普通神経症の部屋

「何に向き合うか」 '19.12 

Jさんはめまい感の様な症状に苦痛を感じています。耳鼻科などでは異常はなく、最初に受診した心療内科で「気が遠のく感じ・視界の奥行きの違和感」などを訴えたところ、「離人感」ではないかと言われました。その後、他の病院では離人症ではないと言われましたが、離人感という言葉を知ってしまったために、めまい感が起きると離人感ではないかと不安になり、初診でいきなり離人感と言ってきた医師がとても嫌に感じて困っていらっしゃいます。

Jさんが初診で、めまい感に苦しむ中、ご自分の症状がどんなものなのか分からない不安もあったときに医師から言われた言葉というのはインパクトがあったのだろうと思います。他の医師にそうではない、と言われても離人感なのではないか、と余計な不安を増やされたような感覚になって、初診時の医師が嫌と感じていらっしゃるのも無理はないと思います。ただ、他の方も書いていらっしゃいましたが、そもそも、離人感があると離人症と言うわけではありませんし、離人感があるから、特別に重たい症状というわけでもありません。 

Jさんは「とらわれに対してどう向き合えば良いか」と悩んでいらっしゃいますが、めまい感にしても、医師への感情に対しても、考えれば考えるほどとらわれて、辛くなり、悪循環になっているということのようですね。そうであるならば、とらわれに「向き合おう」とすると、ますますとらわれてしまうのではないでしょうか。

無理に今とらわれてしまっていることに「向き合おう」とせずに、「あー、めまい感は不快だな」、「気になるな」、「あの先生余計なことしてくれたな」などと思いながらも、それはそのままにして、めまい感などの症状のために出来なくなってしまったこと・生活を回復していくことに「向き合って」みましょう。

向き合うところを変えていくことで、とらわれから抜け出す手がかりが掴めるかもしれません。Jさん、是非とも頑張ってみてくださいね。応援しています。 
(谷井一夫)

「不安が教えてくれるものとは」 '19.11 

こんにちは、Rさん。森田療法を実践し、不安感が目に見えて軽減しているとしたら、それだけ不安の中で日常生活を奮闘し、生活力を身に着けられた証です。職場復帰は正にこのような取り組みの結果なのだと思います。

その上で、Rさんは、職場復帰の段になり不安を自覚するようになりました。そして時期尚早ではないかと迷い始めています。しかし、この不安は果たして弱気でいけないものでしょうか? 私自身はそうは思いません。それはRさんの正直な感情であって、ごく自然なものと考えます。ただ文面から察するにRさんは「不安はあってはならない」との思いから、安心を得るために、自信をつける行動を求め過ぎているように思います。 

ここで我々は不安が人に危害を及ぼす厄介者という認識から、何らかの示唆を与えるメッセンジャーであるとの理解へと改める必要があります。そうだとすれば、不安はRさんに「円滑に復帰しようと力むから不安になるのだ、寧ろ慎重に復帰するように」というメッセージを送ってくれているのだと思います。不安だからこそビクビクしながら仕事に戻って行けばよいのです。

このことを踏まえ、幾つかの点を心がけると良いです。一つは復帰した際、迷惑をかけたとの負い目から、周囲に迎合し仕事を引き受けすぎないことです。復帰当初は、病気で言えば病み上がりと同じです。まずは与えられた業務だけを丁寧に対処することだけに専心するようにしましょう。二つ目は、帰宅時間になったらサッと帰ることを意識して下さい。先程の負い目から会社に無駄に留まらないことです。 

私の印象では、森田療法を実践する患者さんの多くは切り上げることを非常に苦手としているように感じています。会社にとらわれる時間を悪戯に長引かすことは、緊張を自らが引き寄せているようなものです。強迫症状をお持ちのRさんであれば、尚のこと切り上げて次の生活場面に移る事を大切にしてください。 

