不安神経症の部屋

Diさんが一ヶ月前にこのフォーラムに登場しました。不安発作に襲われ、その後さまざまな強迫観念に悩むようになります。しかししっかりと森田を学びながら約一ヶ月経ちました。そこで彼はどのように森田療法を学んだらよいのかを悩み始めました。「・・始めのうちは、暇があるとまるで薬のように、しがみついて読んでいました。今考えると、それは症状をなくしたいが為に、症状をどうにかしたいと言う気持ち”のみ”で読んでいたと自分では思います。
・・それも森田の学習のうちの一つでしょうか? 本当に森田先生から学び取らなくてはいけないのは、症状対処法ではなく、森田先生の物の捕らえ方や感じ方、さらには生き方そのものでは?と最近感じています。森田先生の本を繰り返し読んでいますと、そんな気がするのです。症状がどうのこうのではなく、自分がどう生きるか、この限られた時間をどう有効に利用するかということ、生の欲望に基づいて自分を開花させなさい。そして症状があればあるままで、つらいときはつらいままに頑張ったらいいじゃないか。エネルギッシュにその時その時を生きなさい。それを実行するためのヒントが著書に隠されているのではないかと思うのですが・・・」。
Maさんは次のように助言します。「・・森田の学習については、一足飛びに結論に持って行かない方がよいように思われます。私はDiさんが、一つ一つその過程を大切に確認されながら、そしてやがてはDiさんが言われるように森田的な生き方を目指して進まれることを期待します。」。
私も同感です。最初は不安の対処方法でいいのです。ここで学んだことを一歩、一歩実行して自分のものとしていくのです。つまり学んだことを実行し、直接に体験してみること、そしてさらに自分の体験を森田の本に照らし合わせてもう一度自分として理解していくことです。私たちの自覚はこのようにして深まり、生き方そのものへと向かっていくのです。最初からそれを意識することは必要ありません。いわば必然的にその方向に向かっていきますので。そのプロセスこそ最も重要なことです。

Diさんが「最近、つらいことと、怖かったことが重なった後、突然不安感と恐怖感が出るようになりました。仕事は、しているのですが、不安感等が出るようになって、仕事でつかれて、夜、眠ろう、休もうとしても、不安感が先に立って、いろいろな考えが頭をめぐって、寝つきも悪く、熟睡できず、体が休まりません。」とつらい状況を訴え、助言を求めています。Maさんは次のような助言をします。「・・辛いでしょうがお仕事だけはお続け下さいね。・・日薬といって、日にちが経てば必ず改善されます。要はどうしたらその執着から離れられるのか、一寸したことでも良いですから思いつくままにメモに書き出されてはいかがでしょうか」。そして焦らないことを強調します。Emさんは「・・今、自分ができる小さな事からやるようにしています。そして、苦しかったけど出来た自分を自分で褒めるようにしていますよ。そして、生かされていることに感謝することが出来るように必ずなるから。マイペースで!今は自分に対する訓練・・」と書き込みます。Mmさんは「・・頭の中ではいろいろ思考がグルグルしていてもなるべく執着せず今やらなければいけないことをキチンとこなす事に力をいれました。考えと行動は違う!!と自分に言い聞かせながら・・」といいます。Ysさんは今もつらい日々を送っていますが、次のように書き込みます。「・・多分、私には現実を直視できない弱さがあるように思っています。でもありのままの自分で頑張って生きていくしかないと思う、この頃です」。
皆さんの助言は体験に裏打ちされているので、とても説得力のあるものです。このようなときこそ、森田の原則、「気分」と「行動」を分けることをしっかり認識し、日々の生活に取り組むことが大切だと思います。

Haさんが仕事のことで悩んでいます。「仕事を辞めようか悩んでいます。とても厳しい社長に毎日怒鳴られています。100やっても200を求められクタクタです。ここで何人か辞めていく人もでました。このまま続けたらいいのか?ほかを探すか?どうしたらいいのか。自分にムチ打ってがんばるか?・・」
この問題はHaさんだけのものではありません。現代日本の多くの人たちが同じように悩んでいるのではないでしょうか。Maさんは提案します。「・・いかがでしょうか、しばらく継続的にこのフォーラムで心の内を整理されるためにも、日々の暮らしの模様を詳細に掲載されましては。きっと、改善策が書きながら発見できるように思いますよ。」。私も同感です。迷い、悩んでいるときは、時間をおいてみること、そして自分を客観的に観察すること、そしてそれから打開策を考えることが大切だと思います。人に話すこと、このフォーラムに書いてみること、などは自分を観察し、客観的に物事を把握する力を養います。そのうえで、決めることが出来れば、後々後悔する事もないと思いますが・・

