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大原健士郎先生への質問と回答
- 森田先生は(彼の治療理論と技術を開発する以外に)人生の早い時期に抱いていた発明家になるという願望も達成されたのでしょうか?
森田は器用で工学部に進もうとした事もある。しかしその道へは進まなかったし、発明家にもならなかった。
- 潜在意識の概念が西欧の大部分の療法にとっては重視されています。森田療法は、潜在意識についてどう考えていますか?
森田では潜在意識を理論にも治療にも取り入れていない。フロイトは夢を分析し深層心理を知ろうとしたが、森田は「夢の中の有無は有無共に無なり」「夢は楽しむもの」と言っている。
- 精神疾患の治療に森田療法を用いる場合に、薬物療法も使用しますか?
不安や強迫の強い時に神経症でも森田療法と共に薬物を用いる事がある。ネオモリタセラピーでは精神分裂病や燥うつ病に薬物療法を施行し、症状が消退した時期に森田療法を併用する。
- 「ネオ・モリタセラピー」という用語を使われるにあたって、それが森田療法の本質に忠実であるとみなされるためには、森田療法のどのような要素が必要であるとお考えですか?
「外相整いて内相自ら熟す」つまり気分(症状)はそのままにして、行動だけは健康人らしくするというアプローチ。
- 米国内では、インターネットで森田療法を検索すると、数名の人たちが、内観療法、生きがい療法、建設的生き方そして森田療法を行っていると広告しています。私は、こうしたもののうち2、3の研究会に出席したことがあります。そういう人たちから学んだことを根拠とすると、森田療法は浅薄な治療法で本格的な治療法ではないように感じました。でも今回の講議で自分の認識が間違っていたことがわかりました。米国で森田療法が誤解されて、「安っぽく」とらえられている現状についてどうすればよいとお考えでしょうか?
インターネットで森田療法を行っていると述べている人に直接聞いてみると良い、それぞれ独自の説明をしてくれると思う。米国で森田療法が安っぽく思われている理由は1)理論が誰にでも分かるような簡明であること。学問のように思えない。2)精神分析的な考えがアメリカ人に浸透しているので、時間とお金がかからない森田療法を知ろうとしないで頭から疑ってかかっていること。しかし、現実にアメリカ人は精神分析が金と時間がかかるだけでちっとも期待できる効果が上がらないということで、行動療法や認知療法が台頭してきていることを認識してほしい。
- 日本の若者もしだいに欧米化してしてきていると聞きます。こうした日本の欧米化に対応するために、森田療法に修正を加える必要があるとお考えでしょうか?もしそうだとすれば、どういう方法が考えられますか?21世紀を目前にして、森田療法が広まり発展していくことに関し、どのような明るい展望をお持ちでしょうか?
治療者だけでなく患者、いや日本人が欧米化した事実は否定できない。欧米化は必ずしも進歩ではなく日本人のもつ長所も失われていることは残念である。患者は純な心、生の欲望が認められない者も多くなった。これらの患者を治療対象から外し、従来の森田療法を施行している森田療法家もいるが、不純型の森田神経症を修正を加えたネオモリタセラピーで治そうとする治療者も増えてきた。修正は、治療期間の延長、薬物の併用、不問療法に代表される厳しい森田的指導の緩和、他の療法(絵画、音楽、スポーツ、レクリエーション、家族療法等)の併用である。このような不純型の増加、人生に目標を持たない人たちの増加、非行・犯罪が多発する青少年、老人の生きがい喪失、ガン患者や末期患者のケアなどに対して、森田療法が見直されている。それは人生の意義を認識し「己れの性」をつくすという森田の精神が見直されてきたからである。この点からすると、森田療法家は変化する日本人(患者)に修正した森田療法を施行するとともに、森田の精神を生かして、より良く生きる方法を教えるという目的を持たねばならない。
- 日本における森田療法の治療家はすべて、自ら入院して森田療法を経験していますか?
森田療法家の中には患者として治療を受けた人もいるし、私が浜松医大教授の時期に研究の目的で研修医を数名絶対臥褥体験させたこともある。しかし多くの森田療法家は自ら入院した体験はない。付言すると研修医の段階で森田療法を体験させることは意義があると思う。しかし経験を積んだ医師には体験させてもあまり意味はないように思う。また森田療法を体験しない医師は森田療法が分からないとも思わない、問題は客観的に患者の心理を見抜く目を持っているかどうかということである。
- 森田療法は、青少年だけでなく中年や老年期の人々にも有効性があるでしょうか?
壮年期・老年期にも森田療法を施行するが、青年に比べて効果が薄い。これは森田療法だけでなく分析でも、その他の療法でも同じであろう。
- 患者本人が森田療法を受けるのと平行して、その家族は森田療法やその他の教育、援助を受けるのでしょうか?家族を対照とした森田療法はあるのでしょうか?