最後に、復帰当初の本当の仕事は、職場での業務遂行ではなく、自宅でゆったりと鋭気を養う事です。このことが、我々に活力を与え、翌日の仕事をより良いものにさせてくれます。むしろ、日常生活は仕事中心ではなく、私生活を中心に考える位が、力みを募らせやすいRさんにとっては良いと考えます。まだまだ大変な渦中でしょうが、これかさらにRさんの生活が発展することを願っています。 
(樋之口潤一郎)

「これまでの「無理のあるあり方」のサインを受け止める」 '19.10 

Hさんは、風邪(疲労)がきっかけで胃腸症状や動悸、過去や未来などのさまざまな不安を中心とした神経症になった、とはいえベースは少年時代からあり、誤魔化し生きてきたのだ、ということを書き込まれています。参加したい会議に行くことができなかった苦しい心情も書かれています。苦しい状況ですね。

身体症状や不安が出現したのは近年の風邪(疲労)がきっかけだったものの、少年時代から基盤があったのだという気付きを持たれているのですね。神経症の症状は、これまでのあり方に無理があったことを知らせてくれるのかもしれませんね。身体の症状などは自分でも気づかない無理に対するサインと考えることもできます。もしかしたら不安を取り除こう取り除こうとして、とらわれの悪循環に至ってしまったのかもしれません。

ここでいうこれまでのあり方とは、不安を無いものとして取り除こうとしていた、自分や周囲、状況に対して「かくあるべし」を向けていた、仕事などを任せられず抱え込んでしまっていた・・など、さまざまなことが考えられます。もう誤魔化せないのだ、という気付きを活かし、自分の生活、仕事の仕方などを具体的に振り返ってみましょう。悪循環になっていたところ、ここは不安を抱えながらも踏み込むところ、ということが見えてくるのではないでしょうか。

現在心療内科に通院されており、お薬も飲まれているとのこと。主治医の先生ともよく相談し薬も味方につけながら、治療を進めてください。

「誤魔化しながら生きてきた」ということは、つらさを抱えながらもこらえて生きてきた、ということでもあると思います。そこに向けていたエネルギーをぜひ、新しい在り方、ご自身にとっての「あるがまま」を探ることに向けてください。 
(塩路理恵子)

「これまでの「無理のあるあり方」のサインを受け止める」 '19.10 

Hさんは、風邪(疲労)がきっかけで胃腸症状や動悸、過去や未来などのさまざまな不安を中心とした神経症になった、とはいえベースは少年時代からあり、誤魔化し生きてきたのだ、ということを書き込まれています。参加したい会議に行くことができなかった苦しい心情も書かれています。苦しい状況ですね。

身体症状や不安が出現したのは近年の風邪(疲労)がきっかけだったものの、少年時代から基盤があったのだという気付きを持たれているのですね。神経症の症状は、これまでのあり方に無理があったことを知らせてくれるのかもしれませんね。身体の症状などは自分でも気づかない無理に対するサインと考えることもできます。もしかしたら不安を取り除こう取り除こうとして、とらわれの悪循環に至ってしまったのかもしれません。

ここでいうこれまでのあり方とは、不安を無いものとして取り除こうとしていた、自分や周囲、状況に対して「かくあるべし」を向けていた、仕事などを任せられず抱え込んでしまっていた・・など、さまざまなことが考えられます。もう誤魔化せないのだ、という気付きを活かし、自分の生活、仕事の仕方などを具体的に振り返ってみましょう。悪循環になっていたところ、ここは不安を抱えながらも踏み込むところ、ということが見えてくるのではないでしょうか。

現在心療内科に通院されており、お薬も飲まれているとのこと。主治医の先生ともよく相談し薬も味方につけながら、治療を進めてください。

「誤魔化しながら生きてきた」ということは、つらさを抱えながらもこらえて生きてきた、ということでもあると思います。そこに向けていたエネルギーをぜひ、新しい在り方、ご自身にとっての「あるがまま」を探ることに向けてください。 
(塩路理恵子)

