普通神経症の部屋
「眠れない時間は神様からのプレゼント」 '23.11
Mさんは3年程前に動悸が止まらなくなり、一睡もできなくなったことをきっかけに不眠症、不眠恐怖になりました。薬や生活習慣の改善で、ある程度回復されましたが、1年前に早起きしなければいけない用事があり「早く寝なくては」と焦って、不眠がぶり返しました。その後、数ヶ月で改善はするものの、翌日朝から用事などがあるときは、「寝られるかな?」と不安になることを繰り返されて困っていらっしゃいます。また、寝られない日はキツイとは感じつつ、仕事は出来ていらっしゃるようです。
Mさん、不眠と付き合いつつ、今までよく頑張ってきましたね。私たちはいつものように眠れないと「朝まで眠れなかったらどうしよう」とか「明日起きられなかったらどうしよう」とか「明日の仕事は大丈夫だろうか」などと色々と不安に感じるものですよね。ただ、Mさん自身もおっしゃっているように、一時的に眠れなくなることは誰にでもあるものです。特に「明日大切な用事があるから、きちんと寝ておかなくては」などと睡眠をしっかりとりたい、という欲求が強まれば、その分、不眠への恐怖も強まりますね。
一般的な睡眠の知識に関しては厚生労働省の「健康づくりのための睡眠指針 睡眠12箇条」などを参考にしてもらえればと思いますが、今回はちょっと違う視点からお話しさせていただきます。
例えば、翌日に大切な仕事があったとして、「うまくやりたい、失敗したくない」という気持ちが強かったとしましょう。こういうときは「きちんと寝なくては」と考えてしまうものです。ただ、本当に大切なことは、その仕事に対して、事前に準備をして、当日は注意深く丁寧に取り組む、ということですよね。前日にきちんと寝ておきたい気持ちは良く分かりますが、仕事に関しては、寝ること以外にも大切なことが沢山あります。逆に言えば、きちんと寝てさえすれば、全てうまくいく、というわけでもありません。そうであるならば、睡眠をとるというところにこだわる必要はないのです。万が一、寝不足であったとすれば、当日はより丁寧に、気を配ってその仕事に取り組むより方法はないのではないでしょうか。
眠れない時はどうしても「早く寝たい」、「寝なくては」と布団の中でゴロゴロしながら考えてしまうものです。ただ、こうしていると余計に頭が興奮して、眠れなくなってしまいますので、眠れない時は「いつもより活動する時間が増えた」と捉えて、その時間に本を読んだり、深夜ラジオを聞いたり、と緩やかな活動をしてみてはいかがでしょうか。ある意味、いつもは寝ているその時間を活動のためにプレゼントされたのですから、活かさないともったいないですよね。Mさんも、是非、プレゼントされた時間を活かしていってくださいね。
(谷井一夫)
「森田療法の治癒像」 '23.10
K様、今回身体症状出てしまい投稿されましたね。実際拝見していないのでなんともいえないところはありますが、他の方の投稿にありますように「ちょっとした揺れ戻し」ではないかと思います。
ここで参考までに森田正馬が述べた治療ゴールは以下の三つの段階を想定しいてそれについて述べたいと思います。
第一段階:「『気分の悪いまま、こらえて働く』これができ出したら、修養の程度で言えば小学卒業というところです」不安を持ちながら、目の前のことに取り組むという森田療法の治療原則をある程度身につけた時期です。この時点では自己意識(「こうあるべき」思考)の修正は限定的で、時に人生の出来事、他者との葛藤から、後戻りすることも多々あり得ます。ここで述べた治療プロセスから言えば、症状をめぐることが治療のテーマになっている段階であり、「行動の変容」が身についてきた時期です。
第二段階:「『気分の悪い時は、いやなものである。まだ気分のよい時は、ほがらかなものである』という事実をそのままに認める事は、諸行無常という事実を認めると同様であって、この程度が中学卒業に相当する。このように『事実唯真』の動かすべからず事を知れば、いまさらいやなものをほがらかにしたり、無情を恒常なものに見替えたり、相対を絶対にしたりする不可能な精神葛藤がなくなるから、ただそれだけで非常に安楽である」。この時期は、自己をめぐることが治療テーマとなり、「こうあるべき」思考が修正され、現実の自己をありのままに受け入れていく段階でしょう。「受容の促進」がある程度達成された時期とも言えます。それと共に、生の欲望が行動と連動し、自分自身を生かしていくことが可能となります。ここで通常は治療終結にして、「臨床的には治った」時期といえます。