家族に対してのアプローチは森田療法にはない。森田の高弟高良武久は定年退官の講演で「森田療法に欠けている点があるとすれば家族療法だろう」とのべた。ネオモリタセラピーでは家族療法も併用する場合がある。
- 西欧で森田療法による治療を行っている専門家は、森田療法に何かの修正を加えて行った方がよいとお考えでしょうか?
欧米で森田療法を行っている人は森田の原法を忠実に施行している人はいないと思う。森田の精神「あるがまま」を生かしてそれぞれの精神療法をしている。これらもまたネオ・モリタであろう。
- 日本では森田療法はすべての精神科医の研修項目の一部となっているのでしょうか?それとも医師は森田の研修のために特別の卒後訓練を受ける必要があるのでしょうか?
日本では森田療法に限らず、どの精神療法も必須の研修項目になっていない。卒後訓練もない。本人の希望によって、森田療法(或いは精神分析)を行っている病院に所属して独自の研修を積むのである。
- 大原先生は精神医学のさまざま分野の中でも、森田療法のどの点に最大の魅力を感じられましたか?
(1)実際によく治るということ(浜松医大在職中は、教室員に精神分析、行動療法、家族療法、絵画療法、音楽療法など、さまざまな精神療法を施行させた。しかし20年の後、最後まで効果を上げ続けたのは森田療法だった)。
(2)老人の余生、末期患者の精神療法に効果的な精神療法は森田療法をおいて他にないと思う。
(3)私自身、肺結核症で死の危機に瀕したこともあったし、15年前に最愛の妻を失った。その都度大きな挫折感を体験したが、私を救ってくれたのは森田療法の「あるがまま」の精神だった。
- 先生ご自身の森田療法に対する取り組み方はこの5年間の間に何か変化した点がありましたか?
3年前までは20年間浜松医大でネオ・モリタを行っていた。大学には神経症以外に精神分裂病や懆うつ病やその他の患者もいたので、森田療法と精神病の生活療法を組み合わせて施行していた。定年退官後、横浜相原病院では原法に近い森田療法を施行している。対象も神経症が主である。森田療法はどこでもできること、神経症を対象とする限り、非常に効果があることを実感している。
- 森田療法を芸術療法や音楽療法と合わせて行う方法について少しお教えいただけませんか?ジーンさんは、それらを合わせ行っていますが、森田先生の本来の方法においても、そうした前例がありますか?
森田時代も、高良時代も芸術療法や音楽療法を森田療法に取り入れた記録はない。ただ、森田先生は東京大学を卒業した時、巣鴨病院という精神病院に派遣された時、精神病院の作業主任をしていたが、オルガンを購入し、音楽療法(?)をしたといわれる。私はネオ・モリタで積極的に併用している。森田先生は森田療法を創始し、発展させる段階で、ありとあらゆる療法を自ら試み、効果的なものを残し、無効なものを棄てた。森田先生が生存していればきっと絵画療法や音楽療法も森田療法の中に導入されていたと思う。
- 現在生存している人で、(ネオ・モリタセラピーではなく)伝統的な森田療法と考えられる療法を実践している人がいるでしょうか?もしそうであれば、伝統的な方法が現代の日本人にとってどれほど有効でしょうか?また、その対象は「神経質」患者に限定されているのでしょうか?
伝統をそっくりそのまま受け継いでいる人はいないと思う。比較的に原法に近い人、施設は次の通りである。
(1)鈴木知準診療所(東京)
(2)常盤台診療所(東京 藤田千尋)※2013年5月で廃院
(3)京都三聖病院(京都 宇佐晋一)
(4)慈恵医大第3病院(東京)
(5)横浜相原病院(横浜 大原)
- メンタル・ヘルスの概念は、日本とアメリカとでは異なるとお考えでしょうか?もしそうだとすると、具体的にどう違っていますか?
メンタル・ヘルスの概念は日本もアメリカも同じと思う。というのも、日本の概念はイギリス、アメリカから導入されたものだからである。しかし、学者によってそれぞれ定義や対象は幾分異なるかもしれない。それは国の差ではなく学派の差であろう。
- 私はジーンの勉強会に入っています。私たちのグループには7カ国からの人がいます。私は森田療法の柔軟さに感銘を受けています。こうしたすべての国籍の人々にとって有意義なものだと思います。森田療法のおかげて、私自身を含めグループの全員が良い方向へと変わっていったのを実感しました。ほとんどの精神療法はこれほどまでに普遍的ではありません。迅速な輸送手段、コンピューター、ファクシミリなど国際的なコミュニケーションが今日のように容易になった時代が到来する前の時代に、森田先生がこのような国際的に通用する方法を開発することが出来たのは、なぜだとお考えでしょうか?
