普通神経症の部屋
「会食恐怖・頻尿の悩み:本当に気を遣うべきことは?」 '11.12
Hさんは、会食恐怖と頻尿に悩んでいるとのことでした。会食が不安な理由は、もし残してしまったら申し訳ない(作った人、同席している人、食べ物に対して)という気持ちであり、頻尿については、粗相をしたら恥ずかしい、中座は失礼だと感じるためと書き込まれています。この文面から見ても、非常に周囲に気を遣い、相手の気持ちを害してはいけないと考える方と推察されます。そうした心配をしない人が、実は人間関係で問題を起こすのであり、Hさんのように相手を気遣う方を周囲は不快には感じないと思うのですが・・。とはいえ、こうした悩みのために、人が大勢集まる場所(講演会、試験)やバスツアーなどの苦手な場面を避けてしまっているということですから、かなり辛い状況だろうと思います。
Hさんの書き込みで印象的だったのは「失礼があってはいけない」という言葉でした。この言葉が、悩みを解決する鍵になるのではないでしょうか。Hさんは相手がそう感じる(失礼な人だと思う)ことを心配しているわけですが、食が細いことやお手洗いで中座することを相手が不愉快に思うかどうかは実はわからないことです。いずれも、個人差があることですし、何よりお手洗いについては人間の生理現象ですから。Hさんは、健康への関心から栄養士の資格を取り、現在は料理研究家のアシスタントもされているとのこと。そうしたご自身の立場を考えるならば、食の細さを心配して試食の仕事に集中できなかったり、講演会や試験などを欠席してしまう方が、Hさんの評価を下げてしまうように思うのです。つまり、「失礼があってはいけない」と心配するあまりにとっている態度(症状な不安を取り除くことばかりに注意が向いてしまったり、不安を避けようとする態度)の方が、実は悩んでいる行動(食の細さや頻尿)よりも「失礼な行動」に繋がってしまう危険性があるということです。もしHさんが、これまでの経験で相手が不愉快そうだと感じているとしたら、それは悩みの結果ではなく、心配すること(注意を払うこと)がずれていた結果かもしれないのです。
神経症の場合、こうしたズレは往々にして生じるものです。折角、「失礼があってはいけない」と考えているのに、やる気がない人と思われてしまったら勿体ないですよね。何よりHさんがこれまで努力して獲得した資格や仕事なわけですから。
試食とは、その料理の味を吟味するためのものであり、モリモリ食べることが目的ではないでしょう。講演会やバスツアーにしても、中座せずに参加することを相手は期待していないのではないでしょうか。Hさんの仕事という観点で考えれば、たとえ中座したとしても参加することは必ず自分の糧になるはずです。
森田は、赤面恐怖の患者さんに対して、自分は顔が赤くなりやすいのだと表明するよう勧めていますが、「食が細い、あるいはお手洗いが近い」ということをさりげなく伝えてしまうのも一つの方法かもしれません。伝えてみれば、もしかしたら予想していた事実とは違う事実(相手はそれほどには感じていないなど)に遭遇するかもしれません。
いずれにしても、「失礼がないように・・・」という折角の配慮を、何処に生かすのか、つまり、関わるか否かではなく、どのように関わるのかを工夫する方向に生かしてみたらいかがでしょうか。
(久保田幹子)
「職場の人間関係が気になるとき」 '11.11
Yさんは書きました。「仕事は仕事と割り切り、なすべきことをなすというスタンスで取り組めても、職場の人間関係ではそんなふうにうまく考えを切り替えることができずに、症状もよけいひどくなり、悪循環に陥ってしまいます。自分がいることで周りの空気が変わるのがわかり、とても居づらくてしようがないんです。なんとなく避けられているな、という気もします。人とうまくやっていきたいという気持ちがあるからこそ、きっとそんなふうになってしまうのだろう、とわかっていても、どうすることもできません。
