不安神経症の部屋

「『頼る』ということ」 '21.12 

こんにちは、Yさん、文面を拝見しました。14歳から30歳までの間、内服を継続しながら受験を乗り越え、社会人として立派にご活躍されていること、このことは、内服という杖を突いたかもしれませんが、自分の足で歩いたことに他なりません。この事実は是非、Yさんの誇りにしてください。中々出来る事ではありません。

 ところで、Yさんは14歳~30歳までの間、様々な人生経験の中でどのような事を学ばれたでしょうか? というのも、その学びを振り返ることはとても意義深いと思ったからです。文面からの推察に留まってしまいますが、若い頃のYさんは、「どんな物事でも一人できちんと取り組まねばならない」との思いを誰よりも強く持っていたのではないでしょうか? だからこそ、向精神薬に頼ることは弱者の極みであると劣等感を募らせたのではないかと感じました。 

 しかし、経験を重ねる中で、Yさんは徐々に色々なものに頼りながらしっかり自分の足で歩くことを身に着けて行かれたように思います。それは何も向精神薬だけではありません。例えば、一人で対処することに困難を覚えたら他者に助言を求めたりするなど、誰かに頼ることを恥とせず、むしろ大切なことと捉え、厭わなくなったのではないでしょうか。 

 世の中では、何でも一人で決断し何でも一人で対処することを、成長の証と捉える風潮があります。しかし、私は、それは間違いだと思います。自分の限界を見極め、限界を超えた部分で色々なものに頼ること、その頼り方を学んでいくことこそが、人としての成長に繋がるのだと考えています。そういう観点からみると、我々は色々なものに頼り、そしてそれらに助けられて生きているのだということを実感すると思います。 

 そして、是非Yさんにもう一つ振り返ってもらいたいことがあります。それは、向精神薬を終了する過程で、内服に代わってどのような体験が、症状の回復に役立ったかということです。それは一つではないと思います。森田療法を学ばれた患者さんは、「不安があるのは仕方ない、症状の回復は時間に委ね、別なことをして凌ごう」などの体験を会得していることが多いと感じています。これもまた、先程の文脈に重ねれば、時間に頼るということなのでしょう。 

 Yさんが、色々なものに頼りながら、逞しく生きていかれることを心より楽しみにしています。是非頑張ってください。 
(樋之口潤一郎) 

「焦りについて」 '21.11 

Sさんは「現在週二回ほどの早朝短時間のバイトをしていますが、少し頭が痛いだけでもこのまま体調が悪くなってしまって発作が起きたらどうしようと思ってしまい、お休みが増えてます。それなのに新しい仕事を探してもっとお金を稼がなきゃと矛盾のような気持ちと焦りがあり、毎日求人情報を見てそれでも実際に働く自信はない…考えと行動がまとまらず毎日が不安です。」と書き込まれています。 

 苦しい状況ですね。体調が悪くなるのが不安で休んでしまうことと新しい仕事を探してと焦ってしまう気持ち、矛盾しているようですがどちらもSさんの現在の心の事実なのだと思います。 

 不安でお休みしてしまう状況に葛藤や情けなさを感じていて、なんとかしなければ、と思うからこそ焦りの気持ちが生じるのではないでしょうか。そのように、焦りは、「なんとかしたい」「頑張りたい」と思えばこそ生じる気持でもあります。 

 一方で、「なんとかしたい」が「なんとかしなければダメだ」という「かくあるべし」になると、そこに悪循環が生じて身動きが取れなくなってしまいます。がんじがらめになるときには、「他の人はちゃんとやっている。自分もちゃんとしなければ」と他の人と比べ過ぎてしまう気持ちが働いていることも多いです。(そしてこういうときは「普通」はとても立派に見えるものです。) 

 あるいは、最近の社会の状況では、経済的なことや先行きのことに不安をかき立てるような報道も多く、そうしたものに触れることでも焦りが高まっているかもしれません。また、焦るほどに一足飛びに解決を得ようとしてしまうこともままあります。そうするとそこにまた現実とのギャップ、やり方の無理が生じて焦りの悪循環に陥ってしまいます。 

