不安神経症の部屋

「予期不安や発作のときの態度について〜”〜したい”の生まれるところ」  '16.12 

Oさんは、「予期不安や発作中の態度について」、「不安や発作は放っておいて、目の前のことに集中し時が経てば自然と消えていく」経験を何度もしても予期不安はなかなかなくならないことを書き込んでおられます。それについてMさんは「気分の悪いまま、こらえて働く」ことができ始めたら大きな一歩であり、「気分の悪いのは嫌なことだ」という事実をそのままに認められるようになると、不可能を可能にしようとする努力をやめることにつながるので、それだけで安楽なのだ、と森田先生の言葉を紹介しています。

何度流れることを経験していても、不安や発作は苦しいもの。「これがなかったらどんなにいいだろう」と願うのは、無理もない、切実な願いだと思います。一方で森田先生も、いつ発作が起こるのではないかと思いながら電車に乗っているときと、自宅の畳の上で大の字になっているときと同じ心境になろうというのは無理な注文だ、というような喩えを話されているように、不安のさなかに不快でない気分になろうとしても不可能なことでもあります。「不安や発作は苦しい、いやなものだ」という事実のままに、こらえながら動いていくことで「不安は変化し流れる」ことになります。

さらに、Mさんは「集中しようと努力しているエネルギーをOさんの「〜したい」という感覚に乗って手を出してみる方向にそそいでいけるといいのかもしれない」とアドバイスを寄せています。

ところで、「子供も一人遊びしているのに、急に相手しだしたり」とのこと。ところで、一人遊びしていたお子さんは、ママが相手をしてくれたとき、どのように反応するでしょうか。嬉しそうにママと遊び始めるのではないでしょうか。一人でも遊べるけれど、ママが来れば一緒に遊ぶ、そんな子供の動きこそが、「外界に即応する」「純な心」といえるでしょう。

自分の内側をみつめるだけではなかなか「〜したい」は見えてこないもの。「自分以外のもの」に触れた時に、自分の中に起こる「感じ」からこそ、「〜したい」は見えてくるのではないでしょうか。

だからこそ、「気分の悪いまま、こらえて働く」ことは大きな一歩であり、その動きに注意を向けることで、「〜したい」や外界に即応した次の動きにつながるといえるでしょう。
(塩路理恵子) 

「一人で抱え込まない」  '16.11 

お悩みを読ませていただきました。社会不安症と向き合いながら、知的障害のお子さんの育児に奮闘される様子は、さぞかし大変なこととお察しいたします。本当によく粘られていると思います。このフォーラムでは、森田療法的なアドバイスをすることが主目的ですが、Sさんの場合には視点を少し変えて、助言させていただければと思います。

まず社交不安症の治療については、現行の内服を継続し、不安を出来るだけ緩和するように努めてください。一方で、このように精神的に逼迫した状況では、食事や睡眠など基本的な点がおざなりになりかねません。特にコンビニエンスストアの食事などでは栄養が偏り、これが、案外精神状態を不安定にさせている要因の一つと言われています。そのため栄養と休息は、親子に共通の生活処方箋と思い、意識いただければと思います。また、緊張や焦りなどを心に抱えている時は、緊張のあまり体が冷える方に傾いてしまいます。ましてや寒暖差の激しい今年の冬を考えれば、冷え対策は心の冷えを軟化させる上でも忘れてはならない取り組みと考えます。

次に通院している病院に社会福祉士(ソーシャルワーカー)がおられましたら、是非、Sさんとお子様の社会支援についてご相談いただければと思います。お子様の愛の手帳などはすでに取得されていると思いますが、その他にも育児支援など様々な制度を活用いただければと思います。特に経済的な支援や負担軽減については、専門家でないと知りえないことが多々あります。今のSさんにとって大切なことは、一人で悩みを抱えない事です。そして具体的な道を示唆していただける相談者を持つことです。就労は最重要項目の一つですが、これにとらわれて、社会支援の活用を忘れない欲しいと思います。