Yさんが、これまでに森田療法を一生懸命勉強して、日々の生活に生かそうと努力しておられる様子はよくわかります。そして、仕事に集中できている瞬間のあることを自覚し、少し前向きな気持ちになったとも記されていますので、努力の成果は少しずつ現れているのだと思います。けれども、往々にして次の段階で、Yさんのような人間関係の悩みに突き当たることがあります。「自分のいることで周りの空気が変わる」「なんとなく避けられている気がする」という文面から察すると、周囲が自分をどう見ているかということに相当過敏になっておられるようです。ご自分でも過度に気にしていることは自覚されているようですが、そのように感じることはどうすることもできないのですね。
確かに私たちは、感情を頭でやりくりすることはできません。気にしないようにしようと思っても、どうしても気になることが感情の事実であり、それを直ちに変化させようとするのは不可能への挑戦になります。結論からいうと、Yさんが心がけているように「仕事中は仕事上の付き合い方をすればいい」という姿勢でしばらくやっていかれればいいのです。まずは「仕事上の付き合い」、例えば挨拶を忘れない、仕事上のコミュニケーションを図る(ホウレンソウなどといいますね)などのことを丁寧に実行していけば、やがては周囲からもおのずと信頼が寄せられてくるはずです。そのような信頼感は1日で生まれるものではなく、植物の成長のようにゆっくりと芽を出してくるものだとお考えください。
それから「休憩時間などはあまり職場の人と一緒にいたくないと考えている自分がいて、つくづく自分が情けないです」とありますが、これも今さしあたりそのように感じているということが心の事実であり、「そんなふうに感じてはいけない」と頭でやりくりできることではありません。「無理にでも他の人と合わせたほうがいいのでしょうか」と悩んでおられるようですが、いつも皆と一緒に行動する必要はなく、休憩時間中ひとりでゆっくりする日があっても一向に構わないのです。そして皆と行動を共にするかどうか迷ったときは、とりあえず参加してみるという程度に考えておけばいかがでしょうか。その場合も無理に会話を持とうと焦らず「聞き上手」の姿勢で臨んでいくことです。「〜すべき」の構えが緩むと、もう少し楽に関わりが持てるようになるかも知れません。
(中村敬)
「優先順位を間違えない」 '11.10
Yさんは過敏性腸症候群で、とくに周囲に人がいると症状に気が向いてしまい、頭がそのことでいっぱいになって仕事に集中できず、ミスばかりしてしまい、今まで長続きしなかったということで悩んでいらっしゃいます。また、学生時代におならをしたことを人にからかわれ、今はお腹やお尻で勝手におならのような音が鳴り、人から色々言われる事も気にしておられるようです。
内容を拝見していると、今、過敏性腸症候群そのものの症状で困っている事もあるとは思いますが、Yさんが一番困っているのは「仕事に集中できない事」や「人から色々と言われる事(周囲の目)」なのではないでしょうか。Yさんは周囲の目が気になり、あるいは評価が気になり、お腹の症状にとらわれているように思えます。やはり、「いつおなかがなるのか、おならが出るのか」ばかり考えていると、仕事に注意が向かなくなりますから、ミスをしやすくなってしまいますね。
