不安神経症の部屋
「不安神経症で悩んでいます」 '07.12
- ★Q:質問
- はじめまして、私は今現在漠然とした死への恐怖を感じ苦しんでいます。
始まりは病気不安からでした。健康診断で異常が見つかり精密検査を受けました。
その時から検査結果が出るまで、癌ではないだろうかとか不安で不安でしょうがなく、自分をコントロールできない状況になってしまいました。
そのときから心療内科にお世話になり現在デパス0.5mgを1日2錠リスミーを1錠処方してもらい飲み続けています。
幸い検査の結果は特に問題ない結果でした。これで不安から解消されると思ったのですが、そこから漠然とした死の恐怖感じるようになりました。突然事故で死ぬのではないか、等毎日考えてしまいます。
何もやる気がおきず、仕事以外外出するのもきつい状態です。
ぜひともアドバイスをいただきたくすがる思いです。よろしくお願いいたします。 - ★★A:回答
- Kさん、こんにちは。今現在漠然とした死への恐怖を感じ苦しんでいます、とのことですね。なるほど。
それ自体は誰にでもある自然な感情です。なお、始まりは病気不安からで、健康診断で異常が見つかり精密検査を受けたが、結果が出るまで、癌ではないかと不安で自分をコントロールできない状況になった。とあります。健康診断での異常は、誰もが不安になるものですね。よくわかります。さらに、検査の結果は問題がなかった。これで不安が解消されると思ったが、そこから漠然とした死の恐怖を感じるようになり、突然事故で死ぬのではないか、等毎日考えてしまう。とのことですね。これは大変ですね。健康診断で強まった不安が治まらず続いているようです。 - 森田療法では人間が生きていく限り、不安は自然なものと考えます。むしろ人生のことを真剣に、大切に受け止める姿勢があるほど、不安も強まると考えているのです。Kさんもおそらく自分の人生を大切に、貴重なものとして受け止めるかたなのだと想像いたします。不安は人生に対する強い思いへの裏返しなのでしょう。それでいいのです。
ただ、その不安をどのように生かすかが重要です。
また、Kさんは何もやる気がおきず、仕事以外外出するのもきつい状態になっている、とのこと、不安の中でのお仕事、ご苦労様です。大変な努力がうかがわれ、頭が下がる思いです。一体そういう中でどうやって仕事に取り組めておられるのですか?不安の中でもやるべきことをやる、目的を果たしている、その勇気ある態度がとても重要なものと存じます。その体験は今後も不安と向き合っていく上で大切な財産となるでしょう。是非その態度を続けていただきたいものです。 - さて、人間にとって生きていく限り当然の不安をいかに生かすか、ということを考えてみます。避けられない不安にこだわったり、それについてあれこれ考え込んだりすることはかえってそれを強めてしまうものなのです。自分の不安から何を学べるか、という問いかけが大事だと思います。今回の症状の不安の根本にあるのは、「健康でいたい」というお気持ちです。その不安を「健康でいる」ために日常生活の中でどのような努力をするか?ということを考えたり、考えたことを行動に移すきっかけにするというように受け止めたらいかがでしょうか。健康診断で異常を指摘されたことは、ご自分の健康でいたいという気持ちに気づくきっかけであった、と考えれば、結果的にはかえってよかったかのもしれません。これからさらなる健康を保つために新たに日常生活を見つめなおす、というきっかけにすることは難しいかもしれませんが、可能であると思います。どんな不安でも成長や変化のきっかけとして生かせないものはないのです。強い不安の中でも仕事に取り組んでおられるKさんならご不安を十分に生かせると思います。ご参考にしてみてください。
(鹿島 直之)
「良くなる、とはどういうこと?」 '07.11
Tさんは、パニックの悩みを抱えており、厳粛な場所や逃げられない場所、乗り物を避けてしまうと訴えています。これまではそれを避けることが出来ていたようですが、今回飛行機に乗らなければならない、という状況になり、「良くなりたい」と書き込みをされていました。
さて、Tさんが言っている「良くなる」というのは、どのようなことを指しているのでしょう?
