありません。しかし、前述のように、「息苦しさ」に注意が向けば、ますますそれが強くなる事も体験されていますね。ふとした時に「息苦しいかも?」と感じてしまう事自体はある意味、制御不能なものだと思います。
しかし、悪循環に関しては打破する事が出来るものだと思います。この悪循環を打破する方法はこのホームページに沢山のヒントがありますので、色々と参照されて下さい。
その中で、まずは
(1)「息苦しさ」が身体の病気からくるものではないということを知る事。
(2)「息苦しい感じ」は永遠に続くものではなく、時間とともにゆるやかに改善してくるものであると知る事。
(3)その上で、注意を本来の目的の方へ向けて行くこと。
・・・をトライしてみてはいかがでしょうか。
(3)は「気を紛らわす」に似ているようで、少し異なります。「気を紛らわそう、息苦しさを考えないようにしよう」と考える事は、「息苦しさ」に注意を向けている事と同じ事になってしまい、悪循環が起きてしまいます。無理に気を紛らわそうとするよりも「息苦しいかもしれないな」と感じながら、今目の前の事、今やっている事、に注意を向け、手を出していく事がコツです。小学校の時の病気を乗り越えたDさんならやれるはずです。頑張ってくださいね。
(谷井一夫)