不安神経症の部屋
焦らず、慌てず、諦めず '05.12
Mrさん文面拝読させていただきました。文面からMrさんが日々、自分の生活をとても大切にされ頑張っている様子が感じられました。ところで、今MrさんはPTAの役員に当たるか否かでとても不安になられているようですね。特に人前で話すことが苦手であるとすれば、PTAの仕事を不安に思うことはごく自然なことのように思います。
だとすれば何といってもPTAの役員が当たらないことはMrさんにとって一番よいことなのでしょう。けれど、もしPTA役員の仕事に当たってしまったとしたら、ここは覚悟を決めて引き受けてみては如何でしょうか?ただし引き受ける際に「緊張して上手く話せなくても目的を果たすことが大事である」「PTAは人の役に立つことだ」などとあまり自分自身に強く言い聞かせない方がよいかもしれません。
森田先生は形外会の講話の中で「神経症の人々は人に対してももっと思いやりがなければならぬ」と述べておられます。つまり、本来であれば相手に配慮しながら事に当たることは森田療法では大切な姿勢でもあります。でも、配慮の気持ちが強すぎてしまうと逆に「かくあるべし」の態度を強め新たなとらわれを生むことになってしまいます。Mrさんの場合であれば、この新たなとらわれ故に「PTAの仕事をこなす」という本来の目的から離れてしまうのは大変勿体なく感じます。もしかしたら「面倒なものにあたって嫌だなー」という気持ちを否定せずにPTA役員を引き受けるくらいの方が、森田療法でいうところの「あるがまま」に近いような気がします。
さらに文面からMrさんがまだ当たってもいないPTAに対して、「早く慣れて、上手くこなさねば」という思いをすでに強く抱いているような印象を受けます。PTAのような不慣れな仕事であれば慣れるまでにそれ相応の時間が必要になるものです。ここで早く慣れようとして焦ることは禁物です。
むしろ「少々不器用であっても粘り強くこなすことで、後から自然に自信がついてくるものだ」といったくらいの気構えをもつことが大切であろうかと思います。何事もやってみないと分からないものです。
苦手なPTAであっても「焦らず、慌てず、諦めず」の精神で地道に取り組んでいるとMrさんに新しい経験と発見を必ず与えてくれると思います。大変でしょうが是非頑張っていただきたいと思います。
(樋之口潤一郎)
たくさんのものと関わる幸せ '05.11
Htさんは「家事どことろじゃないときこそ、家事を」が今できることでありモットーだと、Hpさんは「頭がごちゃごちゃしてくるときは、洗濯、掃除、草引きといろいろやります」と書かれています。
日常を大切にされる取り組み、とても良いですね。
森田先生の弟子の高良先生は、「日々是好日」について次のように述べておられます。毎日期待を持って生活するような日が「日々是好日」なのだ、と。
その期待が生まれるのは、自分が手を掛け、いろいろなことをすれば、そこから「どうなったかな?」という期待が生まれてくるわけです。
たとえば自分が育てた植物には、特別な愛着がわいて、ついつい見に行ってしまいます。私の好きな「星の王子様」にも地球に来た王子様がたくさんのバラをみて、バラが特別な花ではないことを知ってがっかりするけれど、「僕が毎日水をあげて、毎日覆いをかけてあげたあの花はやはり特別な花なんだ」と思うくだりがあります。
同じように家事でも、キッチンがきれいになれば「さあ何を作ろうかしら」と思うし、「ここで塩をひとつまみ足したらどんな味になるかしら」と期待(ハラハラ、でしょうか)しておられるのではないかと思います。
スポーツでも、勉強でも何かに取り組めば、「この前よりよくなったかな」という期待が生まれます。
すぐに結果を求めてしまいがちだけれど、そのプロセス自体を大切に。
森田療法では、不安そのものに「恐怖突入」していくことと、不安に関わらず行動や生活を広げていくことの二つの方向を重視します。
たくさんのもとと関わって、働きかけることができれば、それがすなわち「好き日」になることでしょう。
(塩路理恵子)
パニック障害の薬物療法について '05.10
M123様、Ht様へ、現在は神経症に対する様々な薬があり、どのように薬を使用していったら良いかわからないといったお気持ちが伝わってきます。現在不安神経症はパニック障害と全般性不安障害に分けられております。今回はパニック障害に対する薬物療法ついて述べることにいたしました。ご参考にしていただければ幸いです。