では、仕事をする上で一番大切なものはなんでしょうか。周囲の人との関係ももちろん大切ではありますが、やはり仕事そのものが最も大切ですよね。Yさんはお腹の症状で周囲の人からの目を気にしすぎるが故に注意がお腹に向いて、ますます自律神経が乱れ、さらに注意もお腹に向いてしまい、仕事に注意が向かなくなるという悪循環になっていると思います。
Yさんの場合、最初から周囲の人から良く思われようとしすぎて悪循環にはまってしまっています。この悪循環を断つ為にはまずは仕事を優先順位の一番にしましょう。人との関係や周囲からの目、評価は仕事をちゃんとしていれば自ずと後からついてきます。まずは「自分のお腹ではなく、仕事に注意を向けていく」これを少しずつ続けていってみて下さい。仕事が長続きしなくても諦めずに何度も仕事をしようとチャレンジし続けてきたYさんなら出来るはずです。是非とも頑張ってくださいね。
(谷井一夫)
「現実の事実をしっかりと受けとめることの大切さ(必要性および覚悟)」 '11.9
Kさん、こんにちは。ご自分が「大病を患っているのではないか」と悩まれているようですね。精神医学ではこうした「自分が大きな病気にかかっているのではないか?と強く心配すること」を「心気的訴え」と表現します。こうした場合、何よりも大事なことは御自分の先入観(思い込み)ではなく、現実の事実です(事実唯真)。もし御心配な病気があるのでしたら、病院を受診してしっかりと検査をしてもらうことです。しっかりと検査をして「異常がない(病気ではない)」という結果でしたら、その後は再度、病院を受診したりして心配のための確認を決してしてはいけません。不安を消そうとすればするほど、さらに次の不安が出てきます。ここはぐっとこらえて(不安を抱えながら)、不安を解消する行動はしないようにしましょう。
さて、Kさんが「大病を患っているのではないか」という心配を抱く背景には何か心理的な理由があるのでしょうか。大病を患っているのではないか?→病気にかかりたくない(健康で生活をしたい)→家族と共に健康に明るく生活をしていきたい、こうした文脈が見えてきます。不安が存在するということは、「より良く生きていきたい」という希望の存在を意味します。逆説的な言い方をしますと、我々人間が希望を持って生きていくことは常に「そうならなかったらどうしよう」という不安が生じることを意味します。希望のあるところに不安が存在する。我々人間に希望が存在する限り、不安は消失しません。我々が生きていく以上、不安はなくなりません。このことを我々はしっかりと覚悟しなければなりません。不安からは逃げられないのです。別の言い方をしますと、「不安は明日への第一歩(原動力)」と言っていいかもしれません。不安を受けとめる覚悟、そして御自分の内なる希望に素直に耳を傾け、地道に取り組んでいく姿勢が求められます(努力即幸福)。何事も簡単に(楽に)済ませることは出来ません。不退転の決意をもって、自らの人生を自らの努力をもって切り開いていかなければならないのです。
Nさん、こんにちは。「きれいな女性が苦手」とのことですね。きれいな女性には誰もが憧れ、「相手に良く思われたい」と思えば緊張感も一層強くなるのが人間の性ではないでしょうか。Nさんの感情は極めて正常なものと言えましょう。きれいな女性を前にして、“緊張しまいとする姿勢”、ここに問題(苦悩の源泉)があります。人間に自然に生じる感情を、「こんなことを感じてはいけない」と排除しようとする(思想の矛盾)ところに「とらわれ」が生じるのです。御自分に生じている感情の事実を認めなければなりません。自己に生じている事実をしっかりと認識、受容する必要があります。その事実のもとに行動をしていく他に術はありません。ハラハラ、ドキドキしながら会話をするのです。別に無理に会話をしようとすることもありません。何事も自然に、自ずからの思い(考え)を伝えていけばよいのです。何もかも上手にやろう、失敗しないようにしよう、と考えてもそれは無理なことです。成功することもあれば、失敗することもある、それが人間の事実であります。その事実に逆らおうとするからこそ、そこに苦悩が生じるのであります。成功する、失敗するという結果のために行動するのではなく、我々人間にとってのかけがえのない一瞬一瞬を一生懸命に努力して取り組んでいくことが大事になります。
