普通神経症の部屋

Aさんは、40歳で課長になられたとのこと、会社内で認められていたのですね。ただ、転勤・単身赴任に年上の部下ではつらいですね。

まずは仕事と休息のバランスは取れているでしょうか?仕事が大変になってくると、つい仕事に注意が焦点化してしまいます。仕事をしっかりやることは勿論大切ですが、同時に仕事以外のことをして気分転換をはかることも大切です。アルコールは気分転換になる方もいますが、単身赴任で家で飲んでいたりしますと止める人もいないので、飲酒量がどうしても多くなってしまいます。アルコールは飲んだ直後は気分を高めますが、数時間後には逆に気分が落ち込んできたり不眠の原因にもなります。できればアルコール以外に気分転換の方法を考えましょう。ご自身の好きなことを通じて人と関わるようなことをお勧めします。趣味でもボランティアでもよいかと思います。

部下に毎日怒られているとのこと。なぜ部下は怒っているのでしょうか?何かが不満で怒っているのか聞けるようでしたら聞いてみてもよいかもしれません。理不尽な怒りであれば、どうしようもないので「そのような人もいる」と思って受け流していくしかないですね。仕事上の関係と割り切って、やるべきことを淡々とこなし、仕事以外の時間の楽しみで埋め合わせをすることです。誰もが自分の思い通りの好きな仕事に就けているわけではありませんので、仕事はやらなければならないことと割り切って、無理しすぎず継続していく姿勢でやっていきましょう。どのような困難な状況でも、その置かれた状況の中でそれなりにやっていって下さい。

Aさんのなかに年上の部下に対して「言いたいことがうまく言えない」と書かれていましたが、言いたい・伝えたい気持ちがあれば大切にしていきましょう。日本は年功序列の傾向が今も強いので年上の部下は、年下の上司に対し複雑な感情を抱いているのかもしれません。年上の部下には今までの経験という自負があります。部下の経験豊かで良いところを見つけていき、教えてもらうことにより関係を改善させるという方法もありますので試してみてください。他人は変えることはできませんが、自分の相手への態度は変えることができます。
(石山菜奈子)


「子どもの登校しぶり」 '15.11 

Nさんは、中学生の娘さんが登校を渋るようになったと相談されています。朝になると身体が動かなくなるというのは大変ですね。書かれている内容からすると、実際に今症状があって出られないというよりは、そうなったらどうしよう(嘔吐してしまったらどうしよう?)という予期不安が強いために行けないということでしょうか。実際に外で吐いてしまったことがあったのだとしたら、周りの反応も気になる年頃ですし、不安もより募りますね。この季節でもありますし、吐き気や動悸といった症状が身体的な問題から来ているものではないかを病院でまず見てもらって確認することが大切ですね。

その上で、身体的に問題がないとすると、嘔吐するのは誰にとっても気持ちのいいことではありませんが、娘さんがそこまでそのことにこだわっているのはどうしてでしょう。娘さんにとって「人前で具合が悪くなると何がまずいのか」「人前で吐きそうになると何が心配なのか」。例えば、人前で恥をかくのが不安でそのことにこだわっているのか。それとも、よりストレスへの身体反応的に、外に出る度に突然気持ち悪くなってしまって、それが積み重なって出られなくなってしまったのか、など。

娘さんが何にこだわって、何を怖がっているのかに注目しながら話を聞き、どうしていったらいいか、取れる対策がありそうかを具体的に話していけるとよいです。お母さんの理解しようとする姿勢が、娘さんへの共感になっていくと思います。また同時に、お母さんが学校の先生や保健の先生、習い事の先生などから、学校・習い事での娘さんの様子を聞き、色々な側面からの理解を進めていけると良いですね。友人関係や、勉強面でのつまづきがなかったかなど。娘さんの理由やそのこだわり方が親御さんから見て理解可能なものかどうかも大事な点です。

お母さんの意見も「お母さんはこう思うけど、どうか」と呈示して、お互いの意見をやり取りできるといいですね。なので、Nさんが「学校は行くものだよ」って自分の考えを呈示しながら、でも体が動かない娘に対して、「どうしよう」と考える姿勢を投げかけられているのはとてもいいスタンスだと思います。本人の中に行くか行かないか迷う気持ちがあるのなら、それぞれの理由を聞いて、娘さんがより実現したいと思っている方向にサポートしていけるといいです。例えば、習い事はしたいとか、友達と一緒にやりたいとか、本当は休むのは嫌だなどという気持ちがあれば、どうだったら少し行ってみられそうかを聞いてみる。