このことだけで絶望的な気持ちがすぐに薄まる訳ではありません。しかし、悩みを共有し、具体的な対処方法や情報が得られることは、Sさんに何らかの安心と希望を与えることになります。そして、相談者とやり取りする際には、緊張しながら「為すべきを、為す」の心持ちで望んでいただければと思います。

大変な渦中に変わりありませんが、お子様とSさんにとって、次の展望が見つかる事を願っています。
(樋之口潤一郎)

「発病の誘因をきっかけに」  '16.10 

Cさん、パニック障害やうつの診断で長くご通院され大変辛そうですね。さらに適応障害とも言われさらに辛さが増しているのですね。そして日々一万歩歩いたり、ご自身の病気の治療についても調べてなんとかしようと頑張っている姿が浮かびます。

15年の間パニック障害、うつに加えて適応障害が発症しては八ヶ月休んでいるのですね。発病の誘因についてはあまりご自身的にはピンと来ない感じでしょうか。体験フォーラムですからあまり詳しく職場のことを書けなかった事情もありますでしょうか。

職場での役割や職種が変化したこととかありましたでしょうか。例えば管理職になったとか、営業から事務系あるいはその逆もあるでしょう。このような時、神経質性格の方が、「こうあらねばならぬ」「頑張らないと」との想いが強くなりすぎ、周りの人へ頼らず自分のみで頑張りすぎていることが多くあります。

森田は、「神経質の症状は欲望の過大から」と言っています。また、森田は治療について「一方にはその恐怖または苦痛に対する態度と、一方にはその自己が本来に具有する欲望の自然の発動をうながして、苦痛と欲望との調和の心境を会得させ、自己の現在の境遇、降りかかる運命に対して、絶対服従の心境を会得させることにある」と述べています。

ここで誤解してほしくないのは症状を我慢して仕事場にいることを推奨しているわけではないということです。周りの人へわからぬことは聞いたり、頼るところは頼ることが大事になってきます。

このアドヴァイス以前に職場自体が自分のやりたいことができていない感覚をお持ちですか?そうであれば、現状の仕事を変えるかどうか考えないといけないですね。森田は「まず自分自身の本性に立ち返ってみればよい。しばらく小理屈を離れて、自分自身の本質に立ち返ってみるがよい。これが自分の生の力である。もし自己本来活動欲のままに進んでいくならば、かつて悲観した素質も今ではどうでもよいことになる。すでにこのときには頭痛も煩悩も昔の夢のように思いだされるのである。これが神経質の治療である。」とアドヴァイスをしています。

体験フォーラムで情報少ない中、私なりにいくつか予想してアドヴァイスしました。実際とかけ離れていたらすみません。少しでもお役に立つよう祈っています。
(舘野歩)

「女性の生き方と森田療法」 '16.9 

Oさん、長らく不安障害で悩まれ軽い引きこもり状態でお辛そうですね。その中で「危機感を感じ」、「自立を目指す」と前向きな気持ちを感じさせる言葉が見受けられます。

ただ夫婦でご生活しているわけですから、精神的にも経済的にもいわゆる「揺るぎない自分」にならなくても良いとは思いますがいかがでしょうか?

森田療法の知恵は男性モデルであったとの指摘もありましたが、第32回日本森田療法学会では「女性と森田療法」のタイトルでシンポジウムが開かれました。その中で体験フォーラムでの回答者でもある久保田幹子先生が「女性の生き方と森田療法」のタイトルで発表しました。その内容をかいつまんで記載します。

男性と女性では存在様式が異なり、男性は「一人で立つ人」として自分を経験する対し、女性は「人間的な繋がりを重視し、関係性の中で自分を捉える傾向があります。つまり女性は個人の願望だけで無く、周囲の期待や認識との間で折り合いをつけることが重要になってきます。

