普通神経症の部屋

Mkさんが一人暮らしについて考え始めたようですが、一方ではそれについて不安を抱えているようです。
「今、現実を受け入れようという体制なのですが、すんなり現実を受け入れれなくて、悪戦苦闘中です。今、自立=一人暮らしなのかな?っと考えています。親との関係に悩んでいる時から自立ということにこだわってきました・・」
それについて、Mp さんはカナダから次のように書き込みます。彼女も親との関係で悩み、その経験をふまえた上での助言ですから説得力があります。
「・・その後、結婚、出産を経て神経症にかかりました。「しっかりしなければいけない」「何でも完璧にやらなければ」という理想主義のしっぺ返しです。今では、自立をしていても弱音を吐いたり人に助けを求めたり、しっかりしていない時があってもいいのだと自分の経験から学びました。・・まず、何か新しい物事を始めるとき、必ずしも準備万端でなければならないというわけではありません。「親になるのに準備が出来ている人はいない」という言葉を聞いた事があります。これは、子供を授かって育てる中で、少しずつ親になるということを子供とともに学んでいくという意味です。一人暮らしにも同じことが言えるのではないでしょうか。親から離れてみたいと思ったら、とりあえず行動を起こしてみることで、新しい生活の中から自然と自立心が生まれてくるかもしれません。・・私も同じことで悩んだ経験があるので、書き込まずにはいられませんでした」
Myさんは「ひとり暮らしはそんなにたいへんじゃないです・・親と離れて暮らす分、逆に絆が深まると思います・・」とmikiさんにアドバイスします。Maさんは次のようにアドバイスします。「・・Mkさん、胃腸神経症の人は絶えず胃腸の不具合ばかりを考えます。対人恐怖の人も心臓神経症の人も抑うつ神経症の人もみな同じで自分にとって不具合ばかりを問います。健康な人はどうかといいますと、そんなことは問わないでただひたすら欲望に乗って邁進するだけです・・」。
私も同感です。まず一人暮らしあるいは自立ありきでなく、身近な生活に取り組んでいくことを勧めます。その作業を通して自分の「生きる欲望」を発見し、発揮していくことが大切なのではないでしょうか。一人暮らしをしなくても、自立した生活はそのようなことから可能となります。


メールでやり取りする意味とは '04.11

Fmさんがいろいろな悩みを抱えて精神病院に通っています。
「子供の頃から神経質で、高校ぐらいから、ひどい状態になってしまいました。・・20歳頃から精神病院にかよって、今も通っています。・・もう15回程職をかえました。・・家庭では親や兄弟とはいろいろと話しをするのですが、病院に通っても薬をもらうだけなので、パソコンででも、やりとりが、できたらいいなっておもいます。・・森田療法は勉強になりますし、いろいろ考えて、為になることがたくさんあると思います。これからの長い人生が変わってゆけたらなあと思います。」と書き込みます。Maさん、Miさんは一緒に森田療法を勉強しましょうとリスポンスします。それに対してFmさんは次のように返事します。「返事ありがとう。メールってとてもいいものだなって、思いました。森田療法は結構むずかしいところがあるなって感じます。けど、実践すれば病気や人間的に大人になれるのかなって思います。・・」
私たちはさまざまな人生の困難に直面し、悩みます。その時に当然のことながら精神科の治療を必要とする場合も多々あります。しかし残念ながら精神科の治療だけではFmさんも経験したように往々にして薬をもらうだけになってしまいます。それはいわば対症療法で、私たちの悩みを解決するには人間として成長することが必須なのです。そのためにはこのような体験フォーラムで人とつながり、森田療法を学んでいくが役に立つと思います。

性皮膚炎と森田療法 '04.10

KKさんがアトピーで悩んでいます。「・・小さいときからアトピーだったのですが、ここ2〜 3年特にひどくなり、困っています。ひどくなる度に病院に行って薬をもらってなん とかしのいでいる状態です。インターネットでたまたまこのサイトを見つけて、ここ に書かれている神経症の症状やそれに対するとらわれの心理などが、私とアトピーの 関係にとてもよくにていることに驚き、イヤなことから逃れたいと思う私の心の弱さ がアトピーの原因の一つではないかと思うようになりました。・・」。
その通りです。森田療法学会で皮膚科の細谷先生がアトピー性皮膚炎の森田療法的接近について発表しています。KKさんが自覚されているように、皮膚感覚にとらわれ、かゆみを取ろうと掻いてしまい、益々悪化してしまうという悪循環が形成され、それがアトピー性皮膚炎を慢性化させるようです。そのような悪循環を形成する人はいわゆる神経質、あるいは強迫的な人たちが多いので、森田療法がとても役に立つと細谷先生はいっています。森田療法を学び、自分の生き方を少しずつ修正することが、このつらいアトピー性皮膚炎の治療にも必ず役に立つと思います。