 そこで、焦る気持ち自体を否定するのではなく、焦る気持ちをそのまま持ちながらも、行動は一歩ずつ行っていきましょう。求人情報を見るにしても、見る曜日、見る時間を決めたり、どういう条件であればできそうでどういう条件は難しいのか、書き出して整理してみるなども方法の一つです。「求人情報を見ない日」を作ることも「一拍置く」ことにつながります。 
(塩路理恵子) 

「アルコール依存症に対する森田療法の応用」 '21.10 

Hさんこんにちは。断酒を継続されていて何よりです。しかし日中の目標が定まらずにおられるのですね。断酒という言葉だけで判断して申し訳ありません。ただこの体験フォーラムでアルコール依存症のことはあまり取り上げられていないので取り上げることにしました。 

アルコール依存症には大きく分けて身体的依存と精神的依存があります。身体的依存とは大量にお酒を飲んでやめると、2、3日後に不眠、不安感、発汗といった自律神経症状が出現します。虫が見えるといった幻視がでることもあります。しかしここで精神科の先生が処方するお薬を味方につけて、断酒を乗り切ることが大事です。通常一週間くらいすれば落ち着いてきます。

アルコール依存症の治療の原則は断酒です。抗酒剤(飲酒をすると気持ち悪くなる薬)を服薬して断酒を継続することが大事になってきます。またここでAA(断酒会)といった自助グループに出たり、依存症専門の治療機関では集団の認知行動療法を併用することが大事です。 

最近はいきなり断酒では治療が続かない場合や、身体依存がなく比較的軽症の方には節酒というアプローチも出てきています。その際には飲酒欲求を和らげるお薬(一般名ナルメフェン:商品名セリンクロ)を使用し、医師と患者が話し合ってできる範囲の摂取量を決めて治療を進めていきます。

以上が一般的なアルコール依存症の治療です。ここで皆さん、アルコール依存症の治療が「酒を飲む、飲まない」に終始していると思いませんか?それは神経症と違い、アルコール依存は身体依存があるので症状を不問(問わない)にはできないからです。ただある程度断酒が進めば、日中どのように過ごすか、いかに建設的な行動をするかという森田療法的観点が大事になってくると思います。

神経症とアルコール依存症の治療過程を以下に示しました。 

神経症:
  (治療初期)症状への「とらわれ」からの脱却
  (治療中期)性格の見直し
  (治療後期)生き方の見直し

 アルコール依存症:   (治療初期)断酒、否認の克服
  (治療中期)再飲酒への対処
  (治療後期)再飲酒の危機を乗り越える、性格の見直し

ご参考にして頂けると幸いです。
(舘野歩) 

「健康不安との付き合い方」 '21.9 

Gさん、こんにちは。Gさんは、健康不安があり、不安にとらわれて日々の生活が楽しめずに困っているのですね。かかりつけの先生から森田療法の本を勧められたようですので、森田療法における健康不安の捉え方とその付き合い方の基本について書かせて頂きます。

世の中には健康を脅かすものがたくさんありますね。今はコロナ感染症が一番でしょうか。タバコの副流煙、食品添加物、紫外線、大気汚染などによる健康被害もあります。もちろん、病気全般も脅威です。私達はこれらの脅威から身を守るために、いろいろ工夫をして生きています。コロナ感染症でしたら、マスク、手洗い、三密回避、ワクチン接種などが自分達にできることですね。

私の勝手な想像ですが、Gさんは日頃これらのことにたいへん気を配られているのではないかと思います。とても大切なことです。ただ気を配りすぎて緊張や不安で疲弊したり、日々の生活に支障をきたしていたりするようであれば、なにかしらの対策が必要でしょう。

そこで森田療法の出番です。森田療法では、健康不安の根底には死の恐怖があり、その裏には人間の本性である生存欲があると捉えました。健康に長生きしたい、という気持ちは自然なものですね。もし健康不安がまったくない人でしたら、病気の症状があるのに病院に行かず手遅れになったり、不摂生をして病気になったり、それは困りものです。健康不安それ自体はけして悪いものではなく、ある程度必要なものだと思います。