また男性と違った女性特有の葛藤に直面すると指摘しています。第一点はどこに軸足を決めるかです。男性は結婚や子供という外的要因で生活が大きく変わることはないが、女性は生き方を選択する際に何かを諦める必要が生じます。例えば仕事中心になれば結婚や子育てが先送りになり、子育て中心の生き方を選択すれば仕事を一旦諦めることになりますよね。第二は、自己評価の物差しの問題です。女性は男性に比べて成果の評価の物差しが曖昧なことが多いですよね。例えば他者の評価や子育てなど。第三に変化への対応です。女性は夫の仕事、両親の老い、子供の成長など、予測外の出来事に起こる変化によって、自分の願望や周囲からの期待も変化しますよね。それだけにその都度自分を振り返り自分のよりどころを軌道修正する柔軟性が必要であると久保田先生は指摘しています。

森田は「自然に服従し、境遇に従順であれ」とし、事実はそのまま受け止め、周囲の境遇に応じて工夫をする必要性を述べています。Oさんの現在はどのようなライフサイクルでしょうか。上記のことを参考にしながら、「じれったさ」「ふがいなさ」といった感情とつきあえるようになっていくと良いですね。
(舘野歩)

「恐怖突入は壁を高くする?」 '16.8 

Mさんはようやく体調も安定し、部署異動で仕事もゆとりが出た頃に、無理をし過ぎて耳鳴り・難聴に加え、再び強い不安感と体調不良、うつに悩まされる日々になってしまったそうです。パニック発作や体調不良の恐怖から外出もままならず、電車に乗るにはどうしたらいいか、と書き込まれていました。同じ悩みを持つKさんとのやり取りなどから、自分だけではないと随分支えられている様子を拝見すると、こうした体験フォーラムの重要性を実感します。同じように悩み、同じように治療に向き合っている仲間がいるということは心強いものですね。

Mさんは、ご自身をモーレツ社員だったと書いておられますが、そうした真面目さや一生懸命努力する姿勢は、仕事、お母様のお世話、家事などをこなす上で大きな力になったと思います。しかし、体調や不安といったものに対しては、逆効果になってしまっているかもしれません。というのは、「頑張って電車に乗らなければ…、勇気を出して…チャレンジして…」と、自分を奮い立たせ、不安を克服しようとすることでかえって不安を強め、結果的に自分を追い詰めてしまうからです。

不安にとらわれる方々は、基本的には真面目で、「〜でなくてはならない」と自らに高い目標を掲げがちです。それは向上欲とも言えますが、そんなに全てをこなせる人はいないものです。Mさんは、治療にも一生懸命取り組もうと頑張りすぎていないでしょうか。

「耳鳴りに注意を集中して、わざと聞くようにしてみます」と書かれていますが、それではかえってとらわれてしまうのではないでしょうか。不快だし、気になるけれど、すぐに消すことは出来ないので、せめてそんな自分なりに少しでも相手の声に耳を傾けて聞いてみる…、注意を向けるのは耳鳴りではなく、相手の声、周りの音に対してです。また、行動についても『恐怖突入』と意気込むことで、逆に『万全にしてから』という思いを強くして、恐怖をつのらせてしまうのです。Mさんも「一歩踏み出す壁がさらに大きくなってしまったような気がする」と気づいておられますね。

頑張って努力することも大切なことですが、それでは上手くいかないこともあります。押してダメなら引いてみることです。そのまま漂うことで、身体も自然に整ってくるかもしれません。自分がやってみたいこと、今の自分なりに出来ることを少しずつ積み重ねていきましょう。強い自分になる必要はないのです。頑張るのではなく、かわす経験を身につけた時、恐怖突入!と思っていた扉は、あっさりくぐっているはずです。今の自分に逆らわないことが、一番の近道だと思います。
(久保田 幹子)