「慢性疼痛に対する森田療法」 '19.9 

W様、お辛いことと推測します。今まであまりフォーラムの解答で取り上げてこなかった、「慢性疼痛に対する森田療法」について述べたいと思います。

慢性疼痛とは「医学的に説明がつかない疼痛に対し非適応的な思考が生じる」とされています。一般的には「悲癌性慢性疼痛」を指すことが多いです。その原因は身体の原因と心の要因とがからみあったものであり、どちらが原因かを厳密に区別することは治療上あまり意味を持ちません。

疼痛に悩んでいる患者さんは「痛みはあってはならないもの」と痛みを敵対視し、痛みに負けじと、痛くても自分に負荷をかけてしまうことが多いようです。ここにいわゆる「強迫性」がある場合が多そうです。

慢性疼痛に対する森田療法の治療目標は、「自分の生活を犠牲にしてでも、何が何でも痛みを治そうとする」スタイルから、「自らのとらわれや生き方の不自然さを知り、自ら修正し、痛みがありながらも生き生きと生活する」スタイルに転換することです。それは治療の焦点を痛みという症状から生活に広げることになります。

ただ不安と痛みとは異なります。慢性疼痛に対する森田療法を提唱している平林先生は「痛みを観察する」ことを勧めています。すると自分で思ったより痛みは持続しないことがわかるでしょう。また、痛みの原因を尊重した上で痛みへの「とらわれ」を明確にしていきます。

具体的には、「痛みを過剰に恐れると痛みに注意が向きやすくなり、感覚が研ぎ澄まされ、痛みが強くなる、痛みが強くなるのでますます注意が向くという悪循環になります。この状態は筋肉の緊張も招きやすく、筋肉の懲りが生じるとさらに痛みが増し、心と体の悪循環が生じます」と説明します。さらに「痛みをなくそうとして思い通りに痛みをなくせないため、かえって苦しくなっているのではないか」と問いかけます。

「痛みを排除したい」気持ちを、建設的な方向へ生かすことが大事です。ただ、痛みの患者さんは非現実的な無理をして動く場合があるので、そこは注意が必要です。ゼロか百かといった行き過ぎを削り、痛いときはペースを緩めて行動するなど臨機応変な行動をすることが大事となります。

W様は疼痛以外に不安もあり、今回述べた慢性疼痛に対するアプローチが全部ぴったりあてはまるわけではないかもしれません。参考になるところを取り入れて頂けると幸いです。 
(舘野歩)

「日々の暮らしをこなすだけでなく、能動的に動いてみよう」 '19.8 

Nさん、はじめまして。

耳鳴りが続いているのですね。私の外来でもしばしば耳鼻咽喉科の先生からの依頼で、Nさんのようなお悩みのご相談を受けることがしばしばあります。不快な音が常に鳴り止まないことはとても辛いこととお察しします。

ここで、一つの空想をしてみましょう。今この瞬間に、Nさんの住んでいる土地に大地震が起きる。立ってもいられないほどの揺れで、家具も倒れ、それを必死で避けながら、近くにある机の下に身を隠し一命は取り留めた。しかし、家具が邪魔をして家から出られない。こんなシチュエーションに陥ったら、Nさんはどう行動しますか?不安を煽るような喩え話でたいへん恐縮です。もしもの話です。このような事態に陥れば、おそらく全力で家からの脱出を試みるでしょう。

さてこの時、Nさんの耳鳴りはどうなっているでしょうか?耳鳴りは存在しますが、意識されないかもしれません。

森田正馬先生は次のようなことを語っています。「自己の生存に関して重大な刺激があるか、あるいは能動的努力が大であるかにしたがって、それはますますその人の注意を起こし、明らかな注意を伴うようになる。われわれの日常の行動は、この刺激も、努力も、注意作用の調整もともに適度であるとき、はじめて故障なく行われるものである」。

極端なお話になりましたが、注意の矛先がどこに向かうかで、耳鳴りという症状は強く感じたり、感じなかったりするものです。

Nさんの身体が許す限り、能動的に今の生活を豊かにする現実的な試みを実行することが、回復への道程となると考えます。森田療法は頭で理解することも大切ですが、行動して実体験することがなによりも大切です。小さなことでよいですので、自らの意志で動いてみてください。そしてその小さなことは、日常生活に隠れているものだったりします。 
(鈴木優一)

