普通神経症の部屋
「『死の恐怖』と『生の欲望』」 '21.12
Sさん、こんにちは。Sさんは幼少から体が弱く、周囲から過度に心配されていたことで、森田療法で謂う所の「死の恐怖」に悩まされていたのだと思います。特に最近の大叔母が癌で亡くなられた事実は、「死の恐怖」をより身近なものにさせたのではないでしょうか?
しかし、Sさんは死を恐れていたからこそ、無謀な生活に陥ることなく、現在まで健康で生き抜かれたのだと思います。つまり、死の恐怖は、Sさんに単に不安を与えただけでなく、結果的に「健康でより良く生きたい」という欲求(生の欲望)を換気させていたのです。これは、森田が不安と欲求はコインの両輪の如く存在していると論じていることを意味しています。
では、Sさんは、「健康でありたい」という欲求を更に生かす上でどのようにしていくと良いでしょうか? 一つは不安だからこそ、小まめに病院を受診し、現在の体に問題がないかなど健康診断を怠らないことです。私は、健康状態を把握する目的で色々な病院を受診することを一概に悪いとは思っていません。信頼できる先生を見つける位の思いでどんどん受診したらよいのです。しかし、結果を聞くことは先送ってはいけません。森田療法では事実を知ることを重んじます。先送れば先送っただけ、却って「死の恐怖」にとらわれるからです。しっかり結果を聞くことで、今後どのような手立てが最善かを先生に質問し、少しでも好転の策を是非試していってください。
もう一つは、病院受診だけが健康維持の秘訣ではありません。健康への欲求を生かす上で、日頃からの自身の健康には誰よりも気遣うようにしましょう。ちなみにここで言う健康とは心ではなく、体の健康を意味します。このことは、「健全な精神は、健全の肉体に宿る」という諺を実践することに他なりません。特に、睡眠、食事、そして運動の三つの軸を大切に自分にあった健康法を探していただければと思います。不思議なもので、体の健康が増進されると、不安を打ち消そうと躍起になることが減り、目の前の生活を大切にする姿勢が醸成されるように思います。森田が100年前に、症状ではなく生活の充足を、作業を通じて、話題にしたことは、当時からすれば画期的だったのだと思います。
今は不安の渦中かもしれませんが、不安の裏にある健康に対する欲求を実生活に発揮していただければ思います。それが、Sさんの悩みに対する一つの回答であると思います。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)
「ふたつの事実をあるがままに」 '21.11
Aさんは、「胃腸神経症なのでしょうか?」「きっかけもなく、十二指腸や腸がとんでもない痛み等襲われるのではないかという、とてつもない恐怖に襲われ身動きすらできなくなります。ひどい時は一晩中恐怖で眠れません。しかし、痛みなどがきたことは一度もありません。食事が怖いです。」と書き込まれています。
心療内科にも通われているとのこと、体重もかなり減っているようですので、体調やお薬のことをよくご相談されながら、治療を進めてください。
「あまりに長く不調が続くので先月胃カメラ検査をしたところ、非常に綺麗な胃だと言われました。」とのこと、検査に異常がなくて、よかったですね。検査の際もとてもつらい思いをされたようですね。お疲れさまでした。不安だけれど最後まで検査を受けることができたのですね。
そこで、「検査で胃はとてもきれい」という事実(森田先生の言葉で「客観的な事実」)と「胃腸の具合が悪くなるのではないかと怖くてたまらない」という事実(同じく「主観的な事実」)の二つがあるわけです。「どちらが正しいか」と考えてしまいがちですが、大切なのは「ふたつの事実をあるがままに受け止める」ということです。その上で、食事については、少しずつでも決まった時間に取る(箸をつける、という感じでよいので)ようにしていきましょう。
書き込みには生活の様子が書かれていなかったのですが、一つずつでも。その日にしたこと、見たもの、などをノートに書き留めてみてください。「それどころじゃない」と思えるかもしれないのですが、だからこそ。すこしずつでも生活に目を向けていきましょう。