本人に行きたい気持ちがちょっとでもあれば、行きやすいきっかけを作る(例:友達に呼びに来てもらう、本人が安心できる先生に学校で待っていてもらう)、本人が行きやすい場から始める(例:保健室、相談室や、部活から行くなど)、など一歩出しやすくするサポートも有効かと思います。 その中で「やってみたら何とかなった」という体験をしていくことが、予期不安からの脱却にとても重要です。結構頑固に嫌がっている子でも、友達に誘われたりして、行って大丈夫だったりすると、そのまま行ってみるなんていうこともあります。

思春期は、身体的にも発達を遂げ、人間関係もより複雑になる一方で、そこでの自分の気持ちや状況をなかなかうまく説明できない時期でもあります。なので、すっかりわからなくても、お母さんに問題があるからではないので、安心してください。校内のスクールカウンセラーや、区市町村の教育相談室や思春期に対応している地域のクリニックなどを受診して、見立てと対応を相談することもとても有用だと思います。保健の先生などはどこに相談に行ったらよいか、これまでの子どもたちへの対応の中で把握していることも多いです。
(今村祐子)

「"普通"とは」 '15.10 

患者さんに「症状がなければ(症状が気にならなければ)どうしたいですか、どうなりたいですか?」と聞くと、「普通の人のようになりたいです」「普通に働きたいです」という返事がよくかえってきます。
(普通という言葉は生活のなかでよく使われますが)この場合の「普通」はどういう意味でしょうか。「普通」について患者さんに詳しく聞くと、漠然と使っている場合が多くあります。あえて言うならば(多くの人の平均)(症状を気にしない人やその状態)ということになるでしょうか。
「普通」について、詳しく聞いて具体化することで、進もうとする道、さらには今やる事がはっきりしてくることがよくあります。
(矢野勝治)

「身体的な不調が教えてくれていること」 '15.9 

Aさんはジョギング中に動悸に襲われて以降、「背中や腰の痛み」、「嫌なことや不吉なことを考えてしまう」、「記憶を失うのではないかという恐怖」などで困っていらっしゃいます。
背中や腰の痛みといった体の不調だけでも辛いのに、さらに不吉なことを考えたり、記憶を失う恐怖もあったりするのでは、さぞかしお辛いと思います。
詳しい情報がないので分からないのですが、動悸や背中や腰の痛みなどは病院で検査などは受けられたのでしょうか。もし、持続的にこれらの症状があって、受診されていないようであれば、まずは診察を受けることをお勧めします。

ここでは、検査などでは異常がなかったと仮定してお話をさせていただきます。我々にとって、身体的な不調というのは本当に嫌なものですね。しかし、身体的な「不調」があるから、大きな病気のサインに気付くことが出来たり、「今、無理して体に負担をかけているな」と気付いて自分の体をいたわったりすることが出来るのです。極端な話ですが、我々が「痛み」というものを感じなかったとしたら、すぐに死んでしまうかもしれません。そういった意味では「痛み」というものは「不安」と同様に、必要なものであると言えます。
身体的な不調は自分の生活や行動を振り返り、見直す良い機会となります。例えば、デスクワークが多くて運動不足の方が肩こりや腰痛に悩まされているとすれば、仕事中の姿勢を正してみたり、生活の中でストレッチや運動を取り入れてみたり、といったようにです。

Aさんもまずは、「どうしてこんなことを考えてしまうのか」と考えるだけでなく、ご自分の生活を振り返り、ご自分で出来るケアというものに取り組んでみてはいかがでしょうか。
(谷井一夫)

「何事も少しずつでよい」 '15.8 

こんにちは、Pさん、自殺を想起する眩暈だったのですから、相当辛かったのではないかと感じます。その際、耳鼻科でメニエール症候群などは除外されましたか? 心理的要因と考えられていた眩暈が、実は身体疾患由来であったことを、私も臨床場面で良く経験します。もし受診をされていないようであれば、是非一度受診してみて下さい。ただ、耳鼻科疾患でないとしたら、常日頃から抱いていた心理的ストレスによって、体調不良や様々な自律神経症状が作り出されていたのではないかと推察します。詳細は分かりませんが、お子さんの一時的な不登校も、Pさんに相当な心理的ストレスを与えたことでしょう。その結果、Pさんは「今後どうしたら良いのだろうか」という不安を強く意識せざるを得なくなったのだと思います。