最近不安神経症はパニック障害と言われ、塩酸パロキセチン(商品名:パキシル)やフルボキサミン(商品名:ルボックス、デプロメール)などのSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を第一選択薬として使用されることが一般化していて症状軽減の効果はあります。効果が出るまで一般的には2から4週間かかるといわれているため実際は抗不安薬を併用することが多いのです。このSSRIは抗不安薬に比べて離脱症状が少ないと当初は言われていましたが、最近SSRIの中で特に塩酸パロキセチンを急に中断すると動悸などの自律神経症状が出現するといった離脱症候群があると報告されています。ただ急激に塩酸パロキセチンを減らさなければこの離脱症状を発現させなくてすむことが多いのです。
ただ以上のような薬物療法の効果のみに頼っていては、「薬をやめたらやはり症状(主にパニック発作)がでてきた。」「いつ薬を飲むのをやめたらよいのだろう」とおっしゃる方が多いのもまた事実です。そこで森田療法的とSSRIのような薬物療法をうまく組み合わせてパニック障害を乗り越えていくのが大事になってきます。あくまで薬物療法の効果は限定的で症状をある程度軽くするものと思っていたほうがよろしいでしょう。パニック発作が繰り返し起こるような時はまずSSRIを規則正しく服薬することが大事です。その上でパニック発作への「予期不安」を受け止め、不安の背後にある「生の欲望」に従って行動するようにしていきましょう。このような生活を実践できるようになり、不安とうまくつきあえるようになってから徐々に担当医とも相談しながら薬物を減らしていくのが得策かと思います。
(舘野 歩)
「転ばないように」ではなく「転んだ後にどう立ち上がるか」 '05.09
皆さんの書き込みを見ていると、それぞれが症状を抱えながら、何とかその波に押し流されないように励ましあっている様子がわかります。こうした励ましあいや、それぞれの知恵の出し合いが、また波にのまれない浮き輪の役割になっているのだと思います。
Obさんも朝礼の時の不安・パニックに対して、初めは心の中でバタバタしていたものの、ピンチは再認識のチャンスと思うと症状が消えていった、と書いています。「ピンチは新しい体験のチャンス」という言葉は、私たちも頻繁にアドバイスとして使いますが、確かに不安発作のさなかは苦しいものですし、同じ思いをしたくないという気持ちも非常に自然なものだと思います。ただし、それが起こらないように自由にコントロール出来ないのもまた事実です。
転んで痛い思いをすると、当然我々は転びたくないと思いますし、また転んだらどうしようと思います。しかし、転ばないようにしようと思えば思うほどかえって力んでしまうでしょうし、不安も強まってしまいます。ではどうしたらよいのでしょう?
先ほども書いたように、転ばないように身構えたり、「転ばぬ先の杖」と用心をするのは逆効果ですから、転んだ時にどう立ち上がるかを身に付けていくのです。ただし、スマートにスクッと立ち上がる必要はありません。転んだ時には当然痛いわけですし、何ごともなかった時のように振舞うことも出来ません。とりあえず一呼吸おいてから、「痛いなあ〜」と思いつつ少しずつ立ち上がって、ソロソロと歩き出すことです。この「ソロソロ」の時に、「転んでもただでは起きないぞ」くらいの気持ちで、とりあえず出来ることをやってみましょう。痛い思いだけで終わるのは勿体ないですから・・・。
その際に、くれぐれもすぐに痛みがなくなることを期待しないことです。痛みは少しずつですが、必ずひいていくものです。もう一つ加えるとしたら、「転ばないように・・・」と好きなことを諦めるのもとても勿体ないことです。「転んだらソロソロと起き上がろう・・・」くらいの気持ちで、今一度「本当はやりたいこと」に立ち返って、行動に移してみましょう。好きなアーティストのライブに「行ってきました!」と報告したMrさんの喜びを、皆さんにも是非体験してもらいたいと思います。
(久保田幹子)
ピンチはチャンス '05.08
Hdさんは書きました。「25歳の頃不安神経症の症状がでました。・・・それから30年相変わらず不安やとらわれがあっても森田療法を自己流に取り入れてここまで来ました。でも最近あのころのとらわれ、不安感のすべてがよみがえってきて、今回は正確に学びたいと思っています」。
