不安神経症の部屋

パニック障害のAさんが大阪に転勤が決まり、引越しのために住む所を見つけなくてはなりません。
Bさんは卒倒恐怖で悩み、「手の震えや恐怖感だけならまだ何とかなるんですが、気を失ってしまってはどうしようもないんです。もし、採用されたとしても、とても仕事にならず、やっていけないと思い、どうしたものか途方にくれています。」と書き込んでいます。
Cさんが「私は、まだどうしても不安に思う場所を避けてしまっています。歯医者も、まだそんなに歯は痛くないからいいや、洋服を買いに行くのも、本当はデパートに行きたいのに、近所でも買えるからとりあえずそこですませてしまおう。なんて思って避けています。前は、不安を持ちながらも電車に乗って出掛けていましたが、最近ずっと避けていたので、ますます恐くなってしまいました。」と述べています。
パニック障害で悩む人の多くが生活をしていく上で恐怖に突入しなければなりません。そしてそのことで悩むのです。しかしいつも建設的な行動をしなくてはならないと考えるとまたそれで苦しくなります。時には逃げても良いのだと思います。しかし必要な時には、思い切ってそれに踏み込んでみる、そして不安を持ちこたえながら、目の前のことに手を出していくことが大切です。それが不安を抱える心を作るとともに、自分の健康な生の欲望を発揮することにつながります。

ここのグループでの書き込みもたくさんあります。
パニック障害の人たちが適切な助言を求めているのかがうかがわれます。やはりパニック障害では薬物療法だけでは完治が困難で、恐怖に突入し、不安をしっかりと抱え込むことと本来の欲望の発揮が大切なのです。しかしこのような森田療法の原則はわかっていても、なかなか不安に直面するとうまくいかないものです。そこにこのフォーラムの意見交換の意味があるのです。
Aさんは「最近は疲労感も強く実践がうまくいっても素直に評価できません。。。。でも逃げる気持ちや諦めの気持ちを持ちながらでも気分に振り回されずに行動第一でがんばります。は〜つらい・・・」と書いています。
Bさんは「パニック障害を治すには、どうしたいいのでしょうか!?またわからなくなってしまったのです。・・・私は、このホームページと森田療法の本で勉強をしていますが、時々一人ではわからなくなってしまいます」と書いています。この率直に「わからない」という感覚は大切です。そこから知恵が生まれてくるのです。
ひとつはCさんの工夫が役に立ちます。彼女は今までの参考になると思うものはプリントアウトして読み、DさんやEさんまた私のアドバイスも参考にしています。ありがとうございます。「意見や、アドバイスを求めるのも一つの手段だと思っていましたが、ココへ来て自分で治していかなきゃイケナイ病気なんだって、分かってからはセコイけど、この手を使っています。」と書いています。これが神経症をなおしていく上で最も大切なことです。神経症を克服するという作業は、根気の要る作業です。壁に突き当たったら、自分を見直す絶好のチャンスだと考えて初心に戻れば必ず多くのものをつかんでいけると思います。

今月は昨今のパニック障害の薬物療法がいろいろなところで取り上げられているせいか、あるいは少なからずの精神科や心療内科の医師が神経症治療の第一選択として薬物療法を行うせいか、ここでは薬物療法、抗不安薬のみならずSSRIについてもいろいろな経験と意見が述べられています。このホ−ムペ−ジにも私の意見を述べておきましたので参照ください。
もう一度簡単に神経症治療における薬物療法の意味について述べます。不安神経症(いわゆるパニック障害や全般性不安障害)の薬物療法はケ−スバイケ−スですが、一応の教科書的な原則はあります。

不安をまず急性期の不安と慢性的な不安に分けます。また不安発作(あるいはある特定の場面で引き起こされる不安)と予期不安に分けます。薬物療法(SSRIも含めて)は急性期の不安、不安発作に効果がありますが、予期不安、あるいは慢性的な不安に対して効果は限定的です。従ってこのような予期不安や慢性的な不安に対しては精神療法、中でも森田療法が有効だと私は考えています。急性期の不安や激しい不安発作に対して多くの場合薬物療法が必要となります。激しいその人の手に負えない不安の場合に薬物療法を行わないことは、その人の絶望感を強め、時に死にたいという気持ちすら引き起こしてしまいますので時に反治療的です。
いずれにせよ、多くの人は薬物療法を受けながら、森田療法を学ぶことで不安への「とらわれ」(つまり神経症)が治っていくのです。そしてとらわれがなくなってくれば、自然に薬物療法から離れることが出来ます。薬を飲む、飲まないにそれこそ神経症的に「とらわれ」てしまう人がいるので要注意です。不安を持ちこたえ、そのままに放っておけるこころを育てていけば、薬物療法はおのずから必要なくなります。
この治すということは単純な一過性の不安状態を除いては精神療法なしには考えられません。

このグル−プでは、恐怖、不安を持ちながら踏み込んでいった日常生活の冒険の物語が語られています。この日常生活の冒険は読む人に勇気を与えるものです。いわゆる恐怖突入です。不安神経症のみならずさまざまなことでとらわれる人たちが読まれたらよいなと思いました。