そして先輩のMさんの書き込みで、同じような体験をした方と出会えたこと、「実際に治った方がいる」ことに励まされたことを書き込まれています。「わかってもらえない、共感してもらえないだろう」と思っていたことが、共有してもらえる、「自分だけではないのだ」と感じることができるのは、支えになるものですね、まして回復した人がいるという「事実」を知ることはどれほどの励みになることでしょう。こうした交流はフォーラムの強みだと思います。励みに一歩ずつ、踏み出してください。
(塩路理恵子)
「病気不安症に対する森田療法」 '21.10
C様、最初の検査で膵嚢胞性のご指摘を受け、体調不安で辛そうですね。
病気の心配をする神経症の中には「心気障害」というものがあります。まさに「心に気に病む」という言葉がぴったりで、専門的にはICD10という国際分類を紐解くと「(1)繰り返される検査により説明困難であるにも関わらず重大な体の病気が存在するという頑固なとらわれ」、「(2)何人かの医師からの保証を受け入れない」ことが定義とされています。
米国の診断基準DSM5では「病気不安症」という名前となりました。参考までに診断基準を示します:(1)患者に重篤な疾患の罹患または発症に関するとらわれが認められる。(2)身体症状はないか、あっても最小限である。(3)健康に関して強い不安を抱いており、個人的な健康問題について些細なことで警戒する。(4)健康状態を繰り返しチェックしているか、不適応的に受診の予約や来院を避けている。(5)6カ月以上にわたり病気に関するとらわれが認められるが、その期間中に恐れている具体的な病気が変化することがある。(6)つ病または別の精神障害では十分に説明できない。つまり、心気障害と病気不安症はほぼ同義語とご理解下さい。この定義を参照するとC様は上記診断基準を満たすほどではないと思いました。
一般的に身体検査などで言えるのは、検査で何か所見がある=重篤な病気であるということではありません。所見があっても経過観察で大丈夫な状態はたくさんあることをまず知っておいてくださいね。
まず病気不安症に対する一般的なアドバイスを致しますね。まず病気ではないかと心配で今の医療機関以外の色々な身体の病院へかからないことです。その都度身体科の医師であれば一通りの検査を致します。それを多くの施設で行うことに意味はありません。世の中には色々な医師がいて不安な面もあるかもしれません。しかしご自身が通われている医師がきちんと誠意をもって診療してくれているのであれば、その先生のアドバイスを受け入れ、診察ペースは医師の指示通りにした方が良いと思います。
また病気不安症の患者さんは得てして自分の感情を言葉にすることができない場合が多いです。体の心配が大きくなった時、「自分はどう思ったかな?」とか、「どう感じたかな?」を自らに問い直してみて下さい。
この上で病気不安症に対する森田療法の考え方を示します。森田療法では病気を心配する背後に「健康でありたい気持ちが強い」(=生の欲望が強い)と理解します。不安と欲求とは表裏一体のものであり、その両面を有することが自然な心のあり方です。このような自然な感情としての不安を排除しようとすればするほどますます不安は増大するという悪循環にはまってしまいます。
そこで森田療法では不安を排除することをやめ、不安を抱えつつ不安の裏にある本来の欲求(生の欲望)に従って行動することを推奨します。これを端的に表現した言葉が「あるがまま」です。つまり森田療法は不安に対する態度の転換を図っていきます。「病気の心配」を排除しようとせず、「病気の心配を抱えつつ」、今「本当にしたいこと」をしていくことが大事になると思います。ご参考になさって下さい。
(舘野歩)
「頑張らなくてもできる行動から生の欲求を発見する」 '21.9