Emさんがさまざまな不安で苦しんでいます。「・・常に「あの子、なんであんなに小さいの」とよく人に指でさされたり、いじめられていたから「誰か私の悪口を言っているのではないか」と小さい頃から周りを気にして考えるくせがついてしまいました。・・突然、誰かが家に訪ねてきたり、呼んでくれたりするとなんか緊張するんですよね。そんな変な自分を人に見られたくなく必死でした。・・母の母も心配性の人だったから天性のものかもしれないけど「まぁこんなもんでしょうがないか」と思えるようになりました」と書き込みます。このようなほどほど感覚は大切です。
そしてEmさんは自問自答します。「自分本位の気持ちを優先し、他人に対する思いやりがなく、完全主義的な気持ちを早く治したくなります。何回も人に頼ってはいけないと思いながらもドキドキとはやる気持ちなり、幼児性に何回も戻ってしまいます。他人を利用し、自分の気持ちを居心地よくしようとしてしまいます。友達にも「自分のプログラム通りにどーしてもやりたい人」と言われ、確かに一日の生活でもまず自分の朝から晩までのスケジュールをつくり、それ以外のことが入ると非常にパニックに陥りやすいです。・・今から理想を求め考えすぎているのも今までのカウンセリングで同じ体験をしてきたので分かっています。・・」
このように自らの完全主義的傾向や他の人が自分をどう見るか、にとらわれ、自然な生き方が出来ていない、という洞察、内省こそが自分を変えていく力となります。そこから自分を生かす工夫が出来てくるのです。

Chさんが不安神経症を克服したいと題して、次のような書き込みをしています。「パニック発作をおこして7年になります。今は重度ではないのですが、怖くてできないことがまだまだいっぱいあります。どうしても薬がないと安心できないのですが、昨日森田療法の先生に初めて診ていただき、不安を薬と思って薬は飲まないようにと言っていただき、今日から頑張ってみようと思うのですが、いざ行動しようと思うと正直恐怖心が強いです。こちらでアドバイスをいただいて強くなりたいと思っています・・」このようなことで悩んでいる方も多いと思います。ある程度薬物療法でよくなったのですが、その後がどうしたらよいかわからない、という状態です。Mpさんは正直に次のように書き込みます。
「・・私は不安神経症になり森田をはじめて1年になります。今まで色々とありましたが、ここで沢山の人に助けられて今では自分が病気だったということも忘れてしまうほどです。そんな私でも未だに発作止めを持って出かけるんですよ。結構忘れてしまうことも多いんですが、あえて持っていくようにしているんです。なぜかと言うと、それは私のお守りのような物だからです。人によっては出かける際に何かを持たないと落ち着かないという人が多いですよね。・・それが私にとっては薬なだけで、要は薬を持とうが持たまいが目的が果たせればそれでいいんです。そうして目的本位の生活をしていれば、目的が果たせたことだけに目がいくようになり、その過程に起きたことや薬のことは気にならなくなります。・・」
私も同感です。さあ、不安を克服するぞ、とあまり肩に力を入れないことです。薬もお守りでMpさんのいうように持っていればよいのです。そしてしばらくは「怖いものは怖い」と覚悟して、はらはらびくびくしながらその時々の目的を果たしていけばよいのです。不安は時間とともに変化することを経験できるでしょう。この感情の法則を体験すると、「気分」と「行動」は別物であるということがわかってきます。一歩、一歩です。

Boさんが次のように書き込んでいます。Boさんは不安神経症で苦しみ、離婚、ギャンブル依存という事態に陥ってしまったのです。「現在40歳です。この病気になって10年になります。・・それは日頃のストレス→解消するための買物、このパターンが増加し、支払いが困難になり『債務整理』をしたのですが(この1年後に最初の発作)余計に経済的な不安が強くなりその結果パチンコに依存してしまい、そしてまた経済的に苦しくなる、この悪循環が不安を大きくする原因ではないか?と思っています。パチンコを辞めるためにカウンセリングに通ったり、民間のサークルにも通ったりしましたが全然効果がありませんでした。5年前には離婚もしました。そして去年の6月には会社を解雇になり今は自営で仕事をしています。・・ギャンブルに依存したり、金銭的に不安になったりする、そもそもの自分はいったい何なのか、今までの人生はいったい何だったのか?毎日が不安の連続です」
Maさんは次のように指摘します。「・・何故、毎日が不安の連続なのか、Boさんが仰るとおりその依存的な性格が禍しているのだと思います。それでは、どうしたらいいのでしょうか。私はこれを機会にもう一度Boさんが原点に立ち戻られて、これから何をやって生きていったらよいかを模索されたらよいかと思います。そのためには森田の書籍を読まれるのが一番の早道ではないかと思います。」
私も同感です。Boさんが自覚したように、誰か、何かに頼ろうとする→満たされない→益々頼りたくなる、という悪循環に落ち込みます。その解決にはまず自らの不安を抱え込んでみよう、そこから逃げないでみようと覚悟を決めることです。そうなれば問題の半分以上は解決に向かっているのです。