第三段階:「この苦楽の評価の拘泥を超越して、ただ現実における、我々の『生命の躍動』そのものになりきって行く事ができれば、それが大学卒業程度のものであろうか。『善悪不離・苦楽共存』とかいうものこの事である」しかしこれは理想型に近く、臨床的な治癒像ではないでしょう。
あまり「この治癒像にならなければ」と構えるのもよくありません。しかしある程度参考にして頂ければと思います。お大事になさってください。
(舘野歩)
「控えていた趣味を再開しましょう」 '23.09
Nさん、こんにちは。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科の半田と申します。
病気と言われたり様々な体の症状があったりすると、とても心配になりますね。心配になると、今はインターネットにたくさんの健康に関する情報がありますから、たくさん調べて、そうすると安心するどころか、かえって細かい不安が増えてしまいますね。体の違和感にしても、心配して、お仕事をお休みして趣味のスポーツも控えますと、かえって違和感が強くなってきますので、悪化しているのではないかと余計に怖くなることでしょう。これを森田療法では「精神交互作用」と呼び、症状を引き起こす悪循環の一つと考えています。心のどこかが悪いわけではないのですが、「健康でいたい」という強い願いが、空回りをしてしまっている状態です。
では、この悪循環から脱出するためにはどうすればよいかといいますと、ただ、楽しみたいと思っておられることをされるといいのです。マラソンやロードバイク、とてもよい趣味をお持ちだと思います。おそらく循環器内科の先生からも許可が下りるかと思いますので、存分に楽しみましょう。また、インターネットで調べ物をするときも、病気の情報ばかりでなくロードバイクで行きたい場所や週末のお天気など調べるとよいでしょう。ただ、睡眠薬や安定剤を内服されているということでお酒だけは止めておきましょう。初めは症状が気になりながらかもしれませんが、そうして毎日を楽しく過ごしているうちに、いつの間にかそれどころではなくなっているはずです。Nさんが豊かな毎日を取り戻されることを祈っております。
(半田航平)
「「今」を大事に生きる」 '23.08
Mさんは、ご自身の体調不良が非常に気になり、病気を疑って友人に相談をしたり、ネット検索をしてしまい、病院の検査で異常が見られないにもかかわらず、死の恐怖に襲われる、と悩んでいらっしゃいます。このフォーラムでもらったコメントなどから、相談や検索はやめよう、と誓いながらも、なかなか実行するのが難しく、「どのような最期を迎えるのか、そんな想像ばかりして毎日辛い」とも書かれていました。
Mさんが最も恐れ、不安に思っていることは、大病にかかり命を失うことなのではないでしょうか。こうした不安は、限りある命を生きる私達にとって、とても自然なものです。しかし、私たちは、いつか必ず死を迎えるのであり、それは避けられない事実でもあります。そして、死が「いつ」「どのような」形で訪れるのかを私たちは知ることが出来ません。「わからない」から不安、怖いとも言えますが、では、わかったとしたら不安は消えるのでしょうか?
Mさんが病気を恐れるのは、それだけ「死にたくない」「生きたい」と願う気持ちが強いからでしょう。だからこそ、病気を否定する材料を必死に探したり、確認するのだと思いますが、それは逆に不安や体調不良を拡大することになっていますよね。
森田先生は次のように書かれています。「私にとっては死ということは、いかなる場合、いかなる条件にも、常に必ず絶対的に恐ろしいものである。私はたとえ私が百二十五歳まで生きたとしても、その時に死が恐ろしくなくなることは、決してないということを予言することが出来る。私は少年時代から四十歳頃までは、死を恐れないように思う工夫をずいぶんやってきたけれども『死は恐れざるを得ず』ということを明らかに知って後は、そのようなむだ骨折りをやめてしまったのであります」。そして同時に「欲望はこれを諦めることはできぬ」ということも自覚し、この2つが動かすべからざる事実だ、と述べています。まさに、死の恐怖の裏には「生きたい」「~したい」という欲求があるということですね。
今のMさんは、「生きたい」気持ちが強いがゆえに、それを脅かす「死の恐怖」のみに目が向いてしまい、折角の生きている時間、一度きりの人生にエネルギーを注げていないのではないでしょうか?お子さんの先天性疾患が治癒したことは素晴らしいことですよね。その幸せを味わえていますか?お子さんとの時間を楽しめていますか?