森田は科学的な治療を志向した。術学的な理論でなく誰にでも容易に理解できる事実に立脚している。森田が残した「事実唯真」という言葉は、事実こそ真実だということである。森田が「自然唯従」といったのは風雨のような自然に杭うちということではなく、人間の本性を素直に認めよということである。ただ、森田の理論や治療がこのような背景をもっているのに、欧米ではこれまであまり森田療法は理解されなかった。それは指導者の資質にも問題があると思う。ジーンさんのアプローチは彼女の人柄もあって、理解をより深めていると思う。
- プログラムで見たのですが、先生はカリフォルニアで1年間を過ごされています。その経験が、日本人の患者への接し方に何らかの影響を与えたとお考えでしょうか?
私は留学中に、テレフォンサービス、ボランティア活動、密着しない親子関係、社会ぐるみの援助組織等々である。私が30年前に目新しく思ったことは現代の日本でも着実に浸透した。私は満足する一方で、日本独自の家族内人間関係が崩れたことを残念に思っている。孤独老人の増加、孤独な人間の勝手な行動??。青少年の凶悪犯罪の増加、汚職、贈賄、精神障害者の放置などはアメリカの文化導入が関係ないとは言えない。治療者としての私は彼らの家族に代って、暖かい人間関係の回復に努力している。
- 森田療法を実践することで、西洋人が得ることのできる主要な恩恵とは何でしょうか?
これは西洋人に限らないことだが、
(1)自己存在の意味の再確認。
(2)人間の本性を知ることにより、他の人々の存在意義も認めること。
(3)フロイトの分析は幼児体験を重視するが、森田では過去にとらわれず現在を頑張ることを教える。
(4)人間を価値づけるものは行動とその実績である。
(5)人現は歴史的な存在である。
- 大部分の日本人は森田療法の基本的な考え方を知っているのでしょうか?
「あるがまま」の精神はかなり普及してきた。しかし、大部分の日本人は森田療法の何たるかを知らない。精神科医や心理学者でも名前は知っていても内容を知らない人が多い。しかし精神分析でも似たようなものである。名称は知っていても、それが何であり、どれほどの効果があるかを知っている人は少ないと思う。
- 日本の森田療法家は、独自の評価法(心理テストなどの)を構築しているのでしょうか?
予後評価尺度を用いて予後調査を行った学者は多い、浜松医大ではロールシャッハ・テスト、行動評価表、描写テスト、電気生理学的研究など客観的な尺度を用いて、治療効果を判定しそれぞれ専門誌に発表している。恐らく精神療法の中で森田療法ほど客観的に実績を発表し続けてきた精神療法はないと思う。
- DSMー4は、森田療法の治療者にとって、どの程度まで実際的な価値を持っているでしょうか?
DSM-4と森田神経質との関係を論じた論文はすでに発表されている(慈恵医大、北西。浜松医大、南條)。しかし、DSM-4は神経症そのものを軽視ているし、神経症の分類と治療に関してはあまり役立たない。これは森田神経質だけでなく、うつ病の執着性格、メランコリー型などについても言えることである。
- 今回の講演会は、日米交流のすばらしい出発点となりました。今回の講演者と主催者の方々が相互交流と協力関係の次の階段へ進まれることを念願しています。次の階段の計画をお考えでしたらお聞かせ下さい。
実のところ、森田学派の先輩や私たちはこれまでにもしばしは欧米や中国に森田療法を普及させる努力を続けてきた。しかし、私から見ると中国では大成功をおさめたが、欧米で成功したように思えない。これは恐らく森田療法家のやり方がまずかったのかもしれない。
森田の原本は日本人でも理解困難な用語が沢山でてくる。それをそのまま欧米人に押し付けてもわかってもらえるはずはない。又、精神分析が普及している国では論争を呼ぶだけで実践には至らない。
私は日本人向きの森田療法をまず書くべきだと思って努力してきた。それと同時にアイゼンク教授が言うように「精神療法に批判を加えても駄目である。彼らが死に絶えるのを待つので」と言う気持ちで時期をうかがってきた。
アメリカでは現在、精神分析が落ち目になり、認知療法が盛んになってきたと言われる。認知療法は森田療法を理解している人にとっては、すでに森田療法の中にそっくり包含されているのである。時期的に言えば森田療法がアメリカにも根づく時が来たように思う。
私は今回ジーン先生の主催した講演会は成功だったと思っている。ガン患者に森田療法をと言う切り口が、アメリカ人に受けるのではないかと思ったりする。教科書風に森田療法を説明して回ってもあまり効果を期待できそうにない。ガン患者から森田療法が始まっても良いのじゃないかと思う。
機会があれば何度でもアメリカを訪れたい。
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