「欲求と恐怖の調和」 '19.7 

Fさんは音にとても神経質で、犬の声、子供の声、マンションの物音といった雑音恐怖に悩んでいるとのことでした。きっかけは隣家の犬の鳴き声だったそうで、またいつ鳴くのか不安で、鳴くと動悸がしたり飛び起きてしまうため転居もされたようです。しかし、転居先でも上下階の物音やピアノ音に悩まされているそうです。

確かに、騒音トラブルの話はよく聞きますし、毎日のことですからお辛いことと思います。とはいえ、生活をしていれば様々な物音が生じてしまうものですし、周囲に対する配慮には個人差もあります。同じように考えてもらいたいのはやまやまですが、なかなか難しい問題ですね。

実際、Fさんは配慮がない相手への苛立ちを感じているようですが、同時に自分が変わるために何とかしたいとも書かれており、前向きな姿勢を感じました。

ではFさんはどうしてここまで音に敏感になったのでしょうか。

誰しも、色々な騒音に悩まされずに快適な生活をしたいと願うものです。おそらくFさんも、そんな生活を求めていたのではないでしょうか?そんな時に、犬の鳴き声や子供の声が突然聞こえれば、当然そこに注意が向いてしまいますし、不快にも思うでしょう。しかし不快を避けたいと強く思えば思うほど、結果的に身構えてしまい、より音に敏感になってそれにとらわれてしまうのです。つまり、「静」を求めれば求めるほど「雑音」への不快感が強まるということです。

森田は、こうした不安や恐怖に対して、欲求との「調和」を促しています。森田の言葉の要約を紹介します。「これらの恐怖に対する臆病も、これを矯正することは欲望と恐怖との調和によって出来るものである。・・・恐怖するまいと努力するのではなく、恐怖感情はただそのままに持ちこたえていさえすればよい。たとえば電車通りに住む人がその音響も、さほど苦にならないようになるのは、そのうるさいうるさいと思う気分を、そのままにしているからである。これに反して、時計の音でも、もしこれを聴かないように、気にとめないようにと努力するときには、ますますこれが耳について、不眠症を起こすことさえもあるのである」。

まさにFさんは、不眠に陥っている状態でしたね。森田が例としてあげているように、雑音を「うるさい」と思うのは自然なことですが、それを「気にしないように」あるいは「何とか無くそう」と躍起になればなるほど余計耳についてしまいます。隣人と話し合う努力も勿論必要とは思いますが、雑音のことばかりにアンテナを張って、当初望んでいたような快適な生活を後回しにしてしまうのは勿体ないことですね。

「うるさいな〜」と思う気持ちはそのままに、少しでも自分が求めている生活、本当はどう過ごしたいのかという素直な欲求にしたがって、その中で出来ることを探してみたらどうでしょうか。自分の心にアンテナを張り、行動に移していく中で、少しずつ恐怖と欲望の調和がはかれるのではないでしょうか。 
(久保田幹子) 

「絶体絶命から変化が生まれる」 '19.6 

Xさんの文章を拝見しました。今好きな人がいるとのこと、素晴らしいですね。最近は好きな相手に出会えないという悩みをお持ちの方も多いで、好きな人ができたことは本当に良かったことです。

Xさんは会食時の嘔吐恐怖でお悩みですね。嘔吐恐怖で悩まれている方で森田療法を求めてやってくる方は多くいらっしゃいます。嘔吐恐怖の方の多くは、場の雰囲気が良くなることを重んじ、そのため場の雰囲気を悪くするかもしれない「嘔吐」への恐怖に悩むのです。

Xさんの嘔吐恐怖の症状は、「人に好かれたい欲」の裏返しです。好きな人に好かれたいからこそ、二人の間の雰囲気を悪くしたくないと思うのでしょう。森田先生は「人に好かれたい欲」について「どこまでもあくなき欲望であり完全欲の表れ」と言っています。人間の持つ人に好かれたい欲は際限の無いものなのですね。