健康不安に翻弄されず、上手に付き合うポイントを考えていきましょう。まず一つ目は、必要な健康管理を行うことです。すみません、当たり前ですね。適度な睡眠、暴飲暴食を避ける、定期健康診断を受けるなどです。Gさんは、この点はしっかり行なっているのではないかと思います。

二つ目は、適度な健康管理を行なっているのにも関わらず健康不安が強い時は、その不安はそのままにしておくことです。不安を解消しようとスマートフォンで健康に関するワードを検索すると、病気につながる文章がたくさん見つかるものです。ネット検索をすればするほど、不安が不安を呼びます。そして何よりも時間が奪われ、本来やりたいことができなくなってしまうのが一番の問題ではないでしょうか。また、病気不安になってはいけないと思うことも、不安を助長しますので、不安になるのは健康でいたいから、と発想を変えて、不安を敵視しないようにすることも大切です。

三つ目は、不安を抱えながら目的本位の行動をするということです。ネット検索や病院受診を繰り返すのではなく、目の前の生活を大切にして、やりたいことに手を出すことです。そこで充実感が得られれば、自然と健康不安は軽くなるものです。

健康不安を生かし、限られた時間を大切に、おっかなびっくりでも人生を楽しめるようになることを願っています。
(鈴木優一) 

「死は恐れざるを得ず」 '21.8 

Nさんはパニック発作を経験し、最近は予期不安によって不安が増していることに悩んでいらっしゃるとのことでした。幼少期から死への恐怖が強かったことも影響しているのではないかと書き込まれています。

パニック発作は、このまま呼吸が止まってしまうのではないか・・などと、“死”を連想させる恐怖を伴うため、どうしても同じ恐怖を味わいたくないと考えて身構えてしまいますね。それは致し方ないことと思います。ただ、そうした防御の姿勢が、かえって身体の些細な変化への過敏性を高めてしまい、逆に不安をつのらせてしまうのも、また事実なのです。

こうした死の恐怖について、森田先生は次のように述べています。
「私にとって死ということは、いかなる場合、いかなる条件にも、常に必ず絶対的に恐ろしいものである。~(中略)~ 私は少年時代から四十歳頃までは、死を恐れないように思う工夫をずいぶんやってきたけれども、“死は恐れざるを得ず”ということを明らかに知って後はそのような無駄骨折りをやめてしまったのであります。」

さらに「死を恐れるのは生きたいためである」「生きる欲望のないものが、どうして死を恐れたりする必要があるだろうか」とも述べ、“欲望をあきらめることはできぬ”“死は恐れざるを得ず”の二つの公式が自覚から得た動かすべからざる事実であるとまとめています。

そう考えると、Nさんの場合も、死の恐怖は、生きることへの欲求が強い証と言えるのではないでしょうか。それだけに、パニック発作の恐怖や不安を何とか無くしたいと必死になってしまうのでしょう。

では少し視点を変えてみましょう。Nさんは自己への理想が高すぎる自覚があると書かれていますが、具体的にどんな自分でありたいと思っているのでしょうか。その中で、実現可能なことはどんなことがありそうでしょう?不安に慄いていても、時間は同じように過ぎていってしまいます。私達の人生には残念ながら限りがあります。時間を無駄にしないためにも、無くせない恐怖と戦うのではなく、ご自身が求める生活に少しでも近づくような「何か」に手を出すことが大事でしょう。

理想通りの自分、理想通りの親、理想通りの~と求めれば、どうしても足りないところに目が向いてしまいます。より良い人生にしたいからこそ、どうにもならない事実はそのままに、自分なりに出来ることを探ってみることが、今の苦悩を和らげることに繋がると思います。怖いものは怖いし、苦手なものは苦手で良いのです。苦手なものを前にしてドキドキするのは当たり前のことです。そのドキドキを、パニック発作のドキドキと勘違いしないようにしましょう。苦手なんだから、ドキドキしたり不安は感じるものなのです。

Rさんも同じように不安・違和感・罪悪感に悩んでいますが、そう感じる自分を否定するのではなく、本当はどんな生活がしたいのか?と自分に問いかけ、「過去」よりも「今」「これから」に目を向けながら、その実現のために力を注いで頂ければと思います。
(久保田幹子) 