(川上正憲)
「癌と不安・うつの関係」 '11.8
Wさんが、ひきこもりのまま年を重ねて、今年の原発事故や就職難に強い不安を覚え、更には癌を患ってしまったとのことです。また、これまで(もっとよいのがあるのでは)と考え、人や人のアドバイスを信用しきれずに進めなくて行き詰っていたようです。
現在は入院されているとのこと、お具合はいかがですか。 入院中に安静にしていただけなのに、以前より充実感があったとのことです。なぜでしょう。これまでの生活と違い寝ていることも治療のためにという目的があり、それに向かって進んでいるという感覚が充実感につながったのかもしれません。退院後暫くは無理が出来ないと思いますが、(徐々に慣れていくこと)(出来ることから活動していくこと)を勧めします。止まっていた歯車が徐々に動いていくように少しずつ出来ることからはじめて下さい。
また、一昨年から奇妙な不安やうつに悩まされてきて、癌が精神に影響を及ぼす影響について気にされています。調べてみますと、70年代アメリカで行われた調査で癌患者に精神障害の有病率は47%で、不安かうつを認めた患者は全体の4割だったとのことです。その後の調査においても30〜40%の癌患者に不安かうつが存在したことを示す報告が多いようです。さらには癌患者の精神症状に関する多くの研究では、不安が単独で生じるよりも不安と抑うつが混在する頻度が高いことが明らかにされています。癌と不安やうつは何かしらの関係があるのではないかと思います。
今までのやり方ではうまくいかないとの思いがあるようです。今までとは違ったやり方を出来る範囲でやっていきましょう。違った体験が出来るのではないかと思います。
(矢野勝治)
「恥ずかしがるままでいい」 '11.7
こんにちは、Eさん。小学生の頃から円形脱毛症に悩まれているとのこと、さぞかし苦しみ、人目を気にされたのではないかと思います。特に「なぜ自分だけ髪がないのか」という思いに耐えながら、生活を必死に送られてきたのではないかと推察します。
しかし、学生時代を過ごし、大学まできちんとやり抜いているのですから、その粘りの姿勢はEさん自身にも是非認めていただければと思います。ただ大学4年という時期に円形脱毛症が悪化されたのはとても残念でしたね。まず、今は苦しいでしょうが、当座この状況で何をすべきかを共に整理していきましょう。
まず、円形脱毛症の治療は皮膚科で現在も継続されていますか? この点は一番大切なことです。
単に治療を受けるだけでなく、皮膚の回復の上で重要な生活習慣など主治医の先生とよく相談することです。案外、皮膚にとって大切な生活習慣は、精神的な健康を保つ上でも大切だったりするものです。このことをまず実践していきましょう。
次に悩まれている対人恐怖症についてです。お仕事や就職活動などでもご苦労されたと思いますが、それはどんな点だったでしょうか? 仕事の内容や量がEさんにとって負担になっていたのでしょうか?それとも脱毛の状態から人目を気にするあまり、仕事に目が向けにくくなっていたのでしょうか? もし後者であるとするならば、円形脱毛症である自分で就職活動を勝負する覚悟が必要です。円形脱毛症を排除してはいけません。果たして円形脱毛症で、Eさんの良さは否定されてしまいましたか?