「一人で悩まず皆で考えていく」 '16.7 

44歳でお寺の副住職、これだけ聞いただけでも周囲に頼られてしまいそうですね。地域の仕事など今も大変なことと推測いたします。

Iさんは元来体の不調に敏感で自分はガンではないかと思い落ち込まれたと書かれていました。この状態は他の患者さんにも非常によくみられるもので「心気症」といいます。ただ森田療法ではこういった悩みも自然なものと捉えます。この悩みの裏には「健康でありたい欲求」が存在します。健康でありたいからこそ悩むのです。

6月からは行事の企画などのことで不眠症になられたとのことですね。不眠が続くと体力を奪われます。薬の依存が心配とのことでしたが、眠れない時は適切に薬物療法を受けたほうがよいでしょう。一般的に睡眠薬には依存性があります。ただ専門の医師の指導のもと適切な量を使って頂ければ長期的に服用しても問題ありません。薬を使わず何日も不眠で悩むよりはずっとよいかと思います。Iさんの処方されている薬を拝見しますと、最小限の量だと思います。

今また「仕事を抱え込むとなかなか頭から離れなくなる」と書かれていましたが、これはIさんの責任感が強いからこその悩みですね。責任をもって物事をやり通すことは大切ですが、胃腸の調子が悪いなど体調に影響が出ているようでしたら、他の人にも分担して仕事をお願いするなどしてみましょう。責任感が強い方の中には仕事が頼めず、「何が何でも自分がやらなければ」と考えている方がいます。ただ一人で仕事を抱え込みIさんがダウンしてしまうより、人に頼みながら皆で継続的に仕事をこなしていく方が周囲の人にとってもよいのです。

さらに頼むまでいかなくても仕事のことを他人に相談していくのも一つの手段です。悩みを他人に打ち明ければ、自分の考えとは違うアドバイスをしてくれることがあります。地域の青少年指導員の仕事の悩みなどは同じ地域の人に相談してみれば、良い作戦が生まれるかもしれません。人間一人だと考えが狭小化しがちです。他の人にも悩みを相談しながら、皆で解決法を練っていってください。
(石山 菜奈子)

「パニックから続く毎日の動悸」  '16.6 

Bさんは2年半前にパニック発作を起こして以来、ずっと動悸や胸の圧迫感に悩まされてきたとのことです。もともとのパニックはお父様の末期がんとお母様のうつ病が同時に起きて、すべてを抱え込まざるを得なかったためにストレスが蓄積されたせいではないかと考えられているとのこと。お父さんのがん宣告を受けて、お母さんがうつ病になられたのでしょうか。いずれにしろ、大事なご両親がいっぺんに具合が悪くなられたとしたら、本当に大変なことでしたね。ご自身もてんかんを抱えられていて、身体の心配もあるでしょうし、これからの生活がどうなっていくのかなど、色々ご不安もあるのではないでしょうか。動揺し、ドキドキしてくるのも当然な状況とも言えそうです。「疲れてしまいました」という言葉にとても実感がこもっているように感じられました。

症状については、パニック発作自体は最初の2回だけで、あとは安静時にもいつも動悸がしているとのこと。安静時の動悸というのは予期不安のようなものと考えてもいいかもしれませんが、ご本人の感覚としてはいかがですか?面接で採用されても断ってしまうと書かれていましたが、動悸があると、働いているときにどんなことが起こってしまいそうで怖いのでしょうか?もしかしたら〜が起こりそう、人に迷惑をかけそうという「もしかしたら」の不安でしょうか。それとも、「実際」に倒れたりしたことがあって、無理という感じなのでしょうか。 予期不安が強いと、ついつい無理をしないようにと思って予防線を張りがちですから、そこだけ要注意!常に自分が実際に動いてみての自分の「身体の実感」を頼りに、ここまではできるが、これ以上は無理といった判断をしていってください。そうやって予防線を張りすぎず、今の自分の身体の状態をつかみ動いていくことは自分の自信にもつながりますし、動悸を和らげる生活にも繋がっていきます。