不安ながらも家事や育児に取り組むよう心がけている、と書かれていますが、それはとても大切な姿勢です。いつ訪れるかわからない「死」が頭をよぎったとして、それをあれこれ考えても答えが出るわけではありません。「今」自分に与えられている時間、それを大切に過ごすことしか私達には出来ないのです。明日、事故にあうかもしれない、災害にあうかもしれない。先のことはわからないからこそ、「今」「やりたいこと」「出来ること」に力を注いでください。そこに神経質を生かしてこそ、不安に振り回されない人生、そして後悔が少ない人生になるはずです。
(久保田幹子)
「身体症状が気になり堂々巡りとなっている時に」 '23.07
Pさん、こんにちは。 Pさんは今、さまざまな身体の症状に悩んでらっしゃるのですね。激しく息が上がっていた時に水分を採りむせてしまったことを契機に、喉の強ばりが生じ、嚥下恐怖や肺炎恐怖となってしまったとのこと。また、元々逆流性食道炎がおありで、生活上のストレスから、便秘や下痢がちとなり、嚥下恐怖から食事を採らなくなっていた時期もあったようですね。さらに最近では、左耳の鼓膜の痛みがあるとも書かれています。次から次へと気になる症状が生じ、気持ちが休まらないPさんのご苦労をお察しします。Pさんが書かれている「堂々巡りをしている感じ」がある時に、森田療法の視点からどのような捉え方ができるかコメントさせていただきたいと思います。
まずは、その「堂々巡り」がどうして起こっているのかを紐解いていくことが大切です。Pさんは、便秘など以前にはなかった症状が、逆流性食道炎を悪化させるのではないかと不安になり、便通のリズムが安定しないことを気にしてらっしゃいますね。また、喉の突っ張りを取り除こうと、自分で故意にゲップをする癖があり、その癖を辞めなければと苦心されています。そうして、身体の症状をコントロールしようとすればするほど、思うようにいかず余計に気になってしまう…というとらわれが生じ、まさに堂々巡りとなってしまいます。
ではどうしたら良いでしょうか。森田療法では、「できないこととできることを分ける」ことをすすめていきます。Pさんの場合には、便通を思い通りにしたり、喉の強ばりを無くそうとしたりすることはできないことですが、症状が辛いながらに目の前のことに手を出していくことはできることです。また、身体症状がそれだけ気になるということは、健康でありたい・安心して生活したいという気持ちの強さの裏返しかもしれません。今のPさんは、身体症状を抑えることだけが目的となってしまっているような気がします。本来のPさんが望んでいる健康的な生活とはどんなものでしょうか。身体症状は無くならない中でも、生活を豊かにするために、何かできることはあるはずです。そうすると、今、辛いながらもなんとか1週間を終えられていたり、お仕事で症状に動揺しながらも集中できる瞬間があることは、まさに今できることに取り組まれているPさん大切な一瞬一瞬ですね。そうしたPさんの取り組みの積み重ねこそが、Pさんの望む生活に繋がっていかれると思います。今できていることにも目を向けてください。Pさんの試行錯誤を応援しております。
(金子咲)
「焦りをやわらげるコツ」 '23.06
Hさんは不眠、再発に悩まれているとのことです。Hさんの今の状態に日記はとても良いですね。自身の一日の行動を振り返り、率直な思いを書き綴り、それに対してフォーラムの方々からのコメントもあるからです。そのやり取りによってまた自分のあり方を振り返ることができます。
日記を拝見するとHさんは迷い、苦しみながらも、森田先生のおっしゃること、可能なことと不可能なこと、自分の性質、自分にとってやるべきこと、必要なことをよくわかっていらっしゃるように感じます。ただわかっていても、毎日は(落ち込んだり、胸がつかえたり、ぐるぐる自分の中で考えが回り、辛い)(早く治したい)という思いから焦りが出る。そういう状態なのではないかと思います。そのような状態にある方に日記は最適です。なぜなら、日記とそれに伴うやり取りは辛さを理解しつつ、くじけそうなときは励まし、努力や良いところを認めてくれるマラソンの伴走者のような役割を果たしてくれるからです。走り続けているうちに自分で走れるようになっていき、常に伴走者がいなくても自らより建設的な判断をしていくことができるようになります。
Hさん自身は日記やここまでの自分の変化についてどのように感じておられますか?