欲望の発揮とは '04.09

Mkさんが自分の感情をもてあまし、振り回されているようです。「症状や不快な感情はそのままにしておくしかないんですよね。・・例えば、過食してしまいそうな時に、それを持ちこたえることができないんです。親との関係でも、すぐに子供ぽい性格で、相手が理解してくれないと思っているから余計に反発的な態度をとったりっと、、。不快な感覚になるとすぐに逃げてるような、、。心と行動は別なのに、心のままに行動がついているっという事実が余計に自分を追い込んでしまいます」と書き込みます。
Maさんは、完全欲の強さ、「かくあるべし」の強さを指摘します。そして次のように助言します。「さあ、夢を膨らませて、mikiさんの完全欲を一杯に膨らませて、実践はこぎざみにあれもこれもと手を出していきましょうね。」つまりこうしたい、あのようにしたいという自然な欲望(森田療法では生の欲望と呼びます)に気づき、それを現実に発揮するために、出来ることを一つ、ひとつ取り組むことを勧めます。それが生の欲望の発揮なのです。
Myさんも次のように助言します。「ちいさく一歩踏みだしてみて、そこでまた考えて、次の一歩を考える・・・というような感じのことです。現実的にはなかなかうまく行かないかもしれませんが、頑張ってください。。。」
つまり不快な感情、症状を取り除くことをあきらめ、その代わりに自分の欲望を現実に発揮していくことが森田療法の最も重要な作業なのです。

身体の病と森田療法 '04.08

Moさんが慢性すい炎と診断され、ショックを受けています。「昨日、お医者様より「慢性すい炎」との診断が下されました。御存知のない方もいらっしゃると思いますのでさわりの部分だけご紹介いたしますと、完治する事の無い病気です。繰り返しやすいので糖尿病と同様食事制限をし、すい臓に負担をかけない食生活、規則正しい生活を心がけることが必要となります。・・今、私が葛藤している事の一つには「神経質にならない事、そうする事でますます病状が快方に向かうのを妨げている」とわかっているのにそれが出来ないことです。リラックスしたいのにいつも緊張している、それを改善する必要があります。お医者様にも「病状は軽いので神経質にならないこと、食事は何をたべてもよい、調子が悪くなるものを除去していくといい、」といわれているのに素直に受け取れず、「大変な病気なのに私を安心させる為に言ってらっしゃるんだ」と自分勝手な判断をし、自分を苦しめている気がします。・・」
Moさんの書き込みは私たちが思わぬ病を宣告されたときの気持ちを素直に表現しています。
Maさんはなくなられた河野基樹先生や岩井寛先生について触れながら次のように助言します。「折角、お医者様から「病状は軽いので神経質にならないこと、食事は何をたべてもよい、調子が悪くなるものを除去していくといい、」と言われているのですから、そのまま素直に従うことが私の言います「境地」です。それに反して逆らい抗うことが悪智です。・・ Moさんもこれを機に真剣に森田に取り組んでいって下さいね。必ずや新境地が拓けることと存じます。」
私もこの両先生、特に岩井寛先生は親しくしていただいたので、あの死の直前までの生き様に深く心が打たれました。Mpさん、Ikさんがそれぞれ励ましの言葉を贈ります。Moさんは励ましのメールによって勇気づけられたようです。Tnさんは自分や家族の病を語りながら、やはり励ましのメールを送ります。
森田正馬自身が当時は死の病と恐れられていた結核などを患っていました。そして晩年には死線をさまよったこともあります。そのような経験をして、森田が最終的に到達した境地は次のようなものでした。
「また私の自覚によれば、私は死の恐怖のほかに、生の欲望というものが、はっきりと現れております。私は今年の三月に、死ぬか生きるかの大病をやりましたが、非常に苦しくて、全く身動きができなかった。数日の後、まだ死の危険の去らない時から、看護婦に源平盛衰記を読ませた。少し病が楽になるに従い、・・・全くつまらぬ事までも、調べてみないと気がすまないという風でありました。・・この欲ばるという事は、何かにつけて、あれもこれもと、絶えず欲ばるがゆえに、つまり心がいつもハラハラしているという事になる。・・・私はこれをひっくるめて『欲望はこれをあきらめる事はできぬ』と申しておきます。これで、私はこの事と『死は恐れざるを得ぬ』との二つの公式が私の自覚から得た動かすべからざる事実であります。・・」(第12回形外会)
私たちは病と向き合い、怖いものは怖い、つまり『死は恐れざるを得ぬ』と覚悟が決まれば、自らの生きる欲望を『欲望はこれをあきらめる事はできぬ』と深く自覚をすることが出来るようになります。身体の病はしばしば私たちをさらに深い自覚へと導くのです。