ところで、Pさんは、この難局を乗り越えようとして、森田療法の書籍から建設的な生活実践に努めるようになりました。それは、不安の背後に「社会人として、父親として少しでも立派でありたい」という思いがあったからだと、私は考えます。漢方治療も「体調を整え、生活をきちんと送りたい」という思いの表れだったでしょう。このような不断の努力が、結果としてPさんの状態を回復に導いていったのだと思います。 

しかし、そんな矢先に勤務先の先輩が倒れ、会社の存続が危ぶまれる状況に陥ってしまいました。今後の生活に関わることですから、Pさんに将来への強い不安が沸き起こるのは、当然だと考えます。けれども、ここで忘れてならないのは、Pさんの場合、何らかの心理的ストレスが必ず体調不良を作り出しているという点です。一時的な休息こそあって構いませんが、漫然とした休息で体調の回復を図ろうとすることは、結果的にストレス場面の対応を先送るだけで、余計にPさんを不安にさせてしまいます。ここは辛いでしょうが、やはり現在なさっているように、少しずつ前に進む取り組みを継続いただければと思います。その際Pには、先々の不安を考えるあまり、長期的な課題をすぐに解決しようと焦る傾向が見受けられます。先々の不安はコントロールできないのが常です。ですからコントロールできる直近の課題から一つずつ着手していきましょう。目の前の課題が一つずつ解決していくことで、心理的負担が軽くなるだけではなく、また新たな「自分はこうありたい」という欲求が見えてくるかもしれません。是非お体に自愛され頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

「"人に心を開けない"こと」 '15.7 

Sさんは、「私は人に心を開けません。心をオープンにすることは、長年親しくしている友達にも出来ていません。心をオープンにすることで不安や恐怖があとから襲ってきます。・・不安感や恐怖心を克服し、表面上だけの人間関係ではなく心と心で繋がるような人間関係を築いていけるようになれたら、と思っています。」と書き込まれています。

人と心を開いて深く関わりたいと願いつつ、不安や恐怖に苦しんでおられるのですね。
Sさんが悩んでおられる「自分がした発言に対しても後から何度も思い返してしまい、誰かに嫌な思いをさせてないか、自分の感情がオープンになり過ぎたのではないかと不安になります」ということは、人間関係でとても大切な「気づかい」であり「気がね」です。それがあるからこそ、思いやりもあり、人との関係も成り立っていくのですが、それをあってはいけない、あるいは余分なブレーキと捉えすぎてしまっているのかもしれませんね。

もしかしたら、自分の心そのものを「オープンにしなければならない」と直接変えようすることで、苦しみが強まっているのかもしれません。
人との関わりは、そのときどきのやりとり。もう一度、そのときそのときの話題や状況、仕事なりそのときに起こっていること、に目を向けてもいいのかもしれませんね。物事を通して自分の中に起こってくる「感じ」から出発し、それを伝えていくやり方です。

森田先生は、人との関わりについても「不安心即安心」という言葉を使われています。「・・植木が枯れはせぬか、つい間違ったことをしはせぬかと思い、あるいは友人に、何か自分が排斥されるようになりはせぬかと、思うことは不安心である。この不安心は、常に心がハラハラして落ち着かないで苦しいことである」と。その「不安心」を落ち着かせることに安心があるのではなく、落ち着かない心そのものが安心だというのです。そうして、その時と場合に応じて絶えず工夫し、かけひきができるようになるというのです。「どの程度自分を出すか」というのも同じようかもしれませんね。
Sさんの文面からは、人との関わりを心から求めておられることが伝わってきます。 ぜひその願いを生かし、人との関わりに限らず、ハラハラドキドキしながら外界と関わってみてください。 
(塩路理恵子)