私は、決してそうは思いません。むしろ、円形脱毛症はすぐに変えられなくても、その他の部分を磨いていけばよいのです。むしろ就職活動で他の皆さんがやられている準備をより入念に行うことが何と言っても大切です。円形脱毛症で人一倍苦労してきたのですから、「人一倍、人の痛みを分かって上げられる様になりたい」、これことが、Eさんが就職する上で一番大切にして欲しい部分のように思いました。苦しい中でしょうが、是非就職が上手く行くことを心から願っています。
(樋之口潤一郎)
「恐怖突入は・・」 '11.6
Oさんは、「私は、この二日ほど恐怖突入に挑戦しているのですが、恐怖が変化して流れるという経験がありません。どうしても「症状」に関して周囲の人の反応に依存するところがあり、人の反応で上快な感情を引き起こし、ますます自信を失うという循環におちいっています。」と書き込まれています。
そして10日後に「昼食後、森田関連の本を繰り返し読んでいたのですが、そういうふうにうじうじしている自分が嫌になって、どうなってもいいという気で外出しました。上思議なもので、症状どころか不安も大したことがないのです。散髪屋が目に入り、自分の髪が伸びているのに気がついたので、散髪屋に入りました。大した緊張もありません。これはどうしたことか?と思いつつパンや牛乳がなくなりかかっていたのを思い出し、スーパーに行くことにしました。スーパーに行きましたが、何も起こりません。牛乳やパン以外にいろいろなものを買って狐につままれた気分で帰宅しました。今日の自分はどうなっているんだろうと思いながら報告いたします。」
ちょっと引用が長くなってしまいましたが、とても興味深く読ませていただきました。「はからい」が尽きた時に、とらわれを離れ、状況に応じて心が生き生きと動き流れている様子が表わされている文章だと思いました。
「恐怖突入」の中でも、注意を感情に固定し、観察するなかでは感情は流れていかないものですね。
とはいえ、このOさんの体験は、前半の恐怖突入を巡る、ああでもないこうでもないという試行錯誤なくして得られるものでもありません。結果を急がず(これも大切なポイントで変化を急いで注意をそこにばかり向けるととらわれてしまいます)恐る恐るでよいので、できるところから行動に踏みこむ体験はとても大切です。
森田療法は、恐怖の対象そのものに飛び込んでいくこと(恐怖突入)と、とらわれを離れ生活そのものを豊かにし、生き生きと活動していくことを両輪として進むものです。ぜひその両方を大切にして日々の生活に取り組んでいってください。
(塩路理恵子)
「そのままになりきる」 '11.5
Aさんは、身体表現性障害に悩んでいるとのことでした。具体的には、頭痛、眼痛、ふらつき、動悸、手足のこわばり、便秘といった症状があるようですが、これらが毎日のように続くのであればさぞ苦しいことでしょう。 この体験フォーラムのアドバイスを見て、身体症状に過敏になればとらわれること、そこから脱出するために「注意を外に向ける」必要があることなど、理屈ではわかるものの実行に移すのはなかなか難しいと記しておられます。確かに、症状に向いてしまっている注意を自由自在に外に向けようとしたら、それは難しいことでしょう。実際、身体の症状は苦しいわけですから。では、どうしたらいいのでしょうか? まず第一に、今の症状が苦しいと感じている事実をそのまま受けとめることでしょう。森田先生はそれを「苦痛になりきる」と述べています。どうしても身体の上調があればそれを和らげたい、何とかそれを無くしたいと思うのは人間の素直な心情です。しかし、無くしたいと思えば思うほど、その程度を計るようになり、ますますその症状に注意が向いてしまいます。なかなか難しいとは思いますが、上快だったり、苦しいのも今は避けられない事実として、一旦「苦しいなあ」とそのまま受けとめてみましょう。
第二に、それと共に、同じ時間であればどのように過ごすかを考えてみましょう。森田先生は次のように述べています。「死は恐ろしい。恐れまいとしても、無理である。得がたい欲望は、あきらめられない。あきらめられるものは欲望ではない。(略)死を恐れるのは、生きたいためである。生きんがためにこそ、死をも忘れる。生きる欲望のないものが、どうして死を恐れたりする必要があるだろうか」と。