不安がなくなることでしょうか、あるいは飛行機に乗れることでしょうか。
勿論、不安なく飛行機に乗れることを希望していらっしゃると思いますが、その際に優先されるのは「不安がなくなること」になっているように思います。不安がなくなれば、当然飛行機にも難なく乗れるわけですから。
しかし、良くなるためにこの「不安をなくしたい」と考えること、これが曲者なのです。つまり、不安をなくそうと思えば思うほど、その存在を意識するようになり、逆に不安を大きく育ててしまうことになるからです。
予期せぬ出来事は、人を動揺させます。それが、パニック発作という不安や苦痛を伴うものであればなおさらでしょう。
しかし、予期せぬ出来事とは、どんなに我々が頑張っても予期できないものです。先の予想がつかないことも、そうした事態を前にして動揺してしまうことも、結局のところどうにも出来ない事実なのです。
一方、得意、不得意があることも人間の自然な姿です。Pさんが、“高橋ジョージが飛行機嫌いで、カチンコチンになって冷や汗を流しつつ乗っている”という良い例を紹介してくれています。彼は神経症ではないけれど、飛行機が恐くて不安に慄きながら乗っているということですね。恐いものは恐い。恐いと感じることが神経症ではないし、逆に恐怖や不安がなくなることが「良くなること」ではないということです。
Tさんは、今度飛行機に乗ることを避けられない・・と書かれていますが、もしそれが仕事などで必要なことであるならば、高橋ジョージさんと同じように、恐々乗ってみる、新しい一歩のチャンスです。恐怖突入ということになりますが、それは我慢比べではありません。必要な仕事に取り組み、そこで力を発揮し、自分の世界を広げるための一歩です。
Pさんも、不安や恐怖を抱きつつ初めての出産に臨もうとしています。それは、Pさんが求めている生活がその先にあるからです。Tさんはどんな生活、どんな人生を求めているのでしょうか?恐くても、不安でもいいのです。自由に、そして充実した生活にしたい・・と願う気持ちを拠り所に、今必要なことに一歩一歩踏み出していく、それこそが「良くなる」ということなのではないでしょうか。
(久保田 幹子)
「高血圧恐怖」 '07.10
yさんは、数ヶ月前にたまたま血圧を測ったら170だったことから、「高血圧恐怖」にとらわれてしまったと書いています。
それ以前にも20年間心臓神経症に、9年間「運転恐怖」に悩まされてきたとのこと、その中で森田の教えでお仕事もされ、なんとか生活されてきたということは大変なことだと思います。「通勤の運転中」と書かれているということは、運転も避けずにやっておられるということですよね。
もちろん、高血圧については現実的な対処をすることが前提となります。無頓着になることが神経質の治療ではありませんから。
その上で取り組みとしては、そのまま、大いに高血圧を心配しながらお仕事に、運転に向かわれるのがよいと思います。森田先生が言っておられたことに「前を謀らず、後ろを慮らず」という言葉があります。すなわち「あのときあんなことをしなければよかった」と過去にこだわり続けるのでもなく、「ここでこんなことがあったらどうしよう」という取り越し苦労にこだわり続けるのでもなく、おっかなびっくり、「現在になりきる」ということを述べられています。そして無事に職場に着いたら、あるいはひとつ仕事を終えたら、しっかりと「やれたこと」を振り返っておきましょう。神経質傾向を持つ人はともすると「先の見積もり」に走ってしまい、やれたことを認めないまま次へ次へといってしまう傾向があります。
yさんは、人一倍「健康でありたい」という思いが強いのでしょう。これまでそうされてきたように、その「良く生きたい」という「生の欲望」をおおいに発揮していかれてください。
(塩路 理恵子)
「今、現在を加点主義で生きる」 '07.09
こんにちは、Aさん。15年に及ぶ不安神経症の治療の中で、様々な苦労があったことと思います。その一方で、文面を拝見していると、Aさんが森田療法を通じて不安との付き合い方を大分習得されているように見受けられました。これは、Aさんの粘り強い取り組みの結果に他なりません。
けれども、現在は症状だけでなく、新たな悩みがAさんを苦しめているように思いました。それは、「よりよくありたい」という悩みです。Aさんは、この思いを反映させるために、日々頑張られているのだと思います。