行きつ戻りつ '04.07

Snさんが再び疾病恐怖に落ち込んでしまいました。「・・私の場合、こちらのフォーラムに投稿なさる何人かの方と共通点があり、不安の深まりが際限なくなってしまいます。『大丈夫です。』という回答をもらっても、『今の製品は安全対策がしてあるから大丈夫だろうけれど、その対策がとられる前の同じ製品はどうなのか?』とか、それではその他の製品はどうだったのか?』といった具合です。・・森田先生は普通の人になれ、とおっしゃっています。普通の人だったら、どういった捉え方をして、どこで踏ん張り、不安のアリ地獄に落ちていかないのでしょうか?・・」
つまり心配事は誰でもあるのですが、それが症状、神経症的となると、このようにぐるぐると心配事が頭をめぐり、そこから離れなくなってしまいます。これがとらわれ(精神交互作用)です。
Maさんは次のようにコメントします。「克服者の方の問題解決に向けての考えや行動はとても具体的になっています。考えと行動が即結びついているように思えます。失敗を恐れなくなっています。失敗を良い経験として受け入れ、また新たな方針を打ち出します。その反対に悩みの最中の方はある問題が発生するとどうしても感情的になって、行動が疎かになり、考えが堂々巡りばかりしている感じです。ですから不安に苛まれることになります。」
その通りです。そしてこのとらわれを打破するには、まずとらわれ(心のくせ)に気づくこと、気分と行動を分けること、そして注意を外に向けてその時々の出来ることに取り組むことなどが肝要です。そして私たちは行きつ戻りつしながら、認識と体験を深めていくのです。それが克服者への道なのです。

身体症状にとらわれること '04.06

Mnさんがさまざまな身体症状に苦しんでいます。「私はこの二年間、毎日一日中、慢性の目まい(フワフワ、ふらふら、不快な浮遊感など…)に悩まされ続けています。(器質的な異常は全くありません)この目まいの原因をさがし求めてようやく、森田先生の言う『普通神経症』にたどり着くことが出来ました。しかし、この期に及んで私は、『普通神経症』に十分当てはまっているというのに、自分の判断だけでは(専門の方に判断して頂けなければ)どうしても不安なのです。
・・・私のこの目まいの原因はちゃんと『普通神経症』に当てはまっているのでしょうか?」と書き込みます。Maさんは次のように答えます。「・・お電話でもそうですが、Mnさんはご自分の文章をもう一度読み直せしてごらんになりませんか。冷静になってお読みになれば、いかにご自分が「眩暈」にこだわっておられるとお解りになろうかと思います。問題は「眩暈」よりもそのこだわりにあるとお電話でも感じ取りました。いかがでしょうか。まずは、これを機会に純粋に研究者にでもなったように森田を一から勉強されてはいかがでしょうか。
「眩暈」から離れ、森田のこの解説が分からないという風にご質問されるようになると、私はMnさんが随分変わられると感じました。」。私も同感です。問題はめまいなどの身体症状でなく、それにそれこそ強迫的にこだわれ、とらわれることです。自分の身体症状をいつも気にして、そのことばかり考えている→ちょっとした身体的な感覚を察知する→病的だと心気的に解釈する→不安、恐怖が起こる→そのために益々自分の身体的感覚に注意がひきつけられる、という悪循環に陥っているのです。それがいわゆる症状というものの本態です。その悪循環の打破のためには、それを自覚すること、注意を外に向けること、その時々のできることに取り組むことなどが挙げられます。よい森田的体験をしっかりと積んでください。