また、家にじっとしていられず、よく外出されているとも書かれていましたが、これはどんな感じでしょう。外出されると楽しかったり、身体も楽だったりしますか?それとも、家にいると落ち着かず、そのために外に出た方がましという感じでしょうか? 外が楽しいというより、外に出た方がましという感じが強いとしたら、安静時の動悸も家にじっとしていられないのも、根源は同じである可能性が高いかもしれませんね。現在そしてこれからの生活に対する不安や心もとなさ、それに対して早く何とかしなくてはいけないという焦りがその根源にあるということはないでしょうか? Bさんの感じている「疲れ」が何とかして早く解決しなくてはという焦りによって強められている可能性はないかどうか、そういった点も考えてみてください。こういう辛いときこそ、不安・恐さの中身を具体的に考えていくことが大切、と森田先生も繰り返し患者さんにおっしゃっています。Bさんが信頼できる方が周りにいらしたら、その人に話しながら、整理していくのもよいかもしれませんね。
(今村祐子) 

「強い不安や恐怖」 '16.5 

Nさんは、4年前の飲酒時に強烈な身体の症状が出現したために病院へ行ったものの、異常なしと言われ、その後「妊娠中なので薬も飲めず辛い日々を送っていた」とのことです。脈が気になり死ぬのではないか、頭が痛いと脳腫瘍ではないかと恐怖にとらわれて苦しんでいた時期もあったようです。 

強い不安とともにいろいろな症状(動機・めまい・制御不能な恐怖など)が生じるパニック障害は、忙しかったり大変な時期の前後に発症する方が多くいます。万全にしておきたい、不安定要素をなくしておきたいという思いが強まる時期だからでしょう。例えば妊娠中は(元気な赤ちゃんを無事に産みたい、ならば自らが健康でなければ)と考えて、過度に体調が気になってしまう時期だと言えます。

そんな時期に身体の不快感を感じると、身体の調子に敏感になり少しの変化にも過剰に反応してしまい、(例えば心臓病を心配し始めるとそのために動悸が速くなりさらには心臓病だとの思いを強くする)精神交互作用が働き、恐怖・不安が増大します。(しかし症状は急激に強まった分すぐに薄れていくのも特徴です)。発作が生じていない状態においては、また発作が生じるのではないかと予期不安が生じたりします。 

不安は排除しようとするほど(逆に追いかけてしまうことになり)かえって強く感じてしまうものです。そこで、不安があっても排除しようとせずそのままにしておいて、目の前の現実を優先させる、つまり生活のために行動し出来ることから手をつけていきます。原因を探るのではなく、自分の想像で不安を増大させることなく、不安ありながらも行動していく姿勢を身につけていきましょう。 
(矢野勝治)

「逃避行動について」 '16.4 

Sさんは15年前からパニック障害を発症され、その間、慢性的なうつを繰り返しつつも、仕事をされていましたが、職場の責任が増したことがきっかけとなって、パニック障害を再発されて悩んでおられます。また、理想と現実の差に葛藤し、突発的に仕事を休む逃避行動があると指摘をされているとのことです。

Sさんは責任が増えたことで、仕事を任されたからには「ちゃんとやらなくてはならない」という構えが強くなっているのではないでしょうか。また、理想と現実の差に葛藤されているということですが、「こうでなくてはならない」という構えを森田療法では「かくあるべし」といいます。例えば「試験で100点をとりたい」という気持ちから勉強を頑張ることはとても良いことだと思いますが、「試験で100点をとらなくてはならない」と自分で思ったり、他者から言われたりしたら、かなりプレッシャーになり、試験から逃げたくなります。Sさんが指摘された逃避行動というのは、こんな感じではないでしょうか。