拝見するなかで二点ほど感じたことがあります。
日記の中に、笹の葉の掃除や野菜の添え木、ブドウの袋かけ前の剪定など、畑や家の周りの敷地の管理のために様々な農作業を行われていることが書かれています。そのように手を加えてみて、竹林や家の敷地はどのようになりましたか?暮らしやすくなっていますか?ブドウや野菜の生育や味はいかがですか? 手をかけてそれらがどうなったか、どんな手入れを植物は求めているか。そこには自分と相手(植物であっても)の対話がありますね。そこに絡んでいる人とのやり取りもあるかもしれません。やった後がどうなっているかにぜひ目を向けて、日記にも記して(報告して)みてください。
あともう一点は焦りのことです。早く治したいという思いからくる動悸や焦りは辛いですね。でもその焦りは急ぐ自分の心が作り出してしまうものです。焦りを落ち着くようにするには長期的には何が必要だと思いますか?ヒントはHさんの日記の中にもあります。『(神経質症は)悪いことばかり探す。自分をほめることを忘れる』。まさにそうですね。自分の日々の行動、頑張った点、前と比べての自分の変化に目を向けて、しっかりそれらを感じていくこと。そのことが焦りを落ち着けていくのに役立ちます。なぜなら、それは自分を信頼する力につながっていくからです。よくやったなと思った時は自分はこのなかで(よくやっているな、よく頑張っているな)と自分に話しかけること、それを忘れずやってみてください。
(矢野勝治)
「神経質は活かし方次第」 '23.05
Nさんは昨年まで、会社を経営されておりましたが、最近退職され、現在は週1回の勤務となりました。現役の時は、退職後は充実した第二の人生を送りたいと思っていらっしゃいましたが、いざ退職してみると何をしてよいかわからない状態となっていらっしゃいます。また、神経質な性格であることを他人に知られることが恥ずかしく感じ、時におおらかな人間を装ったり、あえて、雑な行動を他人の前でやったりすることもあるそうです。
まずは、今までNさん、長い間お仕事お疲れ様でした。代表取締役という大変なお仕事をよくぞやりとげましたね。それだけの重責の中に身を置いていたということであれば、退職されたことで、かなり気も抜けた部分もあるかと思います。そういった意味で、退職後に何をして良いのか分からなくなるのも無理はありません。そこに関しては、少しゆっくりされてから、Nさんがお仕事をされていた間にやってみたかったことなどを思い出して、少しずつ手をつけていけると良いですね。
さて、今回は神経質であることが他者に知られることが恥ずかしいという点について、述べたいと思います。一般に神経質性格というのは、内向的で心配性、傷つきやすいなどの気にしやすい部分と、負けず嫌いで完璧主義などの強い部分の2面をもった性格と言えます。ただ、どうしても、神経質というと、「気にしやすい」、「細かい」などの弱気のイメージがあり、他者からのイメージが良くないのではないか、と心配になる方もいらっしゃいます。確かに、細かいところに気が付くという神経質を自分の不安や身体に目を向けて、必要以上に気にしてしまえば、とらわれの素になってしまいます。しかし、神経質には良い所も沢山あります。細かいことに気付くことが出来るというのは、注意が外に向かえば、色々な場面でとても役立ちます。例えば、細かいところを気にすることが出来るから、より丁寧に仕事が出来たり、事前にミスを防ぐことが出来たり、他者に気遣いが出来たり、といった具合にです。
そもそも性格を大きく変えるということは無理なことですよね。そうであるならば、この神経質をどう活かすか、というところに目を向けてみてはいかがでしょうか。おそらくNさんが大変なお仕事をされてきたときも、この神経質な性格が活きた部分も多かったのではないでしょうか。ですから、お仕事だけでなく、日常生活全般にNさんがやりたいことにこの神経質を活かしていけば、より充実した第二の人生を送れることと思います。是非とも頑張ってくださいね。応援しています。
(谷井一夫)
「些細なことがきになって眠れないこと」 '23.04
Jさんは、「些細なことで不安になり夜眠れません」と書き込まれています。
ご自身でも「しょうもないこと」と書かれていますが、「気になってしまい考えれば考えるほど不安が大きくなり眠れなくなってしまいます」とのこと、「気にしないように」と思うほどにがんじがらめになって眠れなくなるのはつらいことですよね。