心身症と森田療法 '04.05

Ruさんが胃腸の不調で悩んでいます。「・・私は胃腸神経症です。いつもお腹が張っているのが気になって仕方ありません。お腹にガスが溜まっている為に、ご飯があまり食べられません。食欲はあるのですが、思うように食べられないので余計に辛く感じます。・・」
最近心身の不調を訴え、それにとらわれている人たちが増えてきたような印象を受けます。この財団の創始者岡本理事長も同じような悩みを持ち、それを森田療法で克服しました。まず岡本理事長の体験をつづった著書、「自分に克つ生き方」(ごま書房)、「私は森田療法に救われた」(ごま書房)をお読みください。必ず役に立つものと思います。このホームページからも注文できるようです。
森田療法では自分の状態を正しく理解し、今までの認識や行動を変えることを重視します。そのためにもこのような読書療法は必ず役に立ちますし、ここでの書き込みやMaさんや他の方の助言にも耳を傾けてください。
心身の状態に過敏になり、それにとらわれ、注意がそれだけに向いている状態であることをまず自覚することが大切です。それが理解できれば、今まで心身の状態に一喜一憂し、心配していた状態(これを気分本位といいます)から日々の行動をしっかりと行なうことに転換してみてください。それには当然三食を恐る恐る食べて、目の前の出来ることに取り組んでみてください。そこから変化が始まります。

疾病恐怖の対処方法 '04.04

Stさんが疾病恐怖で悩んでいます。「私は3年くらい前から性病恐怖で悩んでいます。・・私は過去に2回程失敗した事があるのでもしかして感染してるかもと心配で、検査をこれまでも3回受けてきました。毎回陰性と出ますが、検査後に検査について調べてしまうと検査結果について不安な事が出てきて、間違った結果って事も結構あるという書き込みを読んだりすると検査が信用できなくなり不安になります・・」つまりいろいろな検査をしても、むしろ不安が募るだけなのです。Ykさんがこのような状態に対して自分の経験を基にアドバイスをします。「私も、10年ほど前疾病恐怖で辛い思いをしました。私の場合は、エイズ恐怖でした。検査から結果がでるまでの期間は頭が真っ白で辛い日々だったのが思い出されます。私は、2度検査してもう一度しようとしたところ、発見会の大先輩から「また検査するなら、おまえとの縁を切る」と言われ、辛いながら持ちこたえました。そしたら、時間とともに徐々に症状は薄れました。・・」
この持ちこたえる体験こそが私たちの恐怖から解放を約束する方法なのです。持ちこたえることが出来ず、不安を打ち消すために検査をし続けるならば、その人の人生は病でないことを証明することだけのこととなります。持ちこたえ、感情の法則を経験してこそ、人生を自分の手に取り戻すことが出来るのです。

目的本位とは '04.03

Mkさんが森田療法の言葉にとらわれ、どうにも行き詰まったようです。「『目的本位』な行動をとっていかなければならないなら、疲れていても行動していかなければいけないってことですよね!? 『目的本位』の目的ってなんですか?私には目的がみつかってないです・・」
Maさんは森田の言葉を説明します。「・・先生は、人間の態度を感情本位、理想本位、事実本位と三つに分け、感情本位は、自己の心身の状態に強くとらわれ、理想本位は思想の矛盾におち入って、ともに神経質に見られる態度で、これが事実本位でなければならぬといっておられます。私も森田先生の著書を色々と調べましたが、あまり「目的本位」「目的本位」とは言われておらずその様な解説は僅かです。それがどうも一人歩きをして、Mkさんをしてとらわれせしめているのではないでしょうか。森田で核となるのは、「事実本位」です。これが表現を変えて「事実唯真」とか「あるがまま」と発展していったものと考えられます。」まさにその通りです。目的本位という言葉が後に一人歩きして森田療法を学ぶ人たちを縛ってきたようです。大切なことは事実本位ということです。
しかしなかなかMkさんは納得がいかないようです。Gqさんは自分の経験を次のように書き込みます。「・・わたしは、気分をそのままにできるようになり、自宅での生活もまあまあ充実するようになりましたが、掃除をしないとか、求職活動をしないとか、必要な勉強や準備をしないなど、『すべきこと』をしているとはいえず、これまでと状況は変わっていません。でも、そのできない『すべきこと』を気にすると、またとらわれてしまうので、いまでは放っておき、無いかのようにしています。そうすると、同じ状況でも苦ではなくなりました。そのうち何とかなるだろうといった感じで動き出すのを待っています。それは『気分本位』ではありません。できないこと、やっていないことには、『気分』も『目的』も現実ではありません・・」。目的本位ということに縛られると新しいとらわれを作ります。森田は2つの事実を大切にしました。「死は恐れざるを得ない」、「欲望はあきらめられない」です。死(あるいは死の恐怖、人間としての限界など)、ここではmikiさんのいう疲れですが、嫌なもの、怖いものだと認め、その現実を受け入れざるを得ないのです。一方、そうすることによりむしろその時々のしたいこと(生の欲望)がみえてくるのです。Gqさんの言葉で言えば、そのうち何とかなるだろうといった感じで動き出すのを待っていればよいのです。