「自然な心と身体の回復を大切に」 '21.7 

こんにちはTさん。流産を経験されたのですね。その後1か月程経った頃からパニック発作が出るようになり、最近では睡眠時に発作が出ることが続いたため、睡眠時の恐怖感が強くなっているとのこと。お辛いですね。

まずはTさん、今は身体を休めることはできていますでしょうか。出血も続いてらっしゃるようですから、身体がまだ回復しきっていないのかなと想像します。女性の身体は、妊娠状態になると大きく変化するものですし、流産をされると、少なからず負担がかかります。身体だけではなく、心も同じです。そうした心身の変化が色々な形で影響して、今回のパニック発作が生じたのかもしれませんね。

さて、Tさんはこちらのフォーラムの記事を読まれたり、他の方とのコメントのやりとりを通して、とても良い気づきをされていますね。「焦らず今できることに淡々と取り組む」「やり過ごせた時の達成感を大切にする」「そのうちに寝られるだろうと考えてみる」というようなことが書かれていて、Tさんが柔軟に新しい視点を取り入れられていることが良く分かります。すばらしいですね。Tさんも気づいてらっしゃるように、私たちは本来、自然に回復する力をもっています。その力を発揮するためには、今は焦らずに心身を休めて、出来ること・出来ていることに目を向けていくことが大切ですよね。

私からは、心身の回復のために、Tさんの気づきを後押しするポイントをお伝えできればと思っています。まず大事なことの一つは、辛い時には、薬を飲むことを自分に許してあげることです。Tさんは不妊治療を受けてらっしゃるようですから、薬を飲むことに抵抗を感じるのは当たり前ですね。それでも、薬を飲まないで我慢していると、かえって症状が重くなってしまう場合もあります。

Tさんが書かれている「まずは薬も味方につけて、体調を戻すことを大切にしようと思う」というお気持ちをどうぞ大切にされてください。不思議なことですが、私がお会いした方の中に、一旦不妊治療への力を緩めて自分の回復に目を向けた時に妊娠した、という方が何人かいらっしゃいました。遠回りかと思ったら、かえってそうでもなかった、ということもあるものですね。

それからもう一つは、身体のこと(パニック発作を経験すると、「また発作がくるのでは」と不安になるものです)ばかりに意識を向けずに、ささやかな日々の生活に目を向けてみることです。そういった意味でも、Tさんが実践されている日記をつけることはとても良いと思います。日記を通して、日常のことに気づくきっかけが得られることは多いですものね。

Tさんは、とても豊かな感性を持たれている方だと思います。これからもどうぞ、Tさんの心と身体を大切に、一日一日を過ごされてくださいね。
(金子咲) 

「久しぶりの発作!でもこれも乗り越えられる」 '21.6 

Aさんは3人目のお子さんの出産2か月前に久しぶりの大きな発作が起き、その後不安な日々が続いているとのことです。

4時間以上も発作が落ち着かなかったのは苦しかったですね。もうこんな思いはしたくないと萎縮してしまったり、予期不安が強まるのも無理はないと思います。2人目のお子さんの出産前後安定しておられたなか、今回のお子さんの妊娠中に大きな発作が起きたことは特にショックが大きかったかもしれないですね。自分なりに工夫してパニック発作がなくなっていた後に発作を経験すると一回目の発作よりも打撃が大きく、ショックを受けて自信を喪失してしまう方がいらっしゃいます。発作は、自分がしている無理を身体が教えてくれる「身体からのサイン」かもしれません。出産2か月前というのはお仕事をされている方ならそろそろ産休に入られるころですし、母体への負担も増してきて、身体的・精神的にも疲れがたまってきていたということはなかったでしょうか?