森田先生が紹介した話で「美しい髭を持つ老人」の話があります。昔中国に美しい髭を持った老人がいてあるとき王から「お前の髭は夜寝る時、どうやってしまつしているか」と聞かれ、聞かれてみるとわからない。寝る時に髭を布団の上に置いても内にしまっても、横向きにしてみても、どうにも具合よく眠れなくなってしまったというお話しです。それまでなんの気なしにやっていたことも、ふと注意が向くことでとらわれてしまうものですね。森田先生は続けて不眠の人に「今夜最も具合よく気持ちのよい身体の位置を工夫するように」と伝えたところ、その人は安眠できなかった。次の晩には「一定の姿勢でどんなに気持ち悪くてもそのままに我慢して寝るように」と伝えたところ、その夜は安眠した、という経験を紹介しています。
「しょうもないことだから」「気にしないようにしよう」と振り払おうとしても、気にならなくはできないもの。気にしつつ、できるだけ床にはいる時間、起きる時間を一定に生活してみましょう。昼間、その日なりにできることに手をつけ(日光に当たるのも良いと言われています)、やったこともしっかり認めていきましょう。
(塩路理恵子)
「不安になってはいけないと思うほど悪循環」 '23.03
Y様、喉のつまり感にとらわれていてお辛そうですね。しかし「不安をなくそう」、「意識してはいけない」と思えば思うほど症状へ「とらわれて」しまっていませんでしょうか。
一般的な不安に対する対処として、不安をコントロールしたい、あるいは不安から気をそらすために様々なことをすることがあると思います。それでうまくいく人は良いのですが、概して以上のことをしていると不安はますます大きくなって追ってきてしまうパターンが多いです。森田療法では不安をコントロールしようとすればますます不安になると理解します。ではどうしたらよいのかと思うと思います。まず不安があるということをマイナスに捉えないことです。不安があるということはその裏側には何かしら「~したい」欲求が過大だから起こると理解します。例えば学生さんで「試験前悪い点を取ったらどうしよう」と思う人は実は「良い点を取りたい」気持ちが強いから不安になるわけです。Y様も、不安になってはいるものの、本当は何を求めているのかを見つめて見て下さい。森田療法では不安をコントロールするのではなく不安を抱えながら「~したい」欲求に向かって建設的な行動をするようにアドヴァイスをします。この治療目標を端的に表した言葉が「あるがまま」となります。ただ、「不安を受け入れなけれなければ」とか「『あるがまま』でいなければ」と意識するのは逆効果です。不安は不安として、例えて言えばバックに不安を入れてバックを肩にかけつつ、ご自身の「~したい」方向へ動いて見ることです。そうしていくうちに自然と不安との共存ができるようになっていくと思います。
ご自身のコメントを拝見すると「神経質とはどういうものかを知り、頑張りたい」のような内容があります。神経質というと細かいことを気にしすぎではといった弱い面を考えると思います。しかし森田療法を作った森田正馬は神経質(性格)を弱いだけでなく、「生きる欲求が過大だから」と言っています。森田正馬先生は、「神経質のなりどころ」を指導され、「神経衰弱と強迫観念の根治法」の中で「神経質の長所と短所」を挙げています。そこでは「神経質の素質による長所は、種々あげることができるけれども、これにとらわれて病的となるときは、これがことごとくその短所となって現れるのである。(中略)神経質の自己内省が強いということは『人を知るは智なり、自ら知るは明なり』というように、(中略)はじめて良知となることができる。(中略)神経質のただわれ独り苦しいという心持ちは、ひとたびその心境を転回して、自己の素質の長所に覚醒したときに、これが唯我独尊となるのである。この心は、すなわち人を恨み、自分をかこつ卑屈の心ではない。自己の全力を発揮し、人をあわれみ、周囲を済度する力である。」と述べています。症状をなくそうという方向に今はエネルギーが向いてしまっていると思います。症状をなくそうとするエネルギーをもっと良い方向へ発揮していくようになれば、喉への「とらわれ」は結果として緩んでくると思います。
Y様、どうかお大事になさってください。
(舘野歩)