まずはXさんの気持ちの中でその好きな人と一緒に食事をしたい気持ちがあるかです。まだその気持ちが少ないようでしたら、食事以外で一緒に過ごす方法を考えてみてはどうでしょうか。とにかく好きな人と一緒に楽しい時間を過ごす事が大切なことですよね。そのうちXさんの中に好きな人と一緒に食事をしたいなという気持ちが生まれたとします。そうした時はチャンスです。

森田療法を受けた患者さんは、「絶体絶命の中から変化が生まれる」と自らの体験を述べています。Xさんの中に食事をしたいという気持ちが少しでも生まれた時、「吐いてもいいから食事をしてみよう」という崖っぷちの覚悟で食事をしてみてはどうでしょうか?もし吐いてしまったら、どのような状況で吐いてしまったかを通院している心療内科医に報告すればよいのです。

またもし吐いてしまったとしても、相手が将来を考えるような相手であれば、優しく声をかけてくれると思います。Xさんのいろいろな一面、相手のことを思う一面、神経質な一面などありのままのXさんを受け入れてくれる相手であれば、将来のどのような困難も一緒に乗り越えてける相手となりますね。 
(大久保菜奈子) 

「症状が移り変わっても根源は一緒」 '19.5 

Kさんは2年前にある病気がわかったことをきっかけに、長引く不眠症に悩まされるようになりました。以前から何かあると不眠に悩まされることはよくあったそうです。また、病気から身体の少しの変化にも敏感になり、このところは耳鳴りが気にかかるとのことです。 

Kさんは手術が無事うまくいったこと以外、病気についての詳細は書かれていませんが、それ以降2年も身体への不安が続いていることを考えると、病気自体がかなり衝撃的なものだったのかと思います。 

自分にもっと出来ることがあったのではないか等、病気に至るまでの悔いや、病気がわかって世界が変わるような感覚など、まだ消化しきれていないさまざまな思いが今もあるのかもしれません。不眠についても、お子さんの心配についても、自分への心もとなさもあり、これでうまくいくのか100%大丈夫という確信を得ようとより深く突き詰めてしまっているのかもしれません。 

体験フォーラムでの他の方とのやり取りを見ていても、Kさんはかなり自分を見つめ、行動にする力があるの方のようです。「仕事や買い物等は、気がそちらにいかないので楽になります。でも家に帰ってくると、また、耳鳴りに気がいってしまいます」などはかなり良い観察ですね。 

仕事や買い物などを行っているときは耳鳴りが気にならないのもKさんのとても健康な面がよく現れています。やることがあるときにはそちらにより意識が向き、気にならないわけですね。暇ができると耳鳴りの状態を調べてしまうのも、自己内省が強く、完全主義的な神経質者にとっては自然な流れかもしれません。意識が向いてしまうことよりも、むしろ不眠があってもまず出来ることに手を出して生活をし、気になることがあっても仕事に行き、買い物など用事を済ましている自分の姿を大切にしてねぎらっていってほしいと思います。それが不安の無限ループから脱出する道です。

その上で、苦痛だという気持ちをよく感じたうえで、これが続くと何が不安なのかと自分の思いを見つめてみましょう。そうする中で、自分が精いっぱいやっていることについての愛おしさが感じられたり、今自分にできることとできないことが分けられていくはずです。 
(矢野勝治) 

「お腹のことはお腹に任せる」 '19.4 

Mさんは中学3年生の頃から4年間、腹鳴恐怖症で悩んでいらっしゃいます。最初はお腹がすいた時にお腹が鳴っていたようですが、最近ではお腹がすいていなくてもお腹が鳴るようになったり、静かな所や少し緊張する場面でお腹が鳴ってしまったりするようです。

お腹が鳴ってしまうのを誰かに聞かれるのはとても恥ずかしい気持ちになりますよね。私も診療中にお腹が鳴ってしまって、患者さんに「先生、お腹すいているんですね」と笑われて、「恥ずかしい〜」と思ったことがあります。ただ、ちょっと重たい話題を話している時だったので、そのお腹の音で患者さんが笑ってくれて、その後、話しやすくなったことを覚えています。