「自分のやることなすことが上手くいかず、後悔ばかりしている」などといった文面も、「よりよくありたい」というAさんの切なる思いの表れだといえます。しかし、時としてAさんは、この思いを募らせるあまり、「常にきちんと振舞わねばならない」といった考えにとらわれてしまっていることもまた事実のようです。
つまり、このような考えにとらわれてしまうことで、常に自分の至らない部分だけが大きく見えてしまったのだと思います。そうだとすれば、上手く振舞えない自分を過度に責めてしまうことや必要以上に周囲の目を気にして、緊張してしまうことも当然のことといえます。では、どうしたらこのとらわれから少しでも脱することができるでしょうか? まず、自分の取り組みに対してできた事実を少しでも認めてあげることです。Aさんの行動は、至らないことばかりでは決してないはずです。自分にしか分かりえない苦労と努力の軌跡をAYR1519さん自身が認めず、簡単に切り捨ててしまうとしたら、それは大変もったいないことです。減点主義に人一倍長けているAさんには、是非心掛けていただきたい点だと思います。
さらに、今、頑張られている母親などといった自分本来の役割を丁寧に取り組むよう、あらためて意識して頂けたらと思います。将来をより良く生きたいと思うときに、変えられるのは「今、現在」だけなのです。ですから今の生活に最善を尽くして行っていただきたいと思います。すぐに上手く行かないことも多いでしょう。しかし、このような視点をもって粘り強く生活することで、「よりよくありたい」というAさんの思いが発展することを願っています。是非頑張ってくださいね。
(樋之口潤一郎)
「中庸の道」 '07.08
Sさんは「思想の修正」で書きました。自分はいつも我慢して、人に合わせてきた。しかしそうすることによって自分をなくしてしまい、「自己中心」的な他人の振る舞いにいつもイライラせざるをえなかったこと。そこで最近はイライラするくらいなら、相手のためよりも自分が楽しめるように矛先を変えたところ、すごく楽になったということでしたね。
Sさんはご自分のことを客観的に見つめ直して、人との間合いをどう取ったらいいか真剣に考えていらっしゃるようです。たしかに世の中にはいろいろなタイプの性格の方がいます。一方の極には、ほとんど自分のことを顧みず、他人の気持ちや意向を汲んでそれに合わせていくタイプの方がいます。かつて「気配り人間のすすめ」という本がベストセラーになったことがあったように、「気配り」は社会の中で尊重されるべき態度であり、Sさんが言われるように、「(こうした人がいないと)なりたたないこともあるし、必要とされる」のです。しかし同時にこのようなタイプは、うつ病や不安神経症に関わりの深い性格傾向でもあります。いつも家族や周囲の人のことを心配してばかりで、気が休まらないという人がいます。また、せっかく人に心を配っているのに、相手の自分に対する評価が低いと感じれば、落胆もしてしまいます。自分が我慢すればするほど、周囲のひとが一層好き勝手にしているように見えて、イライラしてしまうという Sさんの気持ちは、よく理解できます。我慢が限界に達すれば、感情が爆発してしまうのもあり得ることです。
さて、もう一方の極にあるのが、全くといっていいほど周囲の人の気持ちに注意を払わず、自分の欲するままに行動して平気なタイプの性格です。こういうタイプは本人が悩むことが少ないだけに不安神経症やうつ病にはなりにくいのですが、本人が悩まない分、しばしば周りの人が悩まされ、迷惑をこうむります。自己の欲望だけで衝動的に行動する人は、時に反社会的な行動に及ぶことだってあるかもしれません。
こうして見ると、他者を気遣うことと、自分自身を尊重することのバランスを図ることが大切だといえますね。もともと自分より他人を優先し、相手に合わせることばかりという方は、もう少し自己主張してみる、また時には Sさんの言うように、自分の気持ちに沿って「自分が楽しめるように」行動してみることで、適度なバランスが取り直されるのではないでしょうか。今までのやり方から軌道修正を図るには不安がつきものです。したがって、おっかなびっくり新しいやり方を試してみるというプロセスが必要になります。反対に、元々自分の都合で行動しがちな人は、もう少し周囲に心を配り、他人の身になって考えるトレーニングが必要なことはいうまでもありません。