Hdさんの書き込みをきっかけに再発の問題が話題になりました。できることなら、二度と不安症状を味わいたくないという気持ちはおそらくどなたもお持ちでしょうね。しかし症状の再発は、時には起り得ることなのです。不安神経症(最近はパニック障害や全般性不安障害とも呼ばれます)は、過労や日常生活のストレスがきっかけになることがよくあります。しかし人生においてはそのようなストレスをまぬがれない場合があるものですね。そのような状況で不安が生じたり自律神経が過緊張を来たすこと、それ自体は自然な心身の反応です。ですからこうした揺らぎはは起ると思っていたほうがいいかも知れません。そしてそんなときこそ、Hdさんが決心しておられるように森田療法の基本に立ち返ることが大切ですね。「一波をもって一波を消さんと欲す、千波万波こもごも起る」と森田先生が言っているように、不安は慌てて押さえ込もうとすればするほどエスカレートしていきます。時間が経てば波は自然に静まることが事実。同様に発作的な不安が起ったとしても、せいぜい数十分のうちには静まるものです。どうか波が起ったら、はからわずそのままにおくという森田療法の基本を思い出し、実行してみてください。うまく波に乗るコツは、何度か波にもまれて初めて体得できるもの。ピンチは体得のチャンスでもあります。
(中村 敬)
子育てを通して '05.07
Koさんは完全でない状態を受け入れられずに困っていらっしゃるようです。例えとして喘息を持つ息子さんのことをあげられています。maさんも言われていますが、大切に思う息子さんが病気で苦しんでいる姿を目の当たりにした時、母親としてどうしてあげればよいかわからずに不安になり、忍びない思いになるのは当然だと思います。もっと受け入れなければならないと思ったり、心揺るがずに対処しようと思うのではなく、実際に逃げ出さず傍にいて言葉をかける、それで充分ではないでしょうか。母親として出来ることを努力されている姿はすばらしいと思います。
出産や子育てを契機に不安が強まる人がいます。子育ては症状が生じやすい場面であるといえますが、その一方で自己成長のよい機会であるともいえるでしょう。頑張ってください。
(矢野勝治)
完璧すぎず、リラックスして '05.06
Htさん、こんにちは。掃除洗濯、料理を毎日完璧にこなした上に、このスケジュールは大変ですね。家事と外出と、両方に十分に気を配っていくことは難しいことでしょうね。しかし、完璧にこなす、というおっしゃられ方に主婦としての誇りが感じられます。
責任感と向上心が大変お強いかたなのだな、とも存じます。Htさんの体験について、私なりに感じたことをお伝えさせていただきます。胃腸神経症もパニックも焦燥緊張も全て自分の力量以上のことをしようと自分への厳しさから神経症としてでている、とのことですね。一般に、向上心の強いかたほど自分には厳しいものですね。かくありたい、理想の自分と、現実の自分との違いに激しく悩み、自分の感情を受容せず、自責的になることも多いものです。同時に、向上心が強ければ強いほど、自己に要求する課題が大きい余りに、不安や緊張を乗り越えなければならない場面も増えてきます。その状況で自分に完全を求めすぎてしまえば、緊張や焦燥感が強まり、その結果として神経症の症状が出現することもあり得るでしょう。しかし、理想を持つことに伴う不安や緊張といったネガティブな感情も当然のこととして受け止め、自分を責めず、完全を求めすぎず、行動の優先順位を考えていく姿勢があれば、理想の自分へ近づいていくことも可能でしょう。自分の力量以上のことをしたい、これは向上心のある人には当然のことです。それでいいのです。
時には寝込んだり、症状を感じたりする自分も許してあげながら、行動の優先順位をつけて生活に取り組んでいただければと思います。また、ご意見の通り、お薬は症状や不安を和らげ、行動のハードルを低くする効果があります。必要な行動をするために、時には薬の力を借りるということは治療上有益です。落ち着いた頃に薬はだんだんやめていけばよいのです。取り組んだことをまた教えてください。
(鹿島直之)
変化と不安 '05.05
こんにちはKgさん。今は以前に比べて大分、不安発作の方は良くなっているようですね。きっと森田療法に取り組んだ不断の努力の結果と思います。今は雛鳥に挑戦しているのですね。あらためて雛鳥を飼って生活に潤いを持たせようとするKgさんの姿勢に感心させられます。
ところで今は雛に餌を与える際の手の震えを気にされているとのこと。また次から次へと症状が変化することにも苦しんでいらっしゃるように見受けられます。もしかしたらKgさんの生活が以前に比べ広がって、変化のある生活になってきたからではないでしょうか?一般的に神経質の方は、変化に対応することがとても苦手です。ですから変化のある場面に遭遇すると「上手くできなかったらどうしよう?」などといった不安を抱きがちです。きっと手の震えに対する心配も「上手く餌を与えられなかったらどうしよう?」という不安の現れかもしれません。ですから何か新しいことを始めるときには「多少の不安は起こってくるのが当たり前」と思っていた方が良いと思います。