例えばAさんの「イベント前夜の徹夜」、Bさんの「結婚式の出席」、Cさんの「海水浴」などです。恐怖に入り込むことで、恐怖の実態を知ることができます。つまり幽霊の正体知ったり枯れ尾花です。

不安神経症の不安は2つの不安からなっています。1つは不安発作、あるいは不安そのものでもう1つは予期恐怖です。不安そのものよりも多くの場合この予期恐怖が問題です。この予期恐怖のため、自分の苦手な場面を避け、それが自分の自信のなさに拍車をかけます。やっかいなことに、不安とは逃げようとすればするほど、つよくなるのです。そして不安になる、ならない、がその人の生きる基準になってしまいます。それを打破するためには、その時に必要なことを覚悟して取り組むしかありません。不安を基準にするのではなく、自分としていきることを基準にするためです。そのためには恐怖に直面すること、そこに入り込むこと、そしてその体験を客観的に観察し、記述すること(この体験フォーラムの参加者のように)がきわめて重要です。そこで得られた体験がしだいに自分のものとなってくるのです。

この不安神経症の部屋も多くの人が書き込みをしています。この部屋も活発になりました。Aさんや他のメンバーとのやり取りから自らの経験を深めていく様子が見えてきます。
今月のハイライトはBさんの冒険でしょう。「スゴイ長距離乗車していました(^^;)と題して彼女の経験を述べています。乗り物恐怖の彼女が、600キロ離れたサーキットで事故を起こした旦那さんを迎えに行ったのです。決死の覚悟だったようです。彼女の勇気をたたえたいと思います。Aさんは、「家から一歩も外出できなかった不安神経症の方が、そのお母様の危篤を聞きつけ我を忘れて飛行機で駆けつけた方のことを思い出しました」と書き込んでいます。私の知っている乗り物恐怖の方も、お母さんが急に病院に入院したということで、15年ぶりに乗り物、それも新幹線に飛び乗り、東京から大阪に看病に駆けつけました。これが不安神経症を乗り越えていく一つの手がかりとなりました。人生上の困難はしばしばその人がそれに真っ正面から取り組むことにより、私たちに健康な力を再認識させ、いきることの意味を再発見させてくれます。
Cさんが「神経症って、自分の命、ましてや自分の気分よりも、大事なことがあるってことに気がつけば治るような気がします」といいます。同感です。

Aさんがお母さんの「うつ」の対処法で悩んでいます。いや厳密には「いました」と過去形を使うべきでしょう。今はそれほどでのないでしょうから。「お母様の事やお父様の事はお医者様に任せる事と思います。信じる事 母を信じ父を信じ、Aさんより長く生きている分立ち上がるすべは知っているはず。
Aさんが元気なのが一番!」とBさんが助言しています。私も同感です。何か悩んだときに、まず自分でできることとできないことに分けて、できることをするしかない、と開き直れれば問題の解決に近づいてきたことを意味します。

Cさんが吐き気恐怖で悩み、また同じ時期にDさんが吐いてしまう恐怖、実際に吐いてしまう悩みを書き込みました。二人とも自分が不安神経症であることは十分意識しているようです。特にDさんはハワイ旅行を控えているので事態は深刻です。Eさんは「あまり時間がないようですので、しばらくは大変でしょうが徹底的に森田漬けされ乗り切られることを祈ります。森田療法の立場では「過去は決して問わない」と言う教えがあります。また、いくら苦しくとも逃げないでその状況を見つめることをご自身に言い聞かせて下さい」と適切な助言を送ります。
またCさんは「薬物療法と共に恐怖突入して行く事が早道じゃないかなと思います。私も面接時や友人と喋っている時には『別に吐いたっていいんじゃないか?』と思うようになり昔より幾分楽にはなりました。飛行機で吐いたっていいじゃないですか。落ちて死ぬ訳でもないですし。コ−ラでも飲んで気楽に行ってきて下さい。」と書き込みます。

これも開き直りです。このこころが予期不安を軽減させ、こころをしっかりと現実へ向かわせるのです。
Cさんの診断について一言。担当の先生が抑うつ神経症と言われているのならば、それが信頼できるでしょう。慢性化した不安と抑うつが共存する状態を一般には抑うつ神経症と呼びます。しかし問題はCさんも気づいているようにとらわれたこころのあり方です。

ここでも多くの方が書き込みをしています。パニック障害がやっと神経症として認知されてきたようです。しかしパニック障害の治療は、日本では残念ながら適切に行われていないようです。
例えばAさんは、「近くの心療内科で「パニック障害」と診断されました。1年近く薬を飲んでますが、どうも症状がさっぱりしません」と発言しています。パニック障害の治療は薬物療法だけではなおりません。このホ−ムペ−ジの「薬物療法の捉え方」を参照ください。パニック障害を克服するには、不安にしっかり直面し、恐怖に突入する体験が必要です。

