不安神経症の部屋
不安の逆説 '00.12
もう15年も不安神経症に悩んでいる人がいます。早く治りたいのですが、他の人には話したくないし、薬を飲むのも不安だし・・と書き込みをしています。それと同じように不安神経症で悩む別の人が「早く治そうとする焦り」は悪循環過ぎないのでは述べています。たしかに治そう、症状を取ろう、不安を取り除こう、不安から逃げようとすればするほど、不安はつのり、症状は悪化します。
人は自分だけが悩んでいると思うとそれだけで苦しみはつのります。悩んでいるのは自分だけではありません。「治ると信じて、一緒にがんばろう」という気持ちが、早くに不安を受け入れ、それにとらわれなくなるこころの態度を作るでしょう。そしてこのこころの態度が出来てくれば、自然に薬から離れていけるようになります。
彼は生きることに行き詰まったようです。しかし「人生、山あり谷ありです。平坦な道ばかりではありません。…・思うようにならない状況で『このままでいいのか〜?!』と自問自答ばかりしていても精神交互作用による悪循環を繰り返すばかりです。」調子が悪いときは仕方がないと諦めて、布団を頭からかぶって寝てしまう方がよいと考える人もいます。
それから救急車で不安発作の時に病院に行くのは止めた方がよいでしょう。経験された方ならわかりますが、このような場合、不愉快な扱いを受けるか、その時限りの安定剤の注射をされるぐらいが多いものです。それよりも、ピンチがチャンス。不安に襲われた ら、「これがどうなるのか見てやろう」ぐらいのつもりでいたらどうでしょうか。不安を観察する勇気ある試みが、不安を受け止めていくこころを作ります。次にはこのような経験を聞けたらよいのですが。
神経質の陶冶とは '00.11
神経症の陶冶について述べてみたいと思います。Aさんは「不安や恐怖などの感情が起こってもそれを意思の力でやりくりしないで、「あるがまま」にほっとく。すると強迫観念が起きませんから神経症も起こらない」といいます。それは不快な感情をそのまま受け入れ放っておくことと言う考えと同じものです。たしかに森田のいう陶冶のある一面を鋭くついています。
そして森田の言葉を引用すると「我々の完全欲というものは、どこまでも際限なしに、押し伸ばしていかなければならない」(森田正馬全集第5巻P84)。つまり、不安・恐怖の感情を放っておくだけではなく、元来持つ自分の欲望を現実に発揮することの重要性を森田は指摘しています。「感情の受容」と「欲望の発揮」が相まって神経質の陶冶がなされるとわたくしは考えます。
パニック発作で悩む '00.10
パニック発作も最近ではよく聞く悩みのひとつです。ストレスの多い時代の産物かもしれません。普通神経質のところで述べたように、パニック発作の背後には、死の恐怖があったり、自分がコントロ−ルを失ってしまい、とんでもないことをしてしまうのではないか、人前で取り乱すのではないかという恐れをしばしば伴います。それと共に外出恐怖、乗り物恐怖もつきものです。このような恐れを強く抱く人が不安にとらわれ、慢性化しやすい傾向にあります。
以前から強調していることですが、パニックの治療には薬物療法が必要です。しかしパニック発作そのもの、死の恐怖や自分自身を失う恐怖、外出恐怖には薬物療法では限界があり、森田療法が有効です。またパニック障害を治すには、つまりこの神経症にケリを付けるには森田療法が必要です。まず不安は逃げるほど、不安を取り除こうとするほど、不安が強くなるという不安の逆説を身をもって体験することからこの治療は始まります。勇気を持って不安に直面してみてください。幽霊の正体みたり枯れ尾花です。
相互のやり取りから学ぶこと '00.9
お互いの経験を述べて、お互いに学んでそこから自分を客観的に見ると共に問題解決の手がかりをつかんでいきます。この相互のやり取りを通した相互学習がフォ−ラムを始めとする自助的グル−プの特徴です。人から元気をもらいます。これは他の人たちとのやり取りから生まれたものであると共に、このように感じられる能力を示しています。
「生の欲望」 '00.8
症状は確かに人にいいにくいもの、しかしそれを率直に相手に伝えることで、自分が楽になることもあります。それと共にいつも症状の背後になる自分の欲望「生の欲望」とは何かと、問うことです。苦手な背後に実は自分がしたいことがあるということは、私たちが自分としての生き方を見つけていく時に重要な観点です。
過去 '00.7
森田療法では過去をどのように理解するのか、それと現在の関係は、について述べてみます。過去の出来事がその人を悩まし、苦しめるときには、まず「今・現在」をどのようにその人が生きているのかを考えます。私たちはまず今を生きることに行き詰まると、過去が大きな意味を持ってその人に襲いかかります。従って森田療法では(少なくとも私の考えでは)、今を問うことからその治療を始めるわけです。率直に自分の気持ちを伝えられているのかどうか、自分の生き方は、などをまず考えてみたらどうでしょうか。以外に問題の解決は身近にあるものです。