しかし、その一方で神経質の人達は決して今の状況をよしとしません。むしろ「もっと良くありたい」と向上発展しようとする意欲も人一倍強いと思います。Kgさんにも向上発展しようとする姿勢を強く感じます。そのため、手の震えを気にしながら雛をきちんと育てて行っていただきたいと思います。特に雛は変化にとても弱い生き物です。Kgさんが刻々と変化する雛の状況に配慮しながら親鳥に育てあげていってもらえたらと思います。親鳥になったときに、きっと新しい自信と喜びがKgさんの中に宿るのではないかと思っています。その時、もしかしたら手の震えは変化しているかもしれません。是非頑張ってくださいね。
(樋之口潤一郎)
服薬を始めることと森田療法 '05.04
Jbさんは、パニック障害に耳鳴りなどが加わり、今まさに苦しい最中におられるようですね。
具体的な生活のご様子などはわからないので、ここでは森田療法と服薬について触れたいと思います。(生活を振り返るにはアドバイスのように日記を書いてみるのもよい方法だと思います)
神経症の方は、慎重である分、服薬にも不安を持たれる方が多いようです。 森田療法についても最初は「薬を使わない治療法だ」と思って関心を持たれる方もいらっしゃいます。
もちろんこれは無頓着であったり、安易に薬に依存してしまうよりも、大切にされてよい姿勢だと思います。
しかし、薬物という「道具」を使わないことが目的になってしまい、生活が狭まってしまうとうのも、もったいないことかもしれませんね。
薬物に「頼る」と考えてしまうと、逆に薬に振り回されてしまうかもしれません。 そこで、薬物は、「行動を広げるための杖」と考えてみてはいかがでしょう? あくまでも主体は自分、薬物は利用する道具です。
杖は助けにしても、歩みを進めるのは自分な訳です。そして、いつかは手放していくものと位置づけておきましょう。
服薬されているということは、主治医の先生がおられるのですよね?もう一度、服薬について、薬の種類や飲み方も含めて率直に話し合われてみてはいかがでしょうか。抗不安薬のほかにSSRIなどの選択肢もあるでしょう。場合によっては飲み方を一定に決めてしまうほうが「飲むか飲まないか」に振り回されないかもしれません。薬についての不安も、副作用が不安なのか、依存してしまうのが不安なのかなど、具体的に話しあったほうがよいと思います。
薬物療法は森田療法と対立するものではなく、お互いに補いあえるものだと思います。
そして「おそるおそる」でよいので、もう一度できるところ、一番必要なところから生活を立て直すよう、取り組んでみてください。
(塩路 理恵子 先生)
不安に向き合い、解決するのではなく、つきあう姿勢で '05.03
Grさん。不安やパニックに圧倒され、8年間も悩まれていてわらをもつかむ思いで投稿されたことと存じます。Grさんも頭部MRIや脳波検査で異常がないという前提で話を進めてまいります。
まず不安から逃げようとしてますます不安が大きくなっていることはありませんか?不安は逃げれば追ってきます。最初はつらいかもしれませんが、不安から逃げずに不安と向き合い受け止めていくようにしてみましょう。
その上で不安の背後にある健康的な欲求(生の欲望)に沿って少しずつ行動範囲を広げていってはいかがでしょう?この際気をつけていただきたいのは、自分の苦手な急行電車に乗るために急行電車に乗るようなことは森田療法的には逆効果です。急行電車に乗ることは、例えば本屋へ行くといったような目的場所へ行くための手段なわけです。不安を持ちつつ行動をしていく際はこのように自分が「〜したい」ことをしていく過程で急行電車を利用できれば良いくらいに思われていた方が良いでしょう。
(舘野 歩 先生)
神経症と薬物療法 '05.02
Suさんは「医者から薬を出されているのですが、抗うつ剤と睡眠薬を規定量以上に飲んでしまいます。最近では『薬をやめなきゃ』と思うあまりに、体がぼろぼろになっていっているのがわかります」「薬をやめると禁断症状が起こり、耐えられなくなって、一気に薬の服用をしてしまいます」と書かれています。
実際患者さん達の話を聞いていると、薬を飲むことに抵抗を感じている人は多いものです。Suさんの詳しい症状がわからないので一般論になりますが、森田療法では本来薬は治療の補助として用いているものであり、不安や症状と付き合う姿勢が培われたならばいずれは不要になるものです。しかし患者さん達は、薬を飲むと一生飲み続けなければいけないのではないか、依存症になってやめられなくなってしまうのではないか、などと考えて非常に葛藤的になってしまうようです。Suさんの現在の様子をみると、もともとの症状から、薬をめぐる問題に悩みがすりかわってしまったように見受けられます。