これを病あるいは身体の上調ととらえてみましょう。病や身体の上調は恐ろしい。しかしそれは、健康でありたい、より良く生きたいという欲望があるからです。そしてその欲望はあきらめることが出来ないはず。今すぐに症状を消すことが出来ないからといって、今、こうして生きている時間を無為に過ごしたら勿体ないことです。そうであるなら、とりあえず症状があっても出来ること、したいことに手を出してみる。せめて、今のこの時間を無駄にしないために・・・。行動への一歩は、こんな心持ちで初めてみたらどうでしょうか。そうして重い腰を上げて動き出したとき、注意は行動についてくるように、目の前のものに向けられます。例えば、映画でも勉強でも最初から集中したり、夢中になっていることはないはずです。何となく観ているうちに、あるいはとりあえず取り組んでいるうちにいつの間にか集中したり、面白くなったりしている。注意や気分というものは、意図して変化するものではなく、動きに伴って変化するのです。思うように変化しなかったとしても(症状にまだ注意が向いていたとしても)、単にその中にどっぷりつかって時間を過ごすのではなく、「今、この時」を少しでも他の何かに費やすことが出来たなら、それで十分なのです。大きな変化を先に求めるのではなく、小さな手応えを大切に、「生きている」この一瞬を味わってみてください。Mさんもアドバイスしているように、日記をつけて振り返ってみると、日常生活の過ごし方など工夫出来る点が見えてくるかもしれません。
(久保田幹子)
「様々な感情は湧いてくるものです」 '11.4
Mさんは嘔吐恐怖に悩んでいらっしゃるのですね。「これから何かをしようというときや、日常生活の中でも吐き気がすることも多々あります。・・・吐き気がすること、吐くことが怖いです。現在は家族の仕事(自営業)を手伝っていますが、吐き気がするので度々休んでいます。薬は出来れば飲みたくないのですが、どのようにしたら吐き気を抑えることができるのでしょうか」と。
実のところ嘔吐恐怖に悩んでいる方は数多く、今年の不安障害学会でも嘔吐恐怖をテーマに独立したシンポジウムが持たれたほどです。嘔吐恐怖には、吐き気を伴うパニック発作を経験したことによって、それ以来恐怖感が持続しているというタイプと、パニック発作とは無関係に、多くの場合子どものころから吐くことが怖いというタイプの二通りがあるようです。中には今まで一度も実際には吐いた経験がないという方もいます。Mさんはどちらのタイプでしょうか? 文面からは、吐き気はしばしばあっても実際に吐くことは滅多にないように見受けられましたが、違っていますか?
ここでは嘔吐恐怖が固定化していくからくりについて説明しましょう。吐くのではないかと不安に駆られたときには、自律神経(交感神経)も緊張するため、胃腸の運動が抑制され、その結果、胃もたれ、吐き気などを自覚しやすくなります。このような吐き気は、食中毒の時ように毒物を排除しようとして胃腸が通常と逆方向にぜん動する場合とは異なり、実際に吐くことはごく稀なのです。けれども、予期不安に伴って吐き気を感じると、いよいよ吐いてしまうのではないかという不安がつのり、一層緊張するため吐き気が強まるという悪循環が生じるのです。森田療法でいうところの精神交互作用です。さらにMさんは「どのようにしたら吐き気を抑えることができるか」と質問されているくらいですから、一生懸命吐き気と闘っていらっしゃるのでしょう。けれども吐き気を抑えようとすればするほど、一層胃部に注意が集中して、上記の悪循環を増強することになってしまいます。
ところでMさんは、もし万が一実際に吐いてしまったらどうなるとお考えでしょうか? 人に毛嫌いされたり、死ぬほど恥ずかしい思いをされるでしょうか?吐くということの結果を実際以上に取り返しがつかない事態だと考えてはいないでしょうか? ことによると、そこまでではないと頭では分かっていても、なおかつ吐くことへの恐怖が拭えないのかも知れません。そうであるなら、吐くことへの恐怖を無理になくす必要はないのです。程度の差こそあれ、私たちは人に好かれたい、よく思われたいという自然な欲望を有する分だけ、人に嫌われたり恥をかいたりすることを恐れます。ですから、吐いたら大変だとびくびくはらはらしていいのです。それでも吐き気を理由に仕事を休まず、Mさんにとって必要な行動に踏み込んでいくことです。そして、そのように行動に打ち込んでいくうちに吐くことへの恐れがどのように変化していくかを見届けてください。その結果をまた投稿していただくことを期待しております。
(中村敬)