まずはいろいろあった中でも3人目のお子さんを無事生むことができたことについて自分をよくねぎらいましょう。よく頑張りましたね。今必要なのは、第一に産後の身体の回復です。現在は、不安感から身体も心も休みきれていなさそうです。「回復してきたらまたできることをするからね」と自らに言い聞かせてまずは休みましょう。そして、第二に少し余力が出てきたら、自分は何が不安なのかを良く見つめてみましょう。不安な状態ですと何ができなさそうで心配なのでしょうか。不安の症状がなかったら、どんな生活を送りたいですか?深く深呼吸できるようになり、身体も休息が取れてきたら、第二で浮かんできた自分のやりたいこと・やるべきことに少しずつ手を出していきましょう。焦らず一つずつです。

8年付き合われているともう嫌になっているかもしれませんが、久しぶりの発作はまた自分を知り、自分がよりよく生きていく方法を知るチャンスとも言えます。今回の発作が起きたころ、発作以外に自分がアップアップ状態になっていることを教えてくれるような身体や気持ちのサインはなかったでしょうか?自分の仕事量やその時の身体のサインを知り、自分の身体のケアの仕方を再度学んでいくこと、そして自分でいろいろ引き受けてやってしまう頑張り屋さんの場合には、他の人に振れる仕事はないか分担と分散を考えていくことが大切です。

これまでいろいろと身体の症状や不安感に見舞われながらも、やってきたAさんはかなりの頑張り屋さんなのだと思います。産前産後は自分のキャパシティが少なくなっているので、今できないことで自分を責めたり、卑下しないようにしてください。自分の行動を振り返る中で、もし自分が家の中や外の仕事をたくさん引き受けてしまう傾向がありそうだったら、どんな気持ちからその仕事や役割を引き受けてしまうのか、どうして人に振りにくいのかを考えてみてください。良かれと思っての行動が結果として、自分の負担になっていることがあるかもしれません。
(矢野勝治) 

「欲求が大きければ大きいほど、不安も大きくなるもの」 '21.5 

Gさんは40歳の時にパニック発作を発症して以来、予期不安に苦しんでいましたが、なんとか克服されてきました。1年程前から会社の代表取締役になられたことで、今後、仕事を務めることができるかという予期不安や死の恐怖が強くなっていらっしゃいます。現在は、日々自分でできることを疎かにしない、できることからは逃げない、という態度で生活を維持されています。その中で、無事に任期を全うしたい、会社の業績を少しでも良くしたい、というお気持ちももっていらっしゃいます。

Gさんはパニック発作の恐怖の中、10年以上お仕事などを頑張ってこられたのですね。とても素晴らしいと思います。その努力があったからこそ、現在の立場にもつながっていらっしゃるのだと思います。取締役になられたことで、これから先、仕事を全うできるのか、という不安が強くなっていらっしゃいますが、それは、Gさんの「会社に貢献したい」という生の欲望の裏返しであるともいえるでしょう。その欲求が大きければ大きいほど、不安も大きくなっていきますね。

ただ、Gさんも今までの経験からもご存知だと思いますが、この不安だけをどうにかなくそうとしても、とらわれて、ますます不安は大きくなってしまいます。そうであるならば、不安は不安のままに、今までGさんが「日々自分でできることを疎かにしない、できることからは逃げない」とやってこられたように、本来の欲求に基づいて行動をしていくことが大切だと思います。

先々の不安は「~かもしれない」ことで、今の「気分」ですが、今までGさんがやってこられたことはまぎれもない「事実」です。事実は疑いようのない真実です。今まで事実を積み上げてこられたこと、忘れないでください。今まで頑張ってこられたGさんであれば、きっと職務を全うされると思います。応援しています。
(谷井一夫) 

「離脱症状からの回復について」 '21.4 

こんにちは、Iさん。現在、Iさんはレクサプロの断薬症状について悩まれているようですね。正直、向精神薬の効能に関する論文は山ほどあるのですが、減薬に関する論文は殆ど見当たりません。むしろインターネットなどで患者さん達がブログなどで、自分たちの減薬体験を綴っている方が多いと思います。私も当初、断薬症状はそこまで多くないと高を括っていました。しかし、蓋を開けてみれば予想以上に多いことに驚かされています。

離脱症状とは、内服を急激に中断することで、それまで薬物が脳内にあることで均衡を保っていた状態が一時的に崩れ、様々な自律神経症状を呈することを意味します。症状はレクサプロのようなSSRI(セロトニン再取り込み阻害剤)の場合だと、眩暈、頭痛、そして巷で言われるようなシャンビリという耳鳴りや皮膚の知覚過敏などが多いと思います。これは、当事者にとって大変つらい症状です。