お腹(胃や腸)は自律神経という神経で調節されています。自律神経というのは自分の意思でコントロールできるものではなく、身体がその時の自分の状態に合わせて、勝手に調節しているものです。例えばお腹がすくと、お腹の動きが活発になったり、お腹に食べ物が入ってくれば胃や腸が消化・吸収しようと動いたりします。つまり、自分の意思ではどうにもなりません。

おそらく、Mさんはお腹が鳴って、「周囲の人に聞こえたら恥ずかしいな」と感じていらっしゃるのだと思います。「恥ずかしい思いをしたくない」という気持ちから「お腹が鳴らないか」ということを常に心配したり、「人前ではお腹が鳴ってはいけない」と感じたりしているのではないでしょうか。 

自律神経で調節されているものは注意を向ければ向けるほど、乱れやすいものです。Mさんがお腹に注意を向けているとき、本当に注意を向けたい所はどこでしょう?学生さんなら授業だったり、勉強だったり、部活だったり、友達との会話だったり、でしょうか。社会人なら、仕事でしょうか。今、やるべきことに手をつけていくと、だんだん注意を向けるところも変わってくるはずです。 

お腹のことは、お腹に任せましょう。たまたまお腹が鳴ってしまうことはどうしようもありません。鳴ってしまったら、周囲に笑いをプレゼントしているんだ、くらいの気持ちでも良いのかもしれません。是非とも頑張ってくださいね。応援しています。 
(谷井一夫) 

「痛みの意味するところ」 '19.3 

こんにちは、Jさん。C型肝炎の罹患やインターフェロンの過酷な治療などは、どれもJさんに多大な苦痛を与えたのではないかと感じます。ましてや、発熱や筋肉痛などの副作用をもたらす、インターフェロンの治療の苦痛は、私の想像を遥かにこえるものであったでしょう。一般的に強い痛みは、しばしば私たちの脳裏に焼き付け、ことあるごとに「またあの痛みに襲われたらどうしよう」などと予期不安を、呼び起こすものです。
そして、このような心理的文脈が、Jさんの体の痛みや違和感に対する極度のとらわれを作り出したのだと思います。

当然、前立腺癌に対して行われたホルモン療法も、痛みに対する直接的原因であることに変わりはありません。しかし、前立腺癌が見つかった時点でインターフェロンによる体部の痛みが消失したという事実は、痛みに纏わる不安の矛先がインターフェロンから前立腺癌にシフトしたことを物語っていると言えます。

このような痛みに対して、我々はどう対応したらよいでしょうか? 鎮痛剤などの類はJさんの痛みの軽減には一石を投じるでしょう。しかし、そのことで痛みの軽減に至ったとしても、痛みに纏わる不安から作り出されたとらわれから、回復できる訳ではありません。この場合、次のように痛みを捉え直していくことが重要だと、私は考えます。

一つは、痛みの意味を、あってはならないものという考えから、自身の体が治療で悲鳴をあげている警告反応であると捉え直すことです。インターフェロンやホルモン療法然り、体にとってある意味特殊な状態であることに変わりありません。痛みは、体全体を労わるようにと私たちに教えてくれているのです。

二つ目は、痛みによって引き起こされた不安の裏にある、「こんな私でも健康で生きたい」という欲求を大切にしながら、実生活に少しでも生かせるよう心がけることです。

勿論、このような転換はそう簡単なことではありません。しかし、痛みが得てして、体に過度の緊張を与えていることを鑑みれば、体を温めたり、ストレッチで筋肉を弛緩させたりするなどの手の届く取り組みは、体を労わるだけでなく、健康に纏わる欲求を建設的に生かすことに他なりません。そして、このような試行錯誤が進む中で、Jさんには是非気持ち良い、楽しいなどと感じる体験を大切にしていただければと思います。というのも、私たちが症状を抱えながら生きる上で、このような体験が多くの皆さんを幸せに導くと考えるからです。今は痛みの中で、苦労が絶えないと思いますが、Jさんに新たな心の転換が起こる事を心よりお祈りしています。 
(樋之口潤一郎)