「症状を排除しようとするとますます症状へ"とらわれ"る」 '15.6 

不眠症からうつ、耳鳴り、味覚嗅覚異常、舌割れ、視覚異常、絶望感と様々な症状が出ていてさぞかしお辛いと思います。症状の種類と期間で今日の米国診断基準DSM5を参照すると確かに全般性不安障害に合致するかもしれません。全般性不安障害とは、多様な状況についての過剰な不安や心配が6ヶ月以上続きそれらを制御することが困難な病態とされます。あるいは多彩な身体症状、それに伴う健康への懸念がありこれが6ヵ月以上持続するとなるとDSM5の身体症状症(DSMIVにおける身体化障害)に合致するかもしれません。いずれにせよ一般的に全般性不安障害や身体症状症に対しSSRIをはじめとする薬物療法が推奨されています。Nさんはどこかでこのような薬を服薬されていますか?しかしSSRIは全く不安を取り去ることはできず不安を軽減するための補助的手段として自らが位置づけることが大事です。

森田正馬は症状の種類と経過で診断するだけでなく、神経症の背後に存在する共通する神経質性格を見出しました。神経質性格とは、内向的・心配性・受動的といった弱力面と、几帳面・完全主義・強迫的といった強力面の両面を持つ性格特徴を指します。神経質性格を基盤に症状へ「とらわれて」いる状態を神経症と森田は考え、性格素因を認めつつも精神療法の可能性を見出したのです。「とらわれ」の機制とは「精神交互作用」と「思想の矛盾」からなります。精神交互作用とは注意と感覚が悪循環的に作用して症状が発展する機制を指します。精神交互作用についてパニック発作を例にして説明しますね。偶然の機会に心悸亢進が起こると、神経質傾向にある人はそれに強い不安を覚えて心臓部に注意を集中する。その結果益々感覚は鋭敏になり、いよいよ不安がつのって心臓部へ意識が狭窄し、一層の心悸亢進をもたらしてしまうのです。思想の矛盾とは、あって当然な感情を無きものとして知性で排除しようとする心性を指します。例えば人前で話す際、誰しも不安になるにもかかわらず、不安になってはいけないと知性で排除しようとすることです。

Nさんも今の思想の矛盾の説明のように症状をあってはならないものとして排除しようとしてますます症状へ「とらわれて」しまっていませんでしょうか?様々な症状があり辛いと思いますが、症状を排除しようとするエネルギーをもっと建設的な方向へ転換していくことが大事です。「本当は自分は何を求めているのだろう」と自問自答してみてください。その「何か〜したい」方向へ動いていくことを勧めます。
(舘野歩)

「“負けたくない”を活かして下さい」 '15.5 

Aさんは、昨年より、「もしかしたら○○なのかもしれない」と病気の心配をするようになったと書かれていましたね。昨年、身近な人が病気になられたりなど環境に変化があったのでしょうか?まずは、自分のなかで心配がどのような時に強まるのかを把握しておくのが大切ですね。
Aさんが病気が心配とおっしゃることには、現代インターネットやTVで多くの情報を見ることが出来ることも影響しているのかもしれません。インターネットで際限なく病気の情報を調べることができ、時には本当か嘘かわからない情報に惑わされることもあります。また気付くとインターネットを何時間も見ており、他のことが何も出来なかったという方もいます。あまりにも長い時間見てしまうようであれば、時間を決めて次の行動に進むようにしましょう。

大切なのは、それだけAさんの中に「より健康に生きたい」という気持ちがあることです。病気を恐れるという事は「より健康に生きたい」願望の裏返しですので、消えることはありません。むしろ、悩み、不安で堂々めぐりするのが自然なのです。時には、本当に病にかかってしまうこともありますが、確実なのは「今」しかありませんので、「今」が問題ないのであれば、悩みながら進んでいきましょう。また病になってしまったとしても、病を抱えながら前進している多くの人がいます。大切なのは自分自身の「今」を抱えながらどう生きるかでしょう。

悩み過ぎて身体が止まってしまう事が一番問題です。人生には苦悩がつきものです。苦悩しながらも、「自分が健康であったら何をしたいか」をもう一度ご自身に問いかけて、その願望を実現すべく行動してみて下さい。

Aさんのコメントの最後に「負けたくない」という思いから体験フォーラムに参加した、と書かれていました。この「負けたくない」は大切な気持ちです。負けたくない、くやしい気持ちは自分の今までのやりかたを変えて行こうという弾みになります。自分の中の変化の兆しを見逃さず、まずは身体を動かして「やりたいこと」をしていってください。
(石山菜奈子)