今回の書き込みには多くの人たちが自分の恐怖にどのように突入しそして自分の行動範囲を広げていったかが、書かれています。参照されると大いに役に立つでしょう。恐怖突入とは、単に不安に慣れることではありません。不安に対する心の態度が不安にならないように汲々とすることから、不安に直面する覚悟が出来ることを意味します。それは生きることが不安になる、ならないという基準から、本来に欲望にのった生き方へと変化することでもあります。

Aさんが仕事上のことで不安となり落ち込んでいます。B さんも同じような経験をして、とりあえず1週間だけでも頑張ろうと短期の目標を立てて頑張っています。このような具体的な目標は行き詰まったときには重要です。とりあえず出来ることから手を出していくことが、悩みを自分で受け止めていく力をつけていくようです。

A さんはまた同じような悩みを持つ友人と話し合って勇気づけられるといいます。これも大切なことです。私たちの悩みで一番苦しいのは、なぜ自分だけがこのように苦しまなくてはならないのか、と思い悩むときです。それがさまざまな恨みつらみ、人への羨望となり我々を苦しめます。
このような時に率直に自分の悩みや自分の弱みと思っていることを友人に相談することです。多くの場合は自分の悩みが決して自分だけのものでなく、他の人に同じような悩みをかけていることに気づきます。そのことが私たちをずいぶん楽にしてくれます。

「 離婚するべきか迷っています」と書き込みをしてます。約4年前に不安発作に襲われ、それ以来、いろいろと治療を受け、しかし現在は、むしろ人生を「生きること」そのもので悩んでいるようです。両親・弟と全く絶縁状態、夫のうつ病、買い物依存症などでつらい思いをしています。しかし次の書き込みでは「主人の借金や実家との絶縁など、悩みの多い人生ですが、自分の大切な1度きりの人生なので、自分を殺さず生きて行こうと思います。」と書かれ、しっかりとした心の態度が出来たことを伺わせます。

不安への「神経症的とらわれ」が打破されても、このように人生上の悩みで苦しむ人たちは多くいます。しかしこれは神経症の悩みと違い、現実の生活そのもの、「生きること」そのものへの格闘なのです。おおいに悩み、夫と話し合い、そして自分として生きていくことが、むしろ不安へのとらわれを打破することなのです。このような悩みはとらわれ、はからう悩みと異なり、人を成長させ、その人らしい生き方へと導いていきます。

わたくしはこの心の体験フォ−ラムのメンバ−の確実な成長を感じています。Aさんが、人前で話すことの恐怖について書いています。Bさんは、「私も51歳になろうとしますがやはり人前では足は震え声も震え心臓はばくばくと全く同様です。ただ、私の場合はこの状態を決して異常な状態ではないと森田を学び身を持って知っています」と適切な助言をします。この体験フォ−ラムでいろいろと森田療法についての書き込みを学んだAさんは「あるがまま」とはどのような心境をいうのだろうと疑問に持ちます。Bさんがさらに伝えます。「まずは、ありのままの自分を認め許してあげてください」そして「次の局面に目を向けて「今何をすべきか」を実践していって下さい」。不安、恐怖、いわゆる症状といわれるものはそのままに受け止め、「今ここで出来ること」に取り組むことが大切なのです。そしてAさんは、今までとらわれ苦しんできた朝礼当番を何とかやり終えたのです。「とても勇気のいることですが終えてみるとやって良かった。もちろん怖かったでもそれは自然のことと思えそうです。なんとかやっていけそうです。」と彼女は書き込んでいます。新しい生き方の方向が見えてきたようですし、このような Aさんの体験が他の人に勇気を与えるでしょう。もう一つ。CさんとBさんのやり取りで紹介された、なくなった河野先生(精神科医)の川柳がわたくしのこころを打ちました。

何事もなかったように日は昇る
人生に理屈はいらぬかたつむり
ほめられた林檎大きな実をつける
平凡に生きて最後も三振
つらい日があって生きている気がする

わたしたちにとっての「生きること」とは、をしみじみ考えさせられました。合掌。

パニック障害で悩んでいます。心療内科で薬物療法を受けていますが、「森田療法でよくなるでしょうか?」と今後の治療方針についての不安、迷いがあるようです。パニック障害と薬物療法、そして森田療法の関係についての詳しいわたくしの見解はいずれこのホ−ムペ−ジに載る予定です。それを参照ください。

さて実はパニック障害は森田療法が最も得意としている神経症のタイプの一つなのです。森田療法の創始者である森田正馬は、今でいうパニック障害を外来での治療でものの見事に治しています。現代ではパニック障害の治療は薬物療法が最優先されます。急性期の不安に対しての効果はあります。しかし多くの例では薬物療法だけでは治療を終わりにすることは出来ません。つまりそれだけでは治らないのです。薬物療法と森田療法を組み合わせて、次第に不安を受け入れる心が育ってきたら、薬物療法の比重を軽くしていくことが現代のパニック障害の最も合理的な治療法だとわたくしは考えています。「主治医の指導にそって服用しながら森田療法を学んでいってみてください」「医師の処方に従いながら、森田を上手に自分に採り入れていってほしいと思うのです」という助言はまさにその通りだと思います。