「身体の病気を契機とした不安」 '19.2 

Tさんは、「以前から体の不調が続いていましたが、2か月前に原因が確定し、先月手術をしました。その後は体調の変化が気になりだした上に、仕事や生活、将来のことで不安感が強くなり、どうしようもない毎日」と書き込まれています。

体の手術という大変な経験をされたのですね。手術の後は、たとえ経過が良くても、以前とは違う体調の変化を感じられると思います。 そして、変化というのは、それだけで不安を呼ぶものですね。これまであまり意識しなかった身体の状態のことにも意識が向きやすくなっていることでしょう。

そして「こんな状態の自分でやっていけるのだろうか」という気持ちから、仕事や生活、将来のことまで不安が広がっているご様子。日々体調を気にして体の状態をチェックしていると、体調も実は日々一定ではないため、体の生理的な変化も拾ったり、感覚も敏感になり「これは病気の悪化ではないか」と考えてしまったり、悪循環に陥ることがままあります。

仕事や将来のことにも不安に感じるようになったとのこと。具体的な生活上の不安に関しては周囲の人や専門家—体の主治医の先生や看護師さん、ソーシャルワーカーさんその他の人—と相談することで解決できることもあるかもしれません。そのとき、抽象的に考えるのでなく、できるだけ具体的に考えていく、というのも森田の知恵です。具体的に対処していくことと、不安だけれど今は置いておくことを分けていきましょう。

また、「回復」を「元の通りに戻ること」に位置付けないことも大切です。 以前とは異なる、今の身体とつきあいながら、「今の自分で」「その日にできること」に少しずつ手を付けていきましょう。 そして、せっかく体の不調の原因がわかって手術という治療を受けることができたのだ、ということもまた事実ですね。その事実も大切にされてください。 
(塩路理恵子) 

「頑張りすぎぬように」 '19.1 

K様、パニックと不眠の再発で当初さぞかしお辛かったですね。だいぶ他の方からのご意見もあり終結しているようにも見えましたが専門医としての追加コメントをさせて頂きますね。

一般的にパニック発作や不眠症など神経症の症状が再発する時にはライフサイクルの変化を代表とする「きっかけ」「誘因」があります。ただ「きっかけ」「誘因」だけでは症状は再発しませんが、元来持っている神経質な性格を基盤に「きっかけ」「誘因」が重なり、そこで「こうあらなければならない」「きちんとしなければ」との「構え」が強まり、再発するパターンが多いと思います。

K様は「子供の体調が悪いとき、看病が重なった」時にパニック発作が起こるのですね。つい子供のことを心配すると子を思う気持ちが強いがために無理しがちですよね。ここで「自分はここで頑張らねば」との構えが強くなり「頑張りすぎ」ではないでしょうか、、。ご自身でこまめに休みを取っていると振り返られていますね。具体的にどのくらい休みを取られているかはわかりませんが、ご自身がもし完璧主義であるならさらに休みをいれていくようにしても良いかもしれませんね。

あと、参考までにパニック障害とカフェインについて一般的に言われていることを付け加えますね。パニック障害を持つ人はコーヒーを好む人が少ないです。それはパニック障害の患者さんはカフェインに過敏だからです。貝谷先生の調査ではコーヒーを飲んだ後にパニック発作または不安感や不快な症状を訴えた人が2割弱ありました。米国の研究では、コーヒーを五杯飲めばパニック障害の患者さんの7割はパニック発作またはそれに類似した不安状態が起きると言われています。パニック障害患者には今までにコーヒーを飲んで不安感や動悸を経験した人は以後コーヒーを止めたほうがよいでしょう。どうしてもコーヒーの味と香りを楽しみたい人はカフェインレスのインスタントコーヒーを試してみて下さいと貝谷先生は勧めていますので参考にされて下さい。

また最近の海外の研究によれば、喫煙はパニック障害の発症の引き金となるだけでなく、症状を悪化させ、病気の予後にも悪い影響を与えることがわかってきています。ヘビースモーカーの方もご注意下さい。
(舘野歩)