Msさんが久しぶりにパニックになりました。「ずっと調子も良く、病気の事などすっかり忘れていました。でも、昨日の夜、寝ようとしたら、目が回り少し息苦しく、冷や汗が出て気持ちが悪くなり、ビックリしました。久しぶりに具合が悪くなったので、チョットと怖かったです。どうしても具合が悪くなると、パニックになってしまいます。皆さんは、こんな時はどうしていますか? 私は、早く治ってーとひたすら祈っています。駄目でしょうか?」と書き込んでいます。Miさんは次のようにアドバイスします。「私の場合、神経症になってから異常に体調に敏感で、ちょっとでも体調がすぐれないと不安になる…の繰り返し。体調なんてたまには悪くって当たり前なんですけど…、私は結構慣れてしまったので、『あ、またかー』と特に何もしません…。」
Maさんもいうように困ったときの神頼みでなく、日々の学習と実践が大切です。それとともに、ちょっとした体の変化→どこかおかしいのではないかと、自分で自分を不安にするような解釈をする→アーだめだ、と自分で決め付ける→不安反応を起こす、という悪循環に要注意。つまり自分で自分の不安を拡大しているのです。このことに対する自覚が重要です。

Saさんが6年前の5月に不安発作を起こしました。つまりとらわれ、トラウマの季節になってしまったのです。「私が不安発作を起こしたのは今ぐらいの季節でもう6年も前の事です。それまでの私は、悩みなど無く毎日楽しく過ごしていました。急に発作におそわれてから、徐々に良くなりつつもすっきりした日は訪れません。…あ〜すっきりしたい、『気分爽快』って心から言ってみたい〜!!」。たしかにSaさんの言わんとしてところはよくわかります。それについてMaさんは鋭く切り込みます。「…あれほどまでに自分を苦しめ悩ませた幼弱性(あれもしたいこれもしたい)が、芽を出し始めてきましたよ。ご用心下さいね。私は乗り越えられないハードルがあってこそ、生きる意味も深みを増すと森田で学び取りましたが」と助言します。
Moさんは「そういう時は、あっさりと自分の心身の体調をこんなものだと降参してしまう、そういうものだと認めてしまうのが一番楽です。」と言います。Mpさんは「ここが落とし穴なのではないかなと思います。要は、すっきりしない気分や体調に対し、過敏になっているか、そうではないかの違いだけだと思います」と書き込みます。Suさんは「私にもトラウマはありますが、一緒にここで乗り越えていきましょう。」と励まします。Haさんは私もつらいのです、と告白します。Ktさんは「今思うと、発作を起こす前よりも今の方がずっと幸せなような気がします。以前は自分の性格が嫌になることがたびたびあったような気がしますが、今は、あまり思わないんですね。『まあ、僕は僕なんだから仕方がないや』って感じであきらめられるようになったというか」といいます。
皆さんがそれぞれの立場で書かれていて、それぞれが真実です。私はMaさんの幼弱性を「全てを思い通りにしたい」欲望と理解します。それがわれわれの苦悩の源泉であることは、仏教の教えるところでもあります。そして「世の中には思い通りにならないもの」があり、それをしっかり自覚することからとらわれは抜けられるのです。世の中には思い通りにならないものとは私たちの気分、感情です。そのような認識が幼弱性の克服へとつながるのです。