Mさんは、4年前にうつ状態を経験され、一度寛解された後、昨年6月に恐怖発作が再燃し、それから休職されているとのことです。現在は舌の違和感、息苦しさ、肩こり、緊張、外出不安等の症状に悩んでいると書かれています。お辛いですね。
休職期間が長引いてくると、自分は以前のように元気になるのだろうか、働くことができるのだろうか、そうした観念が浮かんでは消えの繰り返しかもしれません。Mさんは、「以前の寛解経験から、行動しなければ何も変わらないというのは頭では分かっています」と書かれています。行動を変えることによって、回復されたことはMさんにとって貴重な体験だったのだと思います。
一方で、まだ症状が残っていることを考えると、質のより療養ができておらず、身体が悲鳴をあげているのかもしれません。休職して1年が経過していますので、もう一度自分の心身を労ってあげられるような療養方法を検討してみてはいかがでしょうか。
今は復職を意識した努力ではなく、自分のおかれた環境で実行できる心地よい体験、楽しめる体験を模索してはいかがでしょうか。誰しも、仕事を休んでいるのだから、早く戻る方法を探さなくてはと考えがちです。このような時だからこそ、仕事に戻らねばという観念から離れることで見えてくるものがあるかもしれません。
森田療法では、生の欲求の発揮を大切にしています。しかし、生の欲求は頭で考えて生じるものではなく、体を動かし、自らの感覚を通して賦活されるものです。
話は逸れますが、入院森田療法では、さまざまな体験プログラムを用意しており、人と人が触れ合う機会もたくさんあります。意図せず、なにかしらの体験が回復の契機になることがあります。新しい行動をするのはとてもエネルギーのいることなので、慣れ親しんだこと、子供の頃好きだったことなどをヒントに、ほんの少し踏み出すだけで十分です。それ自体に目的がなくてもよいと思います。本棚を触ってみる、靴を磨いてみる、公園に足を運ぶ、空に浮かぶ雲を観察してみる、なんでもよいと思います。
頑張らなくてもできる行動から、Mさんの心に素直な生の欲求がみつかり、膨らんでいくことを願っています。
(鈴木優一)
「治そうとすることを忘れれば治る」 '21.8
Sさんは、2か月前から胃腸の調子が悪く、検査で異常はないものの、吐気や胃もたれのことばかり考えてしまい、不安で仕事も休みがちになってしまったと書かれていました。確かに吐気や胃もたれは辛いですし、何とか治したいと思うのは自然な気持ちですね。とはいえ、「漢方薬やストレッチなど色々試してみたものの、一向によくならず、深みにはまってしまいました」とあるように、治すことに頑張りすぎてしまうと、逆に胃腸の調子に一喜一憂してしまうでしょうし、何よりそのストレスが一層胃腸の動きを止めてしまうことになるかもしれません。
Sさんが診断された機能性胃腸症とは、胃腸の動きの問題から生じる症状ですから、逆に悪化させてしまっている可能性すらあります。まさにSさんも気づいているように「深み」(悪循環)にはまってしまうわけですね。
森田先生は、「不眠なり強迫観念なりを治したい、苦しいことが楽になりたい。それは当然のことである。しかし一度これは病気でないから、治すべきはずのものではないということを知れば、これを度外視して、普通の人のように働く。そのうちに、仕事に心を奪われて、治そうとすることを忘れる。そうして治るのである」と述べています。
つまり治したい気持ち自体は自然であるものの、治したい気持ちが強くなり過ぎると、逆にそれに注意が集中し、とらわれが強くなってしまうため、目前のことに取り組みながら、「治そう」とする力みを無くしたら治ると伝えているのです。これは、簡単なようでなかなか難しいことですね。
実際、「治っても治らなくてもどうでもいいという気持ちになった」と話した患者さんに対し、「それもとらわれ。”神経質は治すことをやめたら治る”と言われた文句にとらわれている」と返しています。やはり、不快感や不安、体調不良は気になるものです。しかし、それをまず先に治そう、整えようとすれば「深み」にはまってしまうし、治らなくてもいいと考えようとするのも不自然となると、どうしたらよいのでしょう?