これに対し、私は減薬を希望する患者さん達に以下のような治療法を試みています。まず減薬の仕方です。学術論文では二か月程度を目安に薬剤を漸減し中止することを推奨していますが、実際は1〜2年程度、人によってはもっと時間を掛かて、減薬するべきと、私は考えています。拙速な減薬は結局、離脱症状に振り回されるだけで、良好な経過を取らないと思っているからです。レクサプロの場合ではれば、0.75錠への減薬を行った後に、半錠、0.25錠へと減薬を2〜3カ月おきに進めていきます。最後、中止する際には、0.25錠を離脱症状が辛い時だけ内服することを保障しながら進めていきます。

減薬に対しては上記のように進めていく訳ですが、順調に進む方とそうでない方には、幾つかの違いがあります。その場合、体調、体力に気を配っているか否かが大きく断薬症状の程度を左右していると、私は感じています。つまり、体力がある方だと、環境の変化に対して自律神経が極端な反応を示さないからだと思います。そうだとすれば、森田療法で言われるところの心身同一論が、離脱症状対策にも一役買っていると思います。つまり、心の安定の前提には、身体、もしくはそれを取り巻く生活の安定が欠かせないのです。

一連の減薬方法はあくまで、私個人の臨床感覚に基づいたもので、普遍的でないかもしれません。けれども、森田療法を実践する一人として、より良い減薬方法を提案させていただきました。Iさんにとって、減薬が進む裏側でより健康的な身体と生活が醸成されることを心より願っています。
(樋之口潤一郎) 

「パニック発作を恐れているときに」 '21.3 

Nさんは、「パニック障害になって9年が経ちます。」と書き込まれています。「通勤中にパニック発作になり、最近また、その道を通る前から緊張感や不安がでてきて、疲れます。」「深呼吸を繰り返したり、大丈夫!と自分に声をかけたりしてなんとか乗り越えています。他によい方法があれば知りたいです。」とのことです。

インターネットなどで対処法を検索してみると、不安のコントロールとリラクゼーション、という方向のアドバイスが多いかと思います。それもとても大切なことですが、「不安をコントロールしなければ」と考えることは、不安に注意が向き、さらに不安が増大するという悪循環を招くこともあります。

さて、Nさんは「他によい方法があれば知りたいです」とも書いています。不安をコントロールすることとは異なる、森田先生のこんな話があります。当時は心臓神経症と呼んでいたわけですが、その発作が今にも起こるのではないかと案じているときに、「自分の部屋の畳で大の字になっているときと同じ心境になろう」とすることは、なるほど修養法としては面白いが、実際には無理がある、というのです。

発作を恐れているときは、怖さになりきって、怖がっているのが最も自然なあり方かもしれません。パニック発作は苦しい、なければいいのに、というものであるのは違いありません。

一方で9年の間、パニック障害を抱えながら、文面を見るとお仕事も続けておられるようす、すごいことだと思います。この粘りをぜひ、大切にされてください。
 そして、なんとかたどりついた先でのできごとや見たもの・触れたものをしっかり受け止めるようにしていきましょう。ともすると素通りしがちになってしまいますが、移動の「目的」はこちらですし、Nさんの「生活」はこちらにあるのではないでしょうか。
(塩路理恵子) 

「娘さんを大切に想う気持ちがあるからこそ、今じぶんにできることを大切に」 '21.2 

Sさんは、小学生からの嘔吐恐怖、高校生以降の会食恐怖等を乗り越えて社会人となり、その後もさまざまな症状がありながらも、就職、結婚、出産、子育てと人生を歩んできたことに感銘を受けました。

今回成人された娘様が重い病気の疑いがあり、心配でたまらなく、自分も手足がしびれてしまうようになり、不安障害が再発したと心配されているのですね。 私も自分の子供が重い病気の疑いがあったらと想像すると、不安で夜も眠れなくなりそうだと感じました。