「トイレへの不安」 '15.4 

Cさんさんは中1の時の出来事が傷となって、それ以来、トイレがない状況に置かれるとパニックを起こすようになったとのことです。もともと過敏性腸症候群で、下痢をしやすく、突然便意が起こった時に、遠足で近くにトイレがないという状況だったのでしょうか。その後、トイレがないと極度の不安が起こるようになったのも、その時のショックを考えると、当然と言えるくらい、大変なことでしたよね。

身体的な問題の有無や、ご自身の身体の傾向、医療的に可能な対処についてはお医者さんにすでに診てもらって、確認されていることかと思います。その対処に加え、腹部症状を少しでも軽減する自分なりの方法や法則があれば、今の生活に無理を生じたり、自分が苦しくない限りは、継続して、少しでも暮らしやすく暮らせるようにしていくことは大切ですね。それをしながら、どうこの「トイレ中心の生活」から抜け出していくかが治療の肝になりますね。

これほど長い間、いろいろ対応を工夫し苦労されてきた(と推察いたします)にも関わらず、腸の症状が続いているとすると、これは非常に辛いことですが、すぐにどうにかなることではないですよね。その今の自分の状態を事実と認定することがまず大切になります。
森田療法では、自分がすぐにどうにかできることと、できないことを分けるということを大切にしています。自分がどうにもできないことに力を注いでも、思うような変化は得られず、無力感と徒労感にさいなまれる悪循環に陥るからです。そしてその代わりにどこに力を注ぐかというのが、2つ目の要点です。
2つ目に大切なのは、普通の生活ができるようになったとしたら、Cさんさんはどんなことをしたいか。それを具体化し、そちらに力を注いでいくことです。身体症状への不安があると、それを取り除こうと、食生活や運動の仕方への強いこだわりが生じ、生活の仕方が偏ってしまうことが少なくありません。まずはそれを修正し、健康な生活へ近づけていくこと。

また、力を注いでいく生活のもう一つの対象となるのが、治ってからやろうとこれまでCさんさんが先送りにされてきたこと(もしあれば)です。公務員としてお仕事をされているということは、一般のビルや施設などトイレがあるところでは特に問題はないということでしょうか。トイレがないところで、自分がしてみたいと思っていることは何なのか。その希望の中で、まずは自分でやってみられそうなことは何か。病気以外のことに自分の焦点を向け、自分の時間を大切にしていくことが重要です。森田療法で言う病人としての生活スタイルから、健康な生活スタイルへの転換、その形から入ることが、現在のトイレ中心の生活からの脱却を図る道に繋がっていくと思います。

「普通」というのは聞いてわかるようで、実際には千差万別なものです。Cさんさんが望む「普通」はどんなことなのか。それが明らかになると、どこから動いてみたら良いかが見えやすくなるはずです。応援しています。
(今村祐子)

「痛みとの付き合い方」 '15.3 

Mさんは、ストレスがたまってくると頭痛が生じ、記憶力・集中力もなくなってつらいと述べています。またYさんは2年以上坐骨神経痛に悩んでいるとのこと、半年前から背中も痛み出したとのことでした。痛みは、当然苦痛を伴うものですし、日常生活にも影響を及ぼすものです。また、原因さえわかれば取り除くことが出来ると考えがちですが、残念ながら、原因がわからない、あるいは原因が分かってもなかなか痛みを取れないことも少なくありません。頭痛持ち、腰痛持ちという言葉があるのもそうした由縁かもしれません。

ただし、痛みが生じた時には、まず適切な身体科でその原因を探ることは必要です。早々に精神的な問題から生じていると決めつけてしまうと、背後にある身体疾患を見落としてしまう危険があるからです。その上で、明確な原因が無かった、あるいはわからなかった時には、森田療法的な理解と対処が役立つはずです。Yさんは、“ありとあらゆることをした”と書かれていますので、おそらく身体的な検査は全て行った上で痛みが取れないことに悩んで、こちらのフォーラムにいらっしゃったのでしょう。