症状が不快であることも、また治したいと思う気持ちも、それ自体は偽らざる事実でしょう。しかし同時に、体調を整えたいと思うのは、それだけ健康な生活を送りたい気持ちの表れでもあります。Sさんにとって、健康的な生活とはどのようなものでしょう?
食べたいものを美味しく食べられ、家事をこなしながら仕事にも取組み、充実した日々を過ごすことでしょうか?もしそうだとしたら、胃腸が整うことは少し先・・・と考えて、まずは不調なまま、家事や仕事に手を出してみることでしょう。Sさん自身も「症状を持ちつつ、とらわれたままでも不快な気持ちでも行動を起こすことでしょうか?」と書かれているので、心がける姿勢は頭ではわかっていらっしゃるようです。でも、本音は辛いし、それで良いのか?というお気持ちがあるのでしょうね。
先に体調を整えるのではなく、食べたいものを食べて、生活を少しでも楽しく・・・と生活を整えているうちに、胃腸の動きも整ってくると考えて、日々の過ごし方を工夫してみましょう。ご自身の身体を信じてあげることも必要と思います。
(久保田幹子)
「悪循環に気づき、そこから抜け出す」 '21.7
Mさん、こんにちは。今年の初めから逆流性食道炎になったことをきっかけに胃もたれが続き、漢方にて改善するも、今度は不眠や食欲不振などの新たな症状が出てきて困ってらっしゃったのですね。まるでモグラ叩きのように、一つの症状が改善したと思ったら次々と別の症状が出てきて、どうしたらいいものか途方にくれてしまいますね。
そんな時にMさんは森田療法に出会い、ご自身が、悪循環に陥っていると気づかれたとのこと。大切な気づきがありましたね。ここでは、「さらなる理解を深めたい」という想いを持つMさんのために、悩みが生じるしくみと、そこから抜け出すポイントを森田療法の視点からお伝えしたいと思います。
まず、森田療法では悩みを「悪循環」として理解します。悪循環は、“身体の症状に注意を向ければ向けるほど、感覚がより鋭くなって余計に症状が気になってしまう”注意と感覚の相互作用(精神相互作用)と、“こうあるべき”というある種の思い込みのような考え(思想の矛盾)から生じると考えます。
Mさんは「症状を無くそうとすればするほど悪循環にハマる」と書かれていて、精神交互作用を自覚されているようですが、「こうあるべき」という思想の矛盾の方はどうでしょうか。
私達は経験上、何か上手くいかないことがあると、その問題点を探り、対応することで解決しようとする傾向があるものです。しかし、中には問題点も、対応策も分からないことがあります。身体の症状などはその典型例です。症状が気になって病院へ行って調べても、原因や治療法が分からない、ということはしばしばありますね。そのような時に、「いつも健康であるべき」というような思いが強いと、「この症状を無くさねば!」とこだわって余計に症状が気になり、悪循環が生じてしまうのです。
次に、その悪循環から抜け出すためのポイントをお伝えします。森田療法では、「いつも健康であるべき」という思いは、本来の「安心して生活を送りたい」「生活を充実させたい」というような欲求からきていると捉えます。その欲求に向けて、何か出来ることを模索していくことが悪循環から抜けるポイントです。日常のささいなことで考えてみると、身体の症状がありながらでも、案外出来ることはあるものですよね。
Mさんの場合はいかがでしょうか?Mさんが本来大切にしている欲求に向けて、出来ることから取り組んでみていただきたいなと思います。
(金子咲)
「強迫行為からの距離の取り方」 '21.6
Yさんは小さいころからの強迫症と、そして現在は強迫症と病気不安症に苦しまれているとのことです。小さいころには家族についての不安、そしてお子さんが生まれてからはこの子たちが大きくなるまでは病気にはなれないという気持ちが強くなり、不安も増していると書かれています。
病気や事故は考えれば怖いものです。もともとは安全で良い毎日をと願っていたのに、完全を求めようとして、不安の世話をする毎日になってしまっているのですね。