「生活全体を豊かに」 '23.02
Aさん。こんにちは。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科の半田と申します。
眠れないと、焦りますよね。「健康のためには最低○時間睡眠をとらなきゃ」なんて思いはじめると、寝ようと意識するあまり、なんだかかえって目が冴えてくる。また、暗い中でじっと目をつむっていると、動悸が気になったり、「あれ、呼吸って、どうやるんだっけ…?」なんてヘンなことを考えたりして、とても不安になりますね。
人間、がんばって寝ることはできません。反対に、「今日は徹夜するぞ!」と気合を入れた日に限って、強烈な眠気に襲われたりすることもあるくらいです。それでもがんばって暗闇の中でじっとしていると、ドキドキしたり息苦しくなってきたりが気になってきますので、ここは一旦ギブアップして、眠気の方からやってきてくれるのを待ってみましょう。布団の中でじっとしている必要はありません。スマホやパソコンの明るい画面は要注意ですが、薄暗い照明で本を読んでみたり、音楽やラジオを聴いてみたりして、ゆったり過ごしてみるといいでしょう。
また、なぜ「眠らないといけない」と焦っているのか、その気持ちに立ち返ってみるとよいでしょう。たとえば、冒頭に挙げたように健康のために充分な睡眠をとりたいと思っている方の場合。睡眠不足だと絶対に健康になれないわけではないですし、睡眠だけが健康で過ごすために必要なことではないですね。夜は眠れなかったけれど、朝ごはんはちゃんと食べようとか、日中しっかり運動しようとか、健康のためにできることは色々あります。
その点で、お返事に書かれているように「日中の過ごし方」に目を向けられていることはとてもすばらしい気づきだと思います。眠ることばかりに狭まってしまっていた視野を広げて、生活全体が豊かになっていくといいのではないかと思います。
(半田航平)
「怖さの中でお子さんのためにできることを」 '23.01
Mさんはお子さんがアナフィラキシーを起こしてしまい、病院を受診し幸いにもお子さんは回復されたようですが、その後“同じことが起こったらどうしよう“という不安のうずに巻き込まれ、アレルギー症状が出ている時を思い出して怖くなったりされているとのことですね。
本当に驚かれたことと思います。そんな中でもすぐに対応されたことで、入院にも至らず、お子さんは回復されているとのことで安堵致しました。他の方もおっしゃっているように、今の不安や怖さが強いのは、お子さんを大事に思う気持ちがそれだけ強いからこそであり、自然なものです。ただ、おうちに帰られてからの行動はお子さんの健康を思う気持ちとは、ちぐはぐになっていらっしゃるように思います。育ち盛りのお子さんに、自分が怖いからと栄養を取らせないのは、却ってお子さんの成長を妨げ、別の体調不良につながってしまいます。
お子さんの食事を用意されるときには、いろいろな気配りが必要なことと思います。完全な子育てもなければ、人間なのでうっかりすることもあるのは当然のことです。その中で、今の怖さをしっかり感じたほうが、うっかりミスは防げます。不安や怖さがあるからこそ、アレルギー源が入っていないかをよく確かめられます。アレルギー除去食でいかにおいしいものを作ってあげるか、食事以外でも楽しく一緒に遊ぶように工夫するなど、お子さんのためにできることを考えて、実行してあげてください。
今回ご自身も体調を崩されているとのことで、心配です。また、体調不良の時にはマイナスの感情を感じやすくなりますし、注意力も鈍ります。お子さんのためにも、まずは自分が元気でいることも大事です。だからこそ、ぜひご自身が一息つくことも取り入れてみてください。きっと周囲の方も心配されていると思いますので、ご主人やご実家など頼れるところは頼ってもよろしいかなと思います。他の方のアドバイスのように、家にこもらず外に出てみるなど行動の転換をすると、今の気持ちも自然と変わることもあると思います。
子育ては体力、気力を使う重労働ですし、ましてアレルギーにも気を配られるとなると、より大変なことだと推察します。そんな中、本当によく頑張っていらっしゃると思います。現状で不安や怖さなしにお子さんの世話をすることはできません。不安や怖さを無くそうと戦うのではなく、ぜひ不安や怖さを武器にしていってください。
(市川光)