最初から完璧なバランスが取れている人はいません。私たちが成長するということは、バランスのよい状態(中庸)に徐々に近づいていくということではないでしょうか。この意味では、Sさんだけでなく皆が成長途上にあるのです。
(中村 敬)
「異性とのおつきあい」 '07.07
Sさんへ
ご自身が神経症で悩んでいるとお付き合いしている人へいつどう話したらよいだろうと思うでしょう。確かにお付き合いを始めたときに自分は神経症だとは言いませんよね。お互い色々良いところを認め合ってお付き合いが進んでくるとこのような悩みがでてくると思います。お返事の書き込みにもありましたが、自分が対人緊張を病気で自分がだめだと思っていても、相手からするとその裏返しでずうずうしくなく気配りをする方という長所に見えるかもしれません。森田先生の著書・「神経衰弱と強迫観念の根治法」内の「2 神経質の本性」で「神経質の長所と短所」という項目があり、「神経質の素質による長所は種々挙げることができるけれども、これにとらわれて病的となるときは、これがことごとくその短所となって現れるのである。」と述べています。そして最後に「神経質のただわれ独り苦しいという心持ちは、ひとたびその心境を転回して、自己の素質の長所に覚醒したときに、これがそのまま唯我独尊となるのである。この心は、すなわち人を恨み、自分をかこつ卑屈の心ではない。自己の全力を発揮し、人をあわれみ、周囲を済度する力である。」と結んでいます。この文章を参考に症状を分かってくれるか否かということから離れてご自身をみつめた上で、もう一度相手と向き合ってみてはいかがでしょうか?
(舘野 歩)
「人生の主人公は皆さんひとりひとりです」 '07.06
hさん、yさん、pさん、こんにちは。お薬のことで色々とお悩みのようですね。そこで今回は、森田療法における薬物療法についてお話したいと思います。元来、森田療法は、薬物療法を使わないというイメージがあるかもしれません。
しかし、近年の医学、および薬物療法の進歩は目覚ましいものがあり、特にSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などは社会不安障害、強迫性障害、パニック障害などに一定の効果があるとのエビデンスが出されています。ですから、現在では必要に応じて薬物療法を併用しているのが実際です。
しかし、ここで大事なことは薬物療法の位置づけです。
皆さんのお話を読んでいるといずれも、「薬を出された。疑問はあるけれども、出されたから飲んでみるか」といった受け身の服薬行動になっているようです。森田療法では、何よりも皆さんの主体性を大事にします。これは他ならぬ「より良く生きたい」という「内なる希求」すなわち「生の欲望」を涵養することを意味します。
ですから、薬物療法を併用するにあたっては「よりよく生きたい」皆さんが主体となって、薬物療法を積極的に吟味し、主治医の先生と相談しながら服薬をしていくことが望ましいのです。
結局のところ、薬物療法を併用するかしないかが問題なのではなく、いかに不安や症状と付き合いながら、そこでの行動の仕方を身につけるかが大事となります。その目標のために必要であれば薬物療法を併用するし、不要であれば併用しないという形に柔軟に考えれば良いと思われます。あくまで、薬物療法は補助的なものであり、皆さん1人1人の生活への取り組みこそが回復への原動力であると言えます。
(川上正憲)
「前を謀らず、後を慮らず」 '07.05
Yさんは「葛藤に闘っていさえすれば、自然に上達してくる」ということをどう理解するのがよいのか困っていました。Mさんが書かれていますように葛藤は葛藤で、「葛藤と闘っていさえすれば」という意味は、「葛藤と戦い続ければ」葛藤がなくなるということでも症状が治癒するということでもなく、葛藤は葛藤としてあっても、それにとらわれず、行動に取り組んでさえいれば、行動が出来るようになることだと考えます。
また、Yさんは主治医の先生から「もう理論はわかっていると思うから、勉強はほどほどに実生活に目を向けていくこと」とアドバイスされたとのことです。「一寸先は闇」「どこへ行くのも緊張して怖い」と書かれていますが、メッセージからは恐る恐るでも行動に踏み出している様子が伝わってきます。
GW中も外出し、実際に行動した結果、自然に感情が動いて楽しく過ごせたようですね。また「たくさん書き込みをしていたら書くことが尽きてきた」ということです。症状はあるものの、いつもの奴だという感じで距離を持って見ることができるようになってきたのではないでしょうか。このように症状をパターン化してみることができればしめたものです。症状と付き合いながら行動することで、気分がどのように変化していくかを見ることが容易になります。