お母さんが2時間確認をしている間、お子さんたちはどうしているのでしょう?Yさん自身も2時間確認した後には疲れ切っているのではないでしょうか。もともと自分と家族の健康と幸せを願っていたはずなのに、理想から逆にどんどん離れているとしたら、それはとてももったいないことですよね。
体験フォーラムでのやり取りの中で「不安に反応して強迫行為をするとさらに次々とさらなる不安が襲ってくるのもわかっている」「すっきりしないまま行動に移すことが大切ですよね」など書かれていますが、今実際はいかがですか?確認行為を続けずに一旦その場を離れてみていますか?確認したい気持ちを抑えて、確認せずにその場を離れるのはスマートには行かず、すごく苦しいものです。でもその場を離れることで、不安の世話をする生活から自分が本当に大切にしたいものを大切にする生活に一歩近づくのです。確認してもしなくても、どちらにしろつらいですが、どちらの道の方に未来があるか?です。
確認することが習慣になっているので、確認せずにその場を去る最初のつらさは半端ないと思います。不確かであっても「手に触った感覚はなかったな」「赤いけど濡れてはいないな」など自分の感覚を足がかりに一歩その場を離れましょう。確認から離れる最初の一歩を安心して踏み出せるということは決してありません。後ろ髪引かれてすごく苦しいとこの道を通った方は皆さんおっしゃいます。
安心や自信は後からついてくるものです。一歩踏み出すことで自分の感覚への信頼や自信が徐々に増していきます。信じられないかもしれませんが、強迫行為が減り、楽になっていった人たちはこの苦しい道を通った人たちなのです。なかなかこのプロセスを一人でやるのはしんどいので、ぜひ体験フォーラムを活用されることをお勧めします。
病気や安全について不安になることがおかしいわけではありません。病気は怖いですし、考えると不安になります。森田先生も病気について「われわれは病気は心配である。決して安心してはならない。常に不安で気が張っている方がいい」「(病気の)小さいか大きいかの見分けをよくし、大きいことならばつとめて心配するようにしなくてはならぬ」と述べられています。頭の中で白黒つけようとするのではなく、実際に痛いのかどうか、実際に汚いのかどうか、など実際に起きていることを大事にしていきましょう。
(矢野勝治)
「大切なご家族のために時間を使っていきましょう」 '21.5
Sさんは妊娠中に乳腺の良性疾患を指摘されました。稀に初期の癌を伴うことがあったり、将来癌にもなりやすいと言われたりして、恐怖に襲われて困っていらっしゃいます。現在は育休中で、乳腺を切除したいと考えていらっしゃいますが、手術をする時期の見通しがたたず、癌が見つかり追加手術が必要になったらどうしようなどと、次々不安が募り、ネットで色々と調べていらっしゃいます。
ただでさえ、妊娠中は精神的に不安定になりやすい状態なのに、そこに、良性疾患とはいえ、体に異常がみつかると、ますます不安になりますね。さぞかし心配されたことでしょう。病気がみつかれば、不安になって、その病気について調べたくなるのが人の常です。しかし、ネットなどの情報は正しいものもあれば、そうでないものもあります。また、稀なケースなど、探せばいくらでも出てきます。結局の所、不安材料を無くしたくて、調べているのに、ますます不安材料が増えていく、という悪循環にはまり、不安に支配された生活になってしまいます。
そんなときは、まずは、主治医の先生に自分の状態について、しっかりと尋ねることが一番大切です。放っておいて良いものなのか、ある程度経過観察が必要なものなのか、今すぐ手術した方が良いものなのか、など、良く相談されて下さい。主治医の説明に納得できない、あるいは、他の医師の説明も受けたい、ということであれば、セカンドオピニオンを受けるのも手です。