Soさんが「あんなこと言っちゃったのはまずかったなぁ、って後悔するのです。いつもそうです。後悔して、「よし、次からは、もっとこんな意見を言おう」とか「自分の話しばっかりせずに、人の意見をたくさん聞こう」とか思うのですが、まったく実行できず、同じ事を繰り返しています」と書き込んでいます。これはよくある後悔ですよね。随分私もこのように後悔したものです。
Maさんは「森田を知らない前のことでしたら、『さあ、大変、どうしよう。』と大騒ぎになるところですが、感情の法則を学んでそのからくりが解っていますからもう慌てることはありません」と助言します。Miさんは「これが自分なのだから仕方ないのかなと思っています」、Saさんが「『悩みが自分を育てるのだから、悩むことは悪い事ではない』と悩みを無理に取りのぞこうとせずに、悩みと向き合えるようになればしめたもの」と書き込みます。つまり発想を変えることによって、このような後悔こそが私たちを成長させるのです。
後悔の渦に入ったときには、感情の法則を思い出して、もう少し時を置いてから、つまり待ってからもう一度考えてみようとする態度も大切です。感情が山形の下りにかかる頃にはもっと現実的な考え方ができやすくもなるのです。

Myさんは、パニック障害で悩んでいます。そして現在レストランでアルバイトをしようとしています。さて不安のままにアルバイト先に出かけましたが、そこで発作が起こり吐いてしまいそうになりました。「体は震えるし、吐き気で苦しくて、本当にパニックになっちゃって。ここまで苦しいのに恐怖突入なんて、今は無理・・。そのお店から出て外の空気を吸ったとたん、発作は治まって、自分がしたことについて後悔してます。でも、もう戻れない。こわくて、逃げてしまいました」と書き込みます。
Moさんは、「みごとなまでに森田を実行されていると思います。・・・逃げるとは、今回のようなことがまたあるのではないかと自分で悪い想像をふくらませ、なんだかんだと理由をつけて仕事につかなかったり、行かなかったりすることだと思います」と過度に自分を責めてしまい、結果として何も出来なくなる方が逃げることだと助言します。Saさんも「『一歩踏み出す』がこれからのやるべき事なのだと思います。」と書き込みます。
そうです。人生に取り返しの付かない失敗などないのです。時には無理と思えば、引き返す勇気が必要です。そして時に失敗をしながら、粘って何かに取り組んでいくうちに次第に手応えが感じられるようになります。Maさんもいうように、地道な努力こそ王道です。焦らずに出来ることを一つ、ひとつ、積み重ねていってください。

Hiさんが次のようなことで悩んでいます「・・症状は心臓が苦しくなる感じで呼吸がしづらくなり、心臓が止まるのじゃないかという不安感からじっとしていられなくなるというものです。すごいあがり症のため大勢の人前で話すときにものすごく緊張してしまい、その場面の何日も前から不安に感じてしまいます。会社や電車などいろんな所で症状は出てしまいます。・・どなたか同じ症状や性格もしくは経験者で克服された方などのお話が聞けたらいいなと思います」。
MaさんやMiさんが早速アドバイスを送ります。それに対してHiさんは「嫁さんや友達に話してもイマイチ理解してもらってなかったので、症状が同じような方からお話いただけて本当にうれしかったです。これから森田療法についてゆっくりと学んでいきたいと思います。特に『症状をなくそうと頭の中でもがいても何も解決しませんが、行動を変えることで意識を他のことに集中させることは出来ます』というのはすごい分かりやすかったです。多分そんなに簡単には出来ないと思いますが、徐々にやっていきたいと思います。このフォーラムにたどりつけてMiさんのような方といっぱいお話できればこの病気とうまくつきあっていけそうな気がしてきました。これからもよろしくお願いします・・」と書き込んでいます。
このように体験者のアドバイスは時に医師やセラピストよりも説得力を持ちます。また逆にこのようにアドバイスすることにより、助言者の方は自らの経験を明らかにして、その自覚を深めることが出来るのです。それが自助グループやここでの体験フォーラムのよいところだと思います。

不安というのはやっかいなものです。私たちの人生の節目、節目に現れ、私たちを苦しめます。それはある程度克服した、楽になった、と思う時にまた現れます。なかなか一筋縄ではいかない相手なのです。Miさんは次のように書き込んでいます。「症状が辛い時期に、原点に返って森田を復習するのは私もやりました。こうして 症状の悪化→森田の再学習→立ち直る→再度悪化→学習が身に付いているから動じない→症状が上向く→症状が気にならない→症状がいつの間にかなくなっているという経路をたどるのだと思います。・・」
その通りだと思います。私たちが人生に行き詰まった時に森田の原点に立ち返ることでその知恵を深めることが出来ます。そしてその繰り返しが実は「不安」の問題から「生きること」そのものへと私たちを導いていくのです。