森田療法を経験されたSさんはご存知と思いますが、不安の裏には必ず生の欲望が隠されています。子供に元気で過ごしていて欲しい、生きていて欲しいという気持ちは、Sさんがお子さんのことをかけがえのない存在だと心の底から思っているからに違いないと思います。

このような、内面から湧き出てくる感情は如何ともしがたく、不安から解放されたいと努力しても、気晴らしをして紛らわそうとしても、変わることはありません。森田先生は、「欲望はこれをあきらめる事はできぬ」、「死は恐れざるを得ず」と述べています。

不安な気持ちを抱えることは覚悟がいることですが、不安な気持ちを解消しようと右往左往するのではなく、不安でいいのだ、不安になって当然だ、不安にならなかったらおかしいよ、と自分に言い聞かせてみてください。もし不安のままになりきることができれば、今自分に何ができるのかが見えてくるでしょう。

娘さんは成人されているようですので、自分で考え行動する力を持っていると思います。娘さんに変わって自分が病むことはできないですから、Sさんにできることは、娘さんが悩んだ時に相談に乗ってあげることだと思います。そのためにも、今できているご自身の生活の軸はぶらさず、時には頑張っている自分に優しく声をかけてあげてください。

娘さんを大切に想う気持ち、Sさんの優しさ故のお悩みと感じました。Sさん、娘さんのご健康を心より願っています。 
(鈴木優一) 

「“あるがまま”のからくり」 '21.1 

Aさんは、将来や老後のこと、いつまで健康でいられるか、仕事のトラブルが解決出来なかったら・・・など、先のことが全般的に不安になり、頭から離れずに困っているとのことでした。これまでにも同様の不安は感じていたものの、その時には「あるがまま」に過ぎ去ってくれていたのが、昨年11月以降は思うようにならず、特に早朝に目が覚めて調子が悪い日はなかなか回復できないと書かれていました。

確かに将来どうなるか・・・と考えると、色々不安になってしまうものですね。以前見た映画の中で、こんなフレーズがありました。「人生には3つの坂がある。一つは上り坂、もう一つは下り坂、3つ目はまさか」だと。人生には山あり谷あり・・・とは良く言いますが、予期せぬ出来事が起きるのもまた人生ではあります。そうした事態は、出来れば未然に防ぎたいものですが、シナリオ通りにいかないのもまた人生と言えるのではないでしょうか。

Aさんは、こうした予期せぬ出来事を未然に防ぎたいという気持ちがとても強いがゆえに、不安をつのらせてしまうのかもしれません。つまり、それだけ順調な人生を歩みたいという願望が強いということでしょう。それは、誰もが願う自然な気持ちであり、それ自体は決して悪いものではないのです。では、どうしてそれが頭から離れなくなってしまうのでしょう?

もしかすると、これまでのように過ぎ去っていかないことに違和感を抱き、「これではダメだ」と無理に解決しようとして、逆にこだわってしまっているのかもしれません(とらわれ)。森田先生は、『一度自分が「あるがまま」になろうとしては、それは「求めんとすれば得られず」で、すでに「あるがまま」ではない。なぜなら「あるがまま」になろうとするのは、実はこれによって、自分の苦痛を回避しようとする野心があるのであって、苦痛は当然苦痛であるということの「あるがまま」とは全く反対であるからである』と述べています。早朝に目が覚めて調子が悪い日は特に回復しない・・ということでしたが、早朝に目が覚めること自体も、何か悪いことの前兆と捉えてしまい、それを何とかしようとあがいてしまう結果、逆に不安ばかりに注意がひきつけられてしまうのかもしれません。

「あるがまま」を心がけること自体はとても大切なことですが、その結果、気になる事が流れていくとは限らないのです。将来のことが気になってしまうのも致し方ないことですし、健康に過ごしたいと思うけれど、確実にそれが叶うかどうかはまた別のことです。そうした願望を抱くことも、またそれがかなうかどうか・・と不安に思うことも、両方避けられない事実であり、自分なりに日々の生活に取り組む中で、人生を歩んでいる感覚が得られるのではないでしょうか。昨年まではそうして過ごせていたのですから、逆に「何とかしよう」と力まないことが、今の状況から自由になる方法なのかもしれません。 
(久保田幹子)