人間は生きていれば、どれだけ気を付けていても、病気になることもあります。残念ながら100%病気になることを防ぐ術はありません。そうであるならば、主治医から説明を受けてもなお残る病気の不安をなくすために、病気を調べることに時間を費やすのではなく、不安になりながらも、Sさんが今大切に思っている、ご家族のために時間を使ってあげてはいかがでしょうか。
お子様の成長を見届けたいという気持ちが強いSさんであれば、今、お子様に愛情を注ぐ時間を増やし、そうやって時間を過ごすことで、時間を味方につけ、病気への不安を抱えやすくしてくれると思います。是非とも頑張ってくださいね。
(谷井一夫)
「不快の消化器症状について」 '21.4
はじめまして、Fさん。Fさんは繰り返す胃腸症状に悩まされているようですね。胃部の不快感など取りたくても取れない身体症状は、不安に限らず我々を常に苦しめるものです。ましてや、内科的に診断がつかない諸症状に悩まされているとしたら、曖昧な状態が不安を更に換気させるのも当然だと思います。
ただし、不安や胃部の不快症状に対して、「この症状さえなければ」と症状を打ち消そうとすることは、結果的に自分の心身を自らが責め続けているようなものです。そうだとすれば、心と体はもっと悲鳴を上げるに違いありません。当然、自らに緊張を課すため、自律神経は緊張し食欲も当然落ちてしまいます。けれども、私はこの不安や身体症状を無くす必要はないと考えます。むしろ、不安や食欲の低下は健康であるための指南役であると考えます。心身の不調から体全体を回復させる手立てを具体的に模索することが、回復の糸口になると思います。ではどうすると良いでしょうか? ここからはあくまで自身の臨床的知見に限定されますが、ご参考いただければと思います。
まず、このフォーラムでも何度かお話しさせている冷えについてです。胃腸などの不快感に悩まされている方の多くが冷えに悩まされているように思います。前述したように症状を「何とか消し去りたい」という「かくあるべし」の態度は体を緊張させ、その結果として体の冷えを助長させるからです。では冷えに対する具体的な方法を一緒に考えていきましょう。冷えを緩和する上で、まずは身体を温めることから意識してください。ただし表面を単に温めるのではなく、体の芯から温めることが重要です。そのため、冷たい食物を避け、温かい物を摂取するように心がけてください。また入浴も体全体を温める効能があるとされています。つまり、このような取り組みは消化管自体も温めることに繋がります。仮に食事が満足に取れなくても、温かい水分など無理の無い摂取を心がけていただければと思います。
次に運動です。何もランニングなど極端な負荷をかける必要はありません。まずは散歩で十分だと思います。運動をすることで筋肉が動くようになります。そして筋肉が動くことで、体全体に血液が行き渡り、消化管の血流も回復すると言われています。つまり血流の回復は消化管活動の全体を底上げし、消化器症状の緩和に一石を投じるでしょう。森田療法の立場から見れば、手足を良く動かす生活になり切る事が心身を整える秘訣と言っても過言ではないです。つまり、症状を回復するということは、症状を無くそうと考え込むことではなく、症状以外の生活を、体を使いながら心身を整えることに他ならないのだと思います。
最後に最近、腸脳力という言葉を耳にします。腸が健康になれば、脳も健康になるという意味だそうです。その際、ある学者は腸内細菌に注目し、善玉菌を増やすことが健康の全てであると言っていました。腸内細菌が性格を作っているという言説もある位です。そうだとすると医食同源である食事を腸内細菌の観点から気を付けてみるというのも一考に値すると思います。
まだまだ身体がしんどい状態だと思いますが、Fさんにとって少しでも状態が改善することを心より願っています。
(樋之口潤一郎)
「人間関係のストレスと森田療法」 '21.3