元々は「100点をとりたい」試験のはずなのに、試験を受けなければ0点です。100点はとれなくても、おそらく試験を受ければ、0点ということはないでしょう。それと同じように、理想通りに仕事が進まなくても、仕事を休まなければ0点ということもないでしょう。そう考えると休むこと、逃避行動はとてももったいないことだと思います。是非とも粘って職場に行って、やれることに手をつけてみましょう。10点でも20点でもとれたら、それだけでも行った価値があります。もしかしたら、予想外のことが起きて、120点とれるかもしれません。Sさん、是非とも粘ってみてくださいね。
(谷井一夫)

「素直な心とは」 '16.3 

Cさん、素敵な短歌を拝見させていただきました。さらに素直な心に対するCさんの発見についても読ませていただきました。このような視点は、かなりの大発見であると感じます。

私は、神経症の本質が小心を否定し絶えず虚勢を張るところから来るものだと考えています。今の世の中はグローバリゼーションという価値基準から、外交的な側面が尊ばれる傾向があり、小心があたかも人間の成長を阻むものという考えが浸透しているように感じます。しかし、この考え方自体が、神経症を誘発する温床であると考えます。もしかすると、近年うつ病患者さんの増加は、このような社会的な不文律の蔓延から来ているのではないかとすら思っています。

けれども、小心は本当に悪いものなのでしょうか? 勿論、私は違うと思っています。怖くい、嫌だ、悲しい、そして腹立たしいなどの感情は辛いものですが、そこにはそう感じさせる理由が必ずあります。その感情を素直に感じることは、そう感じた自身の考えや価値観を尊重することにも繋がると思います。その上で、どういう行動をとって行くのかが、自身の感情をより良く生かす上で大切になります。例えば、職場で苦手な同僚がいて、日頃から「嫌だ」と感じていたとします。しかし、仕事ですから関わらなくてはいけません。そうだとしたら、仕事では嫌々でも関わりながら実務をこなす代わりに、それ以外の関わりはむしろ距離をとって対応すればよいのだと思います。結果的に「嫌だ」という感情を建設的に生かした訳です。けれども、「嫌だ」という感情を否定したら、「自分は嫌悪感を抱いてはいけない」という考えに陥り、嫌いなのに相手に合わせ続けるという矛盾した状態に陥りかねません。

このような点を踏まえて、Cさんには自身の感情を素直に認めながら、その感情を建設的かつ現実的な行動に反映できるように奮闘いただければと思います。さらに素直な感情とは、なにも不快な感情だけを表している訳ではありません。喜び、感動、心地よいなどの快感情に対しても素直であってほしいと思います。というのも、神経症の患者さんは快感情ですら、「そこまで思っては、他者の手前いけないことだ」と感じる傾向があるからです。
Cさんにとって、更なる生活が発展されることを心より願っております。

「不安にも 色んな意味が ありにけり
意味を生かして 道は開けり」

(樋之口潤一郎)

「パニック発作とパニック障害の違い」 '16.2 

Sさん、パニック発作でSSRIを開始され断薬され、なんとか漢方で過ごされているのですね。
日頃他院でパニック障害の診断を受けSSRIを飲んでいるが不全感を持ち当院へいらっしゃる方は多数いらっしゃいます。パニック発作が一回起きただけではパニック障害とは言いません。
米国の診断基準DSM5にも、パニック発作の具体的な症状だけでなく、発作のうち少なくとも一つは

(1)パニック発作またはその結果についての持続的な懸念か心配、あるいは
(2)不慣れな状況を避けるといったことが一ヵ月以上持続すること

と記されています。つまりパニック発作が問題ではなく、パニック発作へ注意が集中してそのことへ「とらわれ」、行動が狭小化してしまうことが問題なのです。

森田療法の知恵は発作そのものというよりも、発作への予期不安やそれに関連して狭小化した行動に役立ちます。「癌ではないか」「心臓が止まるのではないか」と思う裏側には「健康でありたい」欲求(生の欲望)が潜んでいると森田療法では理解します。「気力を失いかけ」が気になりますが、うつでなく不安障害の範囲であれば、不安を抱えつつ、不安の裏側の欲求に従って動いていくことが大事になってきます。不安ながらも「やれた」「動けた」といった体験がまた次の行動への後押しになります。このあたりの実際の治っていく過程はこの体験フォーラムや各地で行われている発見会活動に参加して回復された皆さんの生の声を聴くのが良いかと思います。