「前を謀らず、後を慮らず」について、実際には誰しも先々(前)について心配し、過去(後)を振り返っては後悔するものです。そのような先々への懸念や過去の後悔をなくそうと思って消えるものではありません。けれども、ただ立ち止まって将来を心配したり過去を悔やんだりしているだけでは何も生まれません。
将来を恐れ、過去を悔やみながらもいま現在、今日一日の生活の充実を図ることです。いまのこの一時が生き生きと充実したならば、次のひと時もより一層充実するよう工夫してみることです。このように今、目の前の行動に打ち込むことによって、ことによると将来や過去の見え方も今までとは違ってくるかもしれません。
「前を謀らず、後ろを慮らず」という心境は、考え方の問題ではなく、行動の後からひとりでについてくるものではないでしょうか。
(矢野勝治)
「世間体が気になるのは当然」 '07.04
「Aさん、世間体についての質問です。35歳でフリーター」
世間体についての皆様のご意見を伺いたくて書き込みをしました。私は、4月から介護福祉士の資格を得る為に通信制の学校へ入学しました。卒業まで2年間なのですが、この2年間の間、週に3、4回の介護の仕事をしながら夜は学業に専念しようと考えています。しかし、自分の中では、35歳でフリーターの自分が許せない、というか恥ずかしいという気持ちになります。
私と同年代の知人は結婚もして家庭を築き、家まで購入しています。私は相対的な考えをする性格なので、35歳でフリーターの自分が情けなくなります。皆様のご意見が頂ければ幸いです。
回答 「世間体が気になるのは当然」
Aさん、ご相談ありがとうございます。35歳でフリーターの自分が許せない、というか恥ずかしいという気持ちになるとのことですね。なお、同年代の知人は結婚して家庭を築き、家も購入しており、自分が情けなくなる、とのこと、お気持ちは本当によくわかります。
全く自然な感情のように思います。さらに、そのようなお気持ちの中で、ご自分なりに計画を立て、目の前の仕事にも取り組んでおられる、その姿勢を尊敬します。ご自分の気持ちは気持ちとして、正直にあるがままに認め、その上で目的を持って行動しておられる、まさに森田療法でいうところの目的本位の姿勢のように感じられます。是非学業を全うし、介護福祉士の資格を取得して頂きたいものです。
また、世間体が気になるとのことですが、世間にいる以上はそれも自然なことです。むしろ気にしない人こそ世間では受け入れられないものでしょう。どうして気になると思いますか?
森田療法ではマイナスの否定的な感情を、「生の欲望」の裏返しと考えます。「生の欲望」とは人間が本来的に持っている向上心のことです。向上心がない人、友人がどうであっても、自分の立場がどうであっても頓着しない人は、世間体なぞもとより全く気にしないものです。その一方で向上心があり、自分を少しでも良くしたいという気持ちが強いひとこそ、友人のことや世間体が気になって仕方がないものです。
Aさん、そのお気持ちでいいのです。そのお気持ちを生かしましょう。人と比べて自分を責めたりせず、その気持ちを踏み台として、現在の取り組みの原動力とすればよいのです。自分を哀れんだりせず、目の前のことにさらに一層努力すればいいのです。人生はひとそれぞれです。どんな人にとっても人生の経験は実は無駄にはなっていないものです。今までのAさんの歩みも考えようによっては十分強みになりえると思います。35歳までの取り組みをただ悔やむのではなく、その取り組みから何を得たか、どのような経験ができて、どのようなメリットがあったのか考えてみてください。ご自身なりに得られているものが必ずあるはずです。それは今後の人生にきっと生きてくるでしょう。
最後に、Aさんは自分のお気持ちに正直で向上心のお強いかたのように思います。必ず道は開けると信じております。
(鹿島 直之)
「抜きの一手」と「頼ること」 '07.03
こんにちはGさん。お母様が末期がんであることを宣告されて以降、Gさんは非常に辛い生活を送られているように見受けられます。加えて、母親として5人のお子さんの子育てに追われていることもGさんの生活をより大変なものにしているのかもしれません。
現在の状態は如何ですか?