Aさんは、「1月に起きた人間関係のストレスから、将来に対する不安を感じるようになりました」と書き込まれています。さらに「このようなことになったのは、これまでの私の行動に問題があったから、という様に感じています」とも書かれています。自分の問題をみつめよう、という姿勢を持っておられるのですね。
詳しい状況が書かれていないので、ここではごく一般的な内容を書いておきます。
人が社会で生きる存在である以上、対人関係の悩みというのはどうしても生まれてくるもの。職場のストレスチェックなどでも、悩みの筆頭に上がるのが対人関係の悩みです。
森田療法では、対人関係で悩むのは、人と関わりたい、人に好かれたい、人に認められたい、などの「欲望」があればこその悩み、ととらえます。それがあるからこそ、その裏返しで「つまらない人間と思われたのでは」「さっきの振る舞いは不快に思われたのでは」と悩み、さらには「自分がつまらない人間だからだ」と自分に価値づけをしてしまうこともままあります。そうした中でがんじがらめの身動きの取れない状態に入って行ってしまうのです。
「自分がちゃんと変わってからでないと関われない」と身を固くするのではなく、今の自分の「あるべき姿」からは程遠いように感じる姿、悩む自分のまま、その場で必要なことからかかわっていきましょう。そのときには、うまくいかず悔しい思いをしたり自分を情けなく感じたり、様々な思いに駆られることでしょう。
しかしそこで感じること、起こってくる気持ちに気づくことは、自分の求めていることを知る第一歩でもあります。ただ、ここで大切なことはそこに価値判断を差し込まないことです。
関わりながら、他の人の姿、言葉もそのまま聞いていきましょう。いつの日か「他の人も案外同じように悩んだりくよくよしているのだな」と感じられることでしょう。それは無理に不自然なほど明るく振舞うことは遠いあり方になるかと思います。
こちらの体験フォーラムでは、「強迫神経症の部屋」に社交不安症(対人恐怖症)の悩みも多く書かれていますので、そちらも参考にしてください。
(塩路理恵子)
「不安は安全装置。少しブレーキを緩めてみてください」 '21.2
Tさんは、中学生からの赤面恐怖、大勢の前で話す際の強い緊張など、さまざまな悩みを抱えながら今まで過ごされてきたのですね。悩みが絶えない日々の中でも、この半年で新しいお仕事にチャレンジされたのは大きな一歩ですね。また、そのような中でも日々の仕事を振り返った時、きちんと仕事ができているとご自身で振り返ることができていることは、大きな進歩なのだと思います。
とはいえ、でも、辛いのですね。私なりに想像してみますと、Tさんのお悩みの根底には、小さい頃から「〜でなくてはいけない」という考え、たとえば人前で堂々と話さなくてはいけない、自分の発言で人を傷つけてしまったらどうしよう、中途半端な仕事では周囲に迷惑をかけてしまう、等の観念があるのではないでしょうか。そして、思うようにできない自分に対し不安になり、自信を失い、“絶望”という極地まで達する。これはたいへん辛いことと思います
このような極地において、森田療法では発想の転換を行います。なぜここまで人は悩むのか。森田先生は、不安や恐怖の裏には、“生の欲望”があると語ります。人前で話す恐怖の裏には堂々と話し認められたい気持ちが、失敗恐怖の裏には成功したい気持ちがあると捉えます。
今まで、Tさんは、自分の言動で他者の人生にダメージを与えたり、仕事で会社に大損害を与えたような事実はありますでしょうか。神経症の方の多くは、実際は真逆で、周囲からは“頑張り屋さん”と評価されていたり、安全に物事を運ぶタイプの方が多い印象があります。逆に、人前で不安もなく思いつくままに話したり、不安を感じず実行に移すタイプの方ですと、時に大きな事故を起こすものです。
つまり、不安や恐怖は、現実生活を堅実に過ごすための大切な安全装置でもある訳です。だから、Tさんの性格を無理に変える必要はないのだと私は思います。
ただし、この安全装置が過剰に働きすぎると時にブレーキになります。“やりたい”というアクセルと“怖いから避ける”というブレーキが同時に働くと、人間誰しも疲れるものです。