痛みの場合、それを取り除きたいという気持ちが働くのは自然な心理です。しかし、そうした気持ちが強ければ強いほど、痛みが生じているかどうか、それが強いかどうかをチェックするようになってしまいます。まさに注意が痛みに集中するわけですね。そうなると、より痛みは強く感じ、ますます苦痛になる、そしてさらにそこに注意が集中するといった注意と感覚の悪循環が生じてしまいます。つまり、痛みを無くしたかったのに、逆に強めてしまうというわけです。

ではどうしたら良いのでしょうか。まず心がけることは、痛みが強く生じるきっかけがご自身でわかるようであれば、それを少しでも減らす工夫はあっても良いでしょう。疲れや過度な仕事など、どこかで無理をしている結果、痛みがそのサインとして現れている場合もあるからです。その上で、痛みそのものとどのようにつき合うかです。痛み自体は不快ですし、それがある限り望む生活は出来ないと感じてしまうかもしれません。
しかし、先ほど述べたように、取ろうと思えば思うほど、逆に強めてしまうのも事実なのです。そうであるならば、痛みを取ることに奔走し、やりたいことも諦め、苦痛と落胆だけに生活を牛耳られてしまうのは勿体ないことです。痛みを取ることを第一目標にせず、その中で少しでも関心があること、やってみたいことに手を出してみたらどうでしょうか。勿論、万全ではないでしょうし、スッキリしない部分もあると思います。しかし、痛みと闘う中で味わう無力感よりも、何かをやったという後味は残るはずです。「とりあえず、〜が出来たんだから・・」と思ってやり続ける中で、痛みが少し気にならない時間が増えてくれば、少なくとも「痛み」にとらわれる生活からの脱出ははかれるのではないでしょうか。
(久保田幹子)

「回復の過程は三寒四温」 '15.2 

Kさんが血圧が高いと気にしたり,体調がよくないことや死を怖がることで困っています。
「美容院や歯科へ行く方が良いとわかっていても行くことが難しい」など出来ないことも多く、「バイトの誘いあるも,倒れてしまうのでは?と思い断って」しまったり、躊躇してしまうことも多いようです。
しかしそんななか、上記バイトの件でも(「断ってしまい、悔しくて情けなかった」)など、克己の姿勢が伺えます。

さらに、症状があるなか行動していくと体調が変わっていくことも体験出来ているようです(「血圧が高いため運動したらお腹が減り食欲が出た」「(朝までに3回目が覚めて体調が悪いんだと考え頭で理解しようとする)も、普段と同じように出来た」「(お兄さんの嘔吐を見て気持ち悪くなったり体調がすぐれないと病気を考えるも)考えなくなると体調がよくなって行った」)
回復の過程は直線的ではありません。三寒四温のように波打ちながら上がっていくものです。おっかなびっくりでも行動を広げていって下さい。
(矢野勝治)

「外食の時にどこに注意を向けているか」 '15.1 

Cさんは外食するとなるとお腹がゴロゴロして、トイレに行きたくなったり、そのことで食欲がなくなったりして、楽しめずに困っています。
 私たちがいつトイレに行きたくなるかということを予想するのは実は困難なことです。その日の体調や気候、食べたもの、飲んだもの、など色々な要因が存在するからです。それでも私たちは「しばらくトイレに行けないから、今のうちにトイレに行っておこう」などと対処はしています。しかし、それでも完全ではありませんね。私自身も学生の頃、休み時間にトイレに行ったのにもかかわらず、授業中にトイレに行きたくなり、手を挙げてトイレに行かせてもらったこともあります。その時はとても恥ずかしい思いをしたものです。このように「絶対にトイレに行きたくならないようにする」ということは残念ながら人間は出来ない生き物なのです。

Cさんはもしかしたら、外食中に「絶対にトイレに行きたくならないようにしたい」と思いすぎていませんか?そのために、お腹ばかりに注意が向いていませんか?お腹は自律神経で動いています。自律神経というのは自分の意思でコントロールできない神経のことです。「お腹、大丈夫?」とお腹ばかりに注目してしまうと、お腹の自律神経が緊張してかえって乱れてしまいます。外食した時に注目するのは「食事の内容」であり、「一緒に食べる人たち」であり、「お店の雰囲気」などですよね。是非とも食事や会話に注意を向けて、外食を楽しんでくださいね。
(谷井一夫)