神経症の人は、不安に怯えつつも薬に頼っている自分をふがいないと考えがちです。しかしそのために薬を自分の判断で急にやめてしまうと当然その反動が生じます。Suさんが「禁断症状」と呼んでいるのはそのことでしょう。急にやめるから苦しくなり、より薬を飲まないといられなくなるといった悪循環に陥るのです。薬はきちんと使えば不安を和らげたり、睡眠を整える作用があり、症状と付き合う姿勢を身につける際の助けになるものです。薬と格闘するのではなく、薬を上手に味方につけながら、まずは不安に振り回されずに行動する姿勢を身につけることを目標にしてみましょう。それが結局のところ、薬を飲まない生活への近道なのです。T2さんは、「気が付いたらお風呂の中で鼻歌が出ていました」「昨日から薬も一日一錠になりました」と書いています。不安に翻弄されずに生活している自分を実感するのは、T2さんの記載にあるような何げない生活の一場面ではないでしょうか。こうして肩の力が自然と抜けてきた時、薬といった踏み台も不要なものとなっていくのです。
T2さんは「神経症から少しずつ脱却しているところだとしたら、どんな風にしていったらいいのでしょうか」と書いています。Kgさんの記載がそのヒントになるかもしれません。「ここ何年かは、ただの作業だった食事作りも、子供達や夫の好きな物を栄養面のバランスも考えながら用意しています。おやつも子供の喜びそうな物を買いに行ってみたり、今度は久しぶりに手作りでもしてみようか、なんて気持ちも出ています。そういえば、以前は料理大好きだったなあ、なんてことを思い出しました」。不安はあっても良いのです。「〜したい」という健康な欲求を道しるべに進んでいくことが、神経症からの脱却に繋がります。
(久保田幹子 先生)
苦痛の底にあるのは '05.01
Nt さんは書きました。「苦痛を取る計らいを止めれば葛藤がなくなるので不安が消えることは多少経験もあり頭では理解できるのだが、苦痛(不安)を嫌う感情はどこからともなく沸き起こってしまう」「苦痛を嫌うのは素直な感情だと思う」
率直な心情ですね。ことに一度不安(パニック)発作を経験した方は、「二度とこんな苦痛は経験したくない」と思うのが自然な反応のようです。そのような気持ちをよく理解した上で、幾人かの方がとても適切なアドバイスを送っていて感心しました。たとえばYu さんは「私も必要のない苦痛や不安にあえて身をおきたいとは思いませんし、おきません。しかし、自分の納得した生き方の過程に苦痛や不安があったら、仕方ありません」と書いていました。その通りだと私も思います。もう一言付け加えるとすれば、苦痛と感じる事柄こそ、その人にとって大切なことなのだという点です。不安(パニック)発作の際、自律神経の突然の緊張から不安がどんどんエスカレートしていくのは、それが自分の身体におこっているからです。誰でも自分の身体、健康が大切です。それだけに自分の健康、命を脅かすかもしれない(実際にはそうではないが、そのように誤解されやすい)できごとには強い不安と苦痛が生じるのだといってよいでしょう。
他の例を挙げましょう。仕事の失敗を恐れ、実際に起こった失敗を苦にするのは、その人が仕事を大切に考えているからこそです。仕事なんかどうでもいいや、という人ならそれほど心配も悩みもしないでしょう(同僚にそんな人がいたら困りますね)。また好きな異性に対して、自分の気持ちが拒絶されることを恐れ、あるいは相手の気持ちを測りかねて苦しむ、胸が焦がれるという経験をしたことがありますか。好きでもない相手であれば、このような感情に苦しむこともありませんね。あるいはわが子に対する心配が絶えず、病気にでもなればあれこれ思い悩むのが親の自然な心情です。どうでもいいと思えればさぞ楽でしょうが、そういうわけにはいきません。要するに苦痛の種は大切な事柄(=人間本来の欲望)に宿るのです。
ですからもし苦痛の種を避けて生きようとすれば、その人は自分にとって大切なこと、望むことを次々に締め出し、隠者のような暮らしをするしかないでしょう。そのように生活をやせ細らせたとしてもなお、苦痛の種は生きている限りどこかに残るはずです。逆に言えば、大切なことを大切にし、その人本来の欲望にしたがって生きるということは、どうしても苦痛を伴うものだということです。Yu さんが言うように「生きている以上、苦痛や不安があるのはいやですが仕方のないこと」なのです。しかしそこに喜びもあります。
(中村 敬 先生)