私のオススメは、このブレーキを少しだけ緩めることです。少し仕事で失敗しても後からカバーできる、失言や失態も粘り強く仕事に取り組めばいずれきちんと評価される、そんな風に少し肩の力を抜いてみてはいかがでしょうか。それから、案外周囲の人はTさんに注目していないかもしれません。Tさんは、1ヶ月前の同僚の仕事のミスや、失態を覚えていますか。時とともに、人は忘れてしまうものです。
Tさんは休日になると翌週のことで悩み、手足がしびれたり、喉がつかえる体の症状も出ているようですので、休日の過ごし方を変えてみるのもよいと思います。仕事が人生のすべてではありません。勇気が必要と思いますが、休日は仕事を投げ捨て、ゆっくり休んだり、自分のためにわがままに時間を使ってみてください。
(鈴木優一)
「100%の安心を求めれば、逆に不安が大きくなる」 '21.1
Mさんは、子宮に良性のポリープが出来て以来、癌に敏感になり、占いで「胸に気を付けろ」と言われたことをきっかけに乳がんの不安に苛まれているとのことでした。ご自身も「馬鹿げてる話」と書かれていましたが、言われた瞬間から胸に違和感を感じたというのは、ポリープによる動揺が心のどこかに残っていたのかもしれませんね。その後、色々な病院を受診し、問題ないと言われているようですが、不安で仕方ないと書かれていました。
こうした病気への不安は、誰しも少なからず経験していることと思います。とはいえ、Mさんの場合、「ガンではない」という結果を求めて受診し、実際問題はないと言われたにもかかわらず、その結果を信じられず、不安材料を自ら探った結果、疑いを強めてしまっているように思われます。つまり、100%の安心、絶対大丈夫・・という確信を求め過ぎて、逆に疑念ばかりが強まり、「ガンではない」といった事実に目が向かなくなってしまっているということでしょう。
では、どのような結果であれば今の果てしない疑いの連鎖から解放されるのでしょう?「ガンです」と言われれば不安や心配はなくなるでしょうか?そうではないですよね。Mさんがここまで病気を不安に思うのは、健康で充実した毎日を送ることを人一倍願っているからではないでしょうか。それだけに、ほんの少しの不安でさえも受け入れ難く、それを取り除きたくなってしまう。それが次々と疑念がわき起こる所以でしょう。
しかし、残念ながら私たちの人生に100%の安心はないのです。今私達が直面している新型コロナウイルス感染にしても同じことです。感染しないように努めることは出来ますが、100%感染しない保証は誰も出来ません。好んで病気になる人はいないでしょうし、出来れば避けたいと思うのは自然な心です。しかし、そうした事態になっていないにもかかわらず、色々想像をしては不安をつのらせ、折角健康で、何も問題が生じていない「今」の時間をビクビク過ごして終わらせてしまうのは勿体ないことですよね。不安材料を完璧に取り除こう、100%の安心を得ようとすればするほど、逆に不安や疑いは強まってしまうのです。
森田先生は次のように述べています。『私にとって死ということは(略)常に必ず絶対的に恐ろしいものである。(略)たとえ私が125歳まで生きたとしても、その時に死が恐ろしくなくなることは決してないということを予言することが出来る。(略)「死は恐れざるを得ず」ということを明らかに知って後は、そのようなむだ骨折りをやめてしまったのであります』と。
Mさんが、実は健康で充実した毎日を求めているのだとしたら、どんな生活を送ると良いでしょうか。例えば、美味しい物をバランスよく食べる、好きな音楽を聴く、散歩やジョギング、あるいは家の中ででストレッチをして身体を動かしてみる、などなど、色々な方法があると思います。コロナ禍でやれることは限られるかもしれませんが、そこで何が出来るか?を工夫することに神経質を生かすのです。ご自身の「今」の時間を大事に過ごすことこそが、本当の意味で心身の健康に、そして納得できる生活に繋がると思います。
(久保田幹子)