文面から察するに、今のGさんには、不安や恐怖といった症状以上に、気力の減退や生き生きとした感覚の喪失、さらに集中力の低下といった症状が強く認められるように思います。
つまり、Gさんは心の疲労の代表であるうつ状態に陥っている可能性が考えられます。もしそうだとすれば、心の疲労を和らげていくことが、まず先決でしょう。
つまり、心の休息が何より必要なのです。そのため「生き生きしなくては」などと、生活の遅れを取り戻そうと思って焦ってしまうGさんの姿勢を一旦脇に置いておくことが大切だと思います。焦ることは、現在の状況を打開しないばかりか、余計に心の空回りを引き起こし、心の疲労を助長させてしまいかねないからです。
そこで、yさんがアドバイスされているように「手抜き、息抜き、気分転換」といった内容を生活の中に盛り込むことをまずお勧めしたいと思います。
生活に「押しの一手」だけではなく「抜きの一手」が加わることで、Ghrkmさんの心にゆとりが生まれてくるはずです。しかし、このように、新たな生活を試みても、なかなか心の疲労が回復しない場合は、一人で抱え込まないで、様々な援助に頼ることも大切にしていって欲しいと思います。もし「薬では治したくない」といったGさんの思いの背後に、「薬には絶対頼りたくない」という頑なな思いがあるとすれば、専門医に相談した上で時に薬に頼ることだって必要かもしれません。服薬によって睡眠が改善するだけでも、生活にゆとりが回復したりするものです。
Gさんにとって大変な状況が続いているからこそ、様々な観点から心の疲労の回復に取り組んでいただければと思います。その取り組みから得た体験は、必ずGさんの生活の幅を広げてくれるはずです。
(樋之口潤一郎)
「健康人の真似」と「素直」 '07.02
今月の不安神経症の部屋ではPさんの神社の豆まきの行事に、おっかなびっくり「行ってみました」という報告から、maさん、Rさん、hiさんのアドバイスそして「面接」「アルバイト」へとつながるやりとりは、読んでいてとても勉強になりました。
フォーラムの真髄を見た、という感じです。
そこでここではとくに印象に残ったやりとりと、思い浮かんだことを記すにとどめたいと思います。
maさんの日記に心の外の現象を書くようにするというアドバイスはとてもいいと思いましたし、続いてのPさんの日記も読み応えがありました。
そして話題になっていた「神経質は病気ではない」「健康人の真似」ということ。 「病気ではない」の意味は、しばしば誤解を受けるような「気の持ちよう」のなどというものではなく、そうしたときのつらさも見切った上で森田先生が指摘したのは、誰にでも起こることを排除しようとして注意を向ける結果、とらわれてしまうというあり方です。
だから振る舞いをまず「健康人の真似をする」ことで内面も健康になっていくのです。
そして、今月のやり取りの全体を通して、Pさんの「素直さ」が印象に残りました。 それは何も考えずに受け身でやるような「盲従」とは違う、アドバイスを聞いて「とりあえずやってみる」「身を任せてみる」という力です。森田療法では素直な人ほどよく治る、と考えます。
森田先生も「身体にいいから飲むべき」と考えていたときには飲めなかった牛乳が友達がおいしそうにのんでいるのに接しているうちに飲めるようになってしまったとか。
Pさんも、フォーラムをお読みになっているかたも、先輩たちのいいやりかただな、と思えることにはぜひ「あやかって」回復に結び付けてください。
(塩路 理恵子)
完治へとらわれずに '07.01
PTA活動へ行けてなによりですね。何人かからのアドヴァイスがありましたように、完治するためあるいは症状の有無にかかわらずPTA活動を行なっていくことがこれから大事になっていくでしょう。森田先生の言葉に、「不眠でも、赤面恐怖でも、なんでもこれを治そうと思う間は、どうしても治らぬ。治すことを断念し、治ることを忘れたら治る。これを私は『思想の矛盾』として説明してあることはみなさんご承知のとおりです。」とあります。症状を治そうとする事から離れ、PTAにはいろんな方がいて大変なこともあるでしょうけど、その中でお話の合う方を見つけたりしてはいかがでしょうか?またPTA活動時間が終わった後、PTAに出た人と色々なお話ができたりするかもしれませんよね。そうしていくうちにPTA参加が楽しくなってくることもあるでしょう。またPTAでの活動で悩みや困ったことがありましたら書き込みをされても良いと思います。
(舘野 歩)