不安に踏み込む '00.6
不安は逃げようとすればするほど、取り除こうとすればするほど、強くなります。これは自分の心のあり方が不安を自分で強めていくことを物語っています。不安に直面し、不安に踏み込む心の態度が大切です。それがすでに不安から逃げようとしない、不安を自分で作り、強めない心の態度に変わって行くことを物語ります。そこからは自分の体験です。あ−不安とはこんなものだったのか、自分で体験できるとよいのですが。
不安とうつ '00.5
最近の精神医学の研究から、以前ほど不安とうつははっきり分かれたものではなく、極めて近い関係にあることがわかりました。従ってその治療は、薬物療法と精神療法が主な方法となります。しかしこの治療の最終的な解決は、今までも何回となく強調しているように、不安を抱えていけるこころの器を育てることです。なぜ自分がこのような不安に陥ったのか?、それは過去の親との関係?、自分の体質?、現在の環境?などと原因を探求したい気持ちが起こります。しかし残念ながら、不安の原因はひとつのことに還元できません。家族の協力と理解も大切です。薬物療法もある適度の効果はあります。しかし結局その不安とうつからケリをつけるには、不安をしっかりと受け止める心と自分の健康な欲望の発揮です。つまり自然で固有な生き方を見いだすことが本質的な解決になると私は考えています。
悩みについて '00.4
仕事上のことで不安となり落ち込んだりした時に、とりあえず1週間だけでも頑張ろうと短期の目標を立てて頑張っている方がいます。このような具体的な目標は行き詰まったときには重要です。とりあえず出来ることから手を出していくことが、悩みを自分で受け止めていく力をつけていくようです。また同じような悩みを持つ友人と話し合うと勇気づけられるようです。これも大切なことです。私たちの悩みで一番苦しいのは、なぜ自分だけがこのように苦しまなくてはならないのか、と思い悩むときです。それがさまざまな恨みつらみ、人への羨望となり我々を苦しめます。このような時に率直に自分の悩みや自分の弱みと思っていることを友人に相談することです。多くの場合は自分の悩みが決して自分だけのものでなく、他の人に同じような悩みをかけていることに気づきます。そのことが私たちをずいぶん楽にしてくれます。
完全主義者 '00.3
人が悩み出すと自分で気づかないうちに片寄った完全主義者となります。つまり悩む人は多かれ少なかれ完全主義者です。
人に頼ることことも時には必要です。人が完全主義者となりますと、行動は極端になりがちです。極端に人に頼るのをやめてみたり、頼りすぎたりしてしまいます。そのような自分を理解し、ほどほど60点主義で物事に取り組んでいけるとよいと思います。
不安神経症の薬物療法について '00.2
不安神経症の薬物療法は、最近とみに発達してきました。すくなからずの人が、薬物療法で軽快し、そのまま治療を終えることが出来ます。しかし残念ながら多くの人は治療が長引いてしまいます。特に神経質傾向のある人、つまり完全主義的な傾向のある人です。不安も完全に取りたいと望んでいるうちに逆に不安にとらわれてしまうのです。
治療が長引いた場合に、その不安にけりを付けることが出来るのは、やはり不安を受け止めるこころの器を大きくするような経験が必要です。それには森田療法が役に立ちます。
「クスリ」について '00.1
私も著者の一人として名を連ねている「心に効くクスリ」という本の題名にちなんで、今回は不安神経症とクスリの話をいたしましょう。
不安を考える場合、急性期(不安発作が主)と慢性期(予期不安、恐怖症としばしばうつ状態を伴います)に分けるとわかりやすくなります。急性期の不安発作の治療は、薬物療法が主となり、不安に対する心の態度はこの薬物療法に平行して作っていくものです。そして薬物療法によって不安が軽減し、不安を受け入れる心の態度ができあがるとともに薬物の減量が可能となります。
しかし多くの場合は、残念ながら慢性的な経過を取ります。慢性期の不安は、薬物療法が従で、不安に対する心の態度を作ることが主となります。そしてしっかりと不安を受け入れる態度を作ってから、クスリを減量することが大切です。それまでは焦らずに、上手にクスリに頼ることも大切です。不安に対する心の態度が進んでくれば、必ずクスリは減らせたり、最終的にはやめることが出来ます。クスリの飲むということに対する自分の気持ちを処方してくれる先生に率直に伝えながら、減量なり、やめる方向に行く方がよいでしょう。