抗不安薬の頓服についてです。一般的にパニック障害治療の急性期はきちんと定時に服薬した方が良いです。なぜなら、発作が起きた時に頓服を飲むと言う事自体、日々「症状測定器」になってしまうからです。ある程度パニック発作の予期不安と付き合えるようになり、建設的な行動が広がってパニック発作への「とらわれ」がゆるんでから頓服にしていった方が良いでしょう。
Sさん、以上のことを参考にパニック障害から回復していくことを祈っています。
(舘野歩)

「不安な時こそ、周囲の情報に目を配り、観察してみる」 '16.1 

Aさんは乗り物恐怖はありつつも何とか生活出来ていたものが、息子さんやご主人の病気を心配しているうちに、ご自身がうつ状態・また一人での外出が困難な状態に陥ってしまったと書かれていました。大切な家族の病気はとても不安で心配だったことでしょう。Aさんが外出やそれに伴う不安に翻弄されるようになってしまったのは、おそらく何とか不安や心配事を解決したいと考え、逆にそれのみに注意が集中するようになってしまったためでしょう。折角お子さんは元気に登校されるようになったのに、今の状態のままでは外出もままならず、辛い毎日ですね。

外出恐怖、乗り物恐怖などは、Aさんも「パニックが起きそう・・」と書かれているように、大抵の場合は本当のパニック(あるいは体調不良)が起きるというよりも、「〜になりそう」といった予期不安が恐怖感を強めています。つまり、実際に具合が悪くなるのではなく、具合が悪くなりそう・・・と心配することで、逆に不安や恐怖心をあおってしまっているわけです。とはいえ、そうした考えを頭から取り去ろう、あるいは不安を感じないようにしようとしても、ますますそれにとらわれて、がんじがらめになってしまいます。

他の方々もアドバイスされているように、結局は不安はあってもそのまま一歩踏み出すことが大事なのですが、そこで「スーパーに行かなければならない」「外出しなければならない」とあまり力まないことが必要です。今のAさんは、一人では何も出来ないダメな自分・・・と考え、自分の力を疑い、自信を失ってしまっているのではないでしょうか?そんな状態で、自分のお尻を一生懸命たたいて外出しようとしても、かえってビクビクしてしまうものです。

少なくとも家事は出来ているということですから、まずは家の中で出来ることを充実させてみましょう。家事だけでなく、自分の好きなこと、関心のあることでも良いのです。そして、その日に出来たことを、どんな小さなことでも良いのでメモなどに書き留めてみたらどうでしょうか。以前は乗り物恐怖があっても何とか生活出来ていたわけですから、その時の生活の仕方などを思い出してみるのも良いでしょう。スーパーのチラシやセール情報をチェックしてみるのも良いと思います。この品物が欲しいな、こんな料理を作ってみたいな・・・と思ったら、その気持ちを足がかりにして、とりあえず出来るところまで一歩踏み出してみる・・・。その小さな一歩の積み重ねで良いのです。

自分の不安だけをチェックしてしまっている今の現状を脱出するためにも、周囲の情報に目を配り、そこでふと湧いてくる自分の気持ちの変化を足がかりにしていきましょう。
不安は感じていても良いのです。不安と闘うのではなく、逆に「不安は絶対出てくるもの、その中で何か一つでも手に入れれば十分(家の中でも、スーパーでも)」くらいの気持ちで、日々を積み重ねていくうちに、少しずつ恐怖心が薄らいでいくと思います。
(久保田幹子)