森田療法を学ぶことと年代 '04.02

Ikさんが疾病恐怖をはじめとするさまざまな恐怖症で悩んでいます。「24才から2,3年神経症で強く悩み、通院しその後、結婚、出産、子育てを経験し、ときとして悩み、落ち込み、虚脱感を感じながらもここ10年あまりは、自分なりに何とか普通に生活出来る様になっていました。そして下の子供も大分大きくなり時間的にもゆとりが生まれてきたところでした。・・強烈な不安感を感じ、その後、離人感も深まり毎日が怖くて仕方なくなり、食欲も激減し、胃の調子も悪くなり、胃がん恐怖、その後は、新聞で、読んだ「精神疾患のある父親が、家族を惨殺」なんていう記事を読めば、今度は、自分がそんなことをしてしまうのでは、と強烈な不安感、強迫観念に悩まされ、そこからぬけできず、悩みつづけています。」
そしてMaさん、Moさんに励まされて、森田療法の勉強に取り組もうとします。今度は「20代のもっと早い頃に森田に出会っていたら、もっと私の人生は変わったものに...などとつい考えてしまいます。中年に十分入っている私の硬い頭に森田は、どのくらい入り込んでくれるのか?でもやってみるしかないのですよね。」と書き込みます。
Maさん、Moさんが言うように森田療法を学ぶことと年齢は関係ありません。思春期・青年期にはその年代なりの森田の学び方があり、成人期・中年期にはまたその年代の応じた、そしてその人生経験に応じた学び方があるのです。森田療法を学ぶということはものを憶える、記憶するというよりも人生の知恵を身につけるということであり、それは人生が行き詰まったときこそそのチャンスなのです。IKAさんのように一度神経症を克服し、また再燃した人は深く森田療法を理解できるのではないでしょうか。

悩みを打ち明けることの意味について '04.01

Coさんが授業中に音読するときに声が震えるということで悩んでいます。
「何をやっても改善されない気がして今すごく絶望してます(泣)。こんな私でもこの症状は改善されますか??あと、このことをお母さんに相談しようか悩んでいます。もし相談するならどのように言えばいいのでしょうか??」
さて皆さんならばどのように助言されるでしょうか。Maさんは次のように書き込みます。「その恐怖心を持ったまま、素直にご両親やお友達に「実はこうこう……」とお話になられてはいかがでしょうか。きっとご両親もお友達も同じ辛い目にお会いになった経験があるはずですよ。そうか、みんなも同じなのかと解れば、Coさん一人で悩まなくても良いはずです。先生にもそのことをお話しになってはいかがですか。先生、きっと微笑ましく思われますよ。・・」。
Ymさんは「Coさんの気持ち、涙が出そうなくらい、よ〜く分かります!。」と共感を示します。Ymさんがいうように、このような悩みは決してまれなものではありません。私たちの苦悩は、それが特別なもの、自分だけのものと感じれば感じるほど、強くなるのです。そしてMaさんがいうように、まず自分の悩みを打ち明けてみることがよいと思いますそれは単に悩みをわかってもらうためではありません。その悩んでいるという事実を認め、それを受け入れていくという自分の悩みの解